Dolce Vida


 二月十四日。バレンタインデー。
 日付が変わるまで二時間を切ったところで、俺は泰裕の部屋との間仕切りの扉を叩いた。
 こんな時間になってしまったのは、やはり、どこかに躊躇いが残っていたから。
 男の俺が、付き合っているとはいえ男の泰裕にチョコレートを、しかも手作りの物を渡したい、だなんて。
 甘いものが好きな泰裕に、バレンタインにはできれば自分の手で作ったものを食べてほしいとチョコレート作りを思い立ったのは、ほんの二日前のこと。
 必要に迫られて料理もある程度はやっていたし、この家に来てからもおばさんの手伝いはしていたけれども、お菓子作りはしたことがなくて。
 キッチンに揃っている、おばさんが毎月買っている雑誌のバレンタイン特集を見ながら試行錯誤して、どうにか完成したチョコレート。
 可愛らしいラッピング用品を買う勇気はなくてただ箱に詰めただけなんだけど、それでも、気持ちだけはたっぷり込めたつもり。

「泰裕、少し、いい……?」

 チョコレートを片手に持ちながらノックとともにそう声を掛けて、扉を開ける。泰裕はまだ起きていて、学習机の椅子に座っていた。

「那津」

 泰裕が、いつもの微笑みとともに俺を見る。その手に、可愛らしい色使いの小さな箱。
 俺の視線が泰裕の手にあるものへと釘付けになる。それと入れ違いに、泰裕の視線が俺の手の中の品物へと注がれる。

「那津、それ……」
「あっ、こっ、これは……」

 慌てて箱を後ろ手に隠したけれど、俺の態度できっと、泰裕はこの箱の中身に気づいたんだと思う。

「那津、おいで」

 少し目を細めて、優しい声色で泰裕が俺を呼ぶから、逆らえなくて俺は扉を閉めて泰裕の傍へと近づいた。
 導かれるまま、並んでベッドに腰を下ろす。
 何かを言われる前にと、俺は急いで口を開いた。

「やっぱり、変、だよね……。男が男にチョコレートを作るなんて……」

 自嘲気味に笑いながら泰裕を見る。すると泰裕は、それまでの穏やかな表情を、目を瞠るそれへと変えた。

「………手作り、なの?」

 そこで初めて俺は自分の失言に気がついた。

「あっ、いや、その……」
「違うの?」
「違わない、けど……」

 ヤバい。
 顔がどんどん熱くなる。

「嬉しいな」

 しかも、さらっとそんなことを言う泰裕に、俺の焦りは最高潮に達した。

「やっでも初めて作ったし、可愛くないしっ、おいしくないかもしれないし……っ!」

 言いながら、俺の視線が机の上に置きっぱなしにされている、さっきまで泰裕が持っていた小箱へと流れる。
 小さなハートがちりばめられた包装紙と赤いリボン。一目でわかる。バレンタインらしい、可愛らしいラッピング。
 あれはきっと、女の子からもらったものだ。見た目からもう太刀打ちできないと思い知って俺が背中に隠した箱を、泰裕は素早く取り上げると、止める間もなくその蓋を開けた。

「あ!」

 その指が不揃いなトリュフをひとつつまみ上げたと思ったら、躊躇うことなく口の中へと放り込む。

「あっ……!」

 恥ずかしいのと、嬉しいのと、悲しいのと、悔しいのと。
 いろいろな感情がごちゃ混ぜになって、もう、どうしたらいいのかわからない。
 小さく動く泰裕の口元。一番気になるのは――。

「………どう?」

 恐る恐る尋ねるけれど、泰裕はそれには答えずに、再び箱に指を伸ばした。
 きれいな指がもうひとつ不恰好なトリュフをつまみ上げる。
 やっぱり、おいしくなかったのかな?
 なんて考えながらそれをじっと目で追っていると、泰裕がトリュフを口に入れる寸前、

「おいしいよ」

 低く、艶のある声でそう言った。
 瞬間、ぞくり、と震える背中。そこを泰裕の手が撫でて、次に同じ手で俺をぐっと引き寄せた。
 自然な流れで重なる唇。
 泰裕の口の中で半分に割られたチョコレートが、舌を使って俺の口の中へと押し込まれた。

「んぅ」

 溶けかけのチョコレートの味が口の中で広がる。
 チョコレートがなくなるまでたっぷり舌を絡めてから、泰裕の舌が俺の口の中から出て行った。

「すごく、おいしい」

 ストレートに誉められてますます顔が熱くなる。
 どう答えていいかわからずに赤く染まった頬を擦りながら顔を俯けていると、泰裕の指が俺の顎をすくい上げた。
 今度は、ちゅっと触れるだけの軽いキス。

「俺はね、那津」
「?」
「那津のそういうところが、すごく、好き」

 言いながら、近づいてくる泰裕の顔。再び重なる唇。音もなく触れては離れることを数回繰り返してから、泰裕の舌が俺の口の中へと忍び込んできた。
 さっきと違って官能を引き出すように、ねっとりと絡め取られて、意図せず声が漏れる。

「ん、ふ」

 もう口の中にチョコレートはないのに、泰裕から与えられるキスは、すごく甘く感じる。
 たまらず泰裕の背中に手を伸ばし、縋りつくように触れた布地を握りしめる。
 泰裕の腕も同じように俺の背中に回る。そうして支えるようにしながら俺の体をベッドの上へと押し倒した。
 その体勢から見上げた泰裕の眉が、困ったように寄せられる。

「泰裕?」
「ごめんね」

 なぜ謝られるのかわからなくて目を瞬かせる。泰裕は俺の上に乗ったまま、片手でそっと俺の頬を撫でた。

「那津が、あんまり可愛くて」

 言葉と同時に、首筋に口づけが降ってくる。
 くすぐったさに身を捩ると、パジャマの裾から手を入れて、泰裕が俺の肌を撫で上げた。

「あっ」

 泰裕の「ごめん」の意味がわかると同時に、俺は、自分の体温が急激に上がっていくのを感じた。
 脇腹から上を目指す泰裕の手つきは変わらないのに、意識が変わるだけでその手に快感を覚えてしまう。
 恥ずかしくなって泰裕から目をそらす。泰裕はその隙に、パジャマのボタンを下から順に外していった。
 あらわにされた肌にも口づけが降ってくる。下も脱がされ、繋がるための準備が施される。
 奥深くまで入り込んでいた泰裕の指が抜かれる。俺は、気持ち脚を開いてその瞬間を待った。けれども泰裕は、俺の予想に反して俺の腕を引っ張り起こすと、自分はベッドの上で、あぐらをかいて座ってしまったのだった。

「ん、泰裕……?」
「ねえ那津、上に乗ってくれる?」

 途中で体位を変えることはあっても、初めから俺が上、というのは経験したことがなくて。
 俺は少し躊躇ったけれど、泰裕がそうしたいのなら、と。

「………うん」

 了承の返事をして体勢を変え、泰裕のに手を添えた。
 慣れないことをしてそれが良い結果を呼んだことで、少なからず気分が高揚していたのかもしれない。
 いつもの俺なら恥ずかしさが先に立って、きっと断っていたはずだ。
 けれども今は、泰裕の要求に応えたいという、その思いだけが俺の体を支配していた。
 膝立ちになり泰裕の肩に手を置いて、少しずつ、少しずつ泰裕を飲み込んでいく。

「あ、っは……」
「もう少し」
「ん……」

 じりじりと俺を侵す熱塊で、頭の芯まで痺れてくる。
 触れた皮膚の感触で、やっと、すべてが納まったことを知った。

「んっ……」

 いつも、この瞬間、喩えようもないほどの幸せを感じる。
 泰裕を愛し、泰裕にも同じように、いや、それ以上に愛されているのだと実感できる。確認できる、この行為。
 泰裕の首に腕を回し、ぎゅっとしがみつく。泰裕は俺の腰に手を添えて、下から揺さぶりをかけてきた。

「んっ、ん」
「那津」

 呼んで、泰裕が俺の頬に軽いキスをする。お返しのつもりで泰裕の頬にもキスを送ると、机の上に置きっぱなしになっていたチョコレートが視界に入った。
 途端に、心の中に黒いものが渦巻いて、俺はいやいやと首を振った。

「那津?」
「………」
「どうしたの?」
「……チョコ」

 それだけでわかったのか、泰裕は「ああ」と短く零すと俺を押し倒して体勢を変え、俺の胸の尖りに舌を這わせた。

「っ、ん」
「ゼミの女の子がね、気を遣ってみんなに配ってくれたんだけど」

 ツン、と立ち上がった場所を吸われて反射的に仰け反る。泰裕の唇が追いかけてきて、肌に触れるか触れないかの位置で喋り続ける。その上ゆるゆると腰を使い始めるものだから、半端な刺激におかしくなりそうだった。

「みんな揃っているところで渡されたから、断るってことができなくてね。でも」
「ふぁ、ア」
「こんなことなら、やっぱり断ってくればよかった、かな」
「あ、あっ、あぁっ……!」

 言い終えると同時に激しく揺さぶられて、俺はあっさりと頂点に達してしまった。
 中で広がる生暖かい体液。硬度を失ったものを泰裕が引き抜いて、それから俺の体をうつ伏せにした。

「那津は、可愛いね」
「っ、そんなこと、ないと思うけど……」

 容姿はいたって平凡だと思うし、そりゃ男にしては背が低い方かもしれないけど、女の子に紛れるほどじゃないし。
 可愛いという形容詞が俺に当てはまるとは思えなくてそう返すと、泰裕は少し笑って、ゆったりとした手つきで俺の背中を撫でた。

「見た目じゃなくてね。中身が」
「中身?」

 やがてその手が双丘を割り、まだぬめったままの窄まりへと到達する。

「可愛くて、さ……。俺、那津が俺のそばにいてくれるだけで」
「あ、あぁ……っ」
「すごく、幸せだよ……」

 俺も、すごくすごく幸せだって。そう返したかったのに、押し当てられた泰裕の灼熱に、襲ってきた快楽の波に、それ以上の言葉は紡げなかった。
 だから、明日言おう。必ず伝えよう。
 俺も泰裕がそばにいてくれるだけで、毎日、すごく、幸せを感じていることを。

END

2011/04/03


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