あのキスを忘れない 「狭いよ」 「うん。……でも……、いい」 俺がそう言うと泰裕は、「そっか」と緩く笑って、端にずれてくれた。 ベッドの上。ひとり分、俺の分、空けられたスペース。 せっかく俺の布団を用意してくれたのに……おばさんごめんなさい。 心の中で謝って、そっとそこへ体を横たえる。泰裕の方を向いてその胸に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。 不思議……。 ちょっとドキドキ。でも、その匂いが、その体温が、次第に俺を落ち着かせてくれる。 まるでずっと前から、こうして眠っていたかのように。 この場所が、俺のものであることを証明するかのように。 豆球だけがともされた部屋。暗橙色の中、泰裕が俺に布団を被せて、小さい子にするみたいにその上からぽんぽん、と叩いた。 「那津」 「……うん」 「もう寝る?」 「……、……うん」 沈黙。 気になって見上げれば、泰裕はいつもと変わらない、優しい微笑で俺を見つめていた。 その瞳に溢れているのは、疑う余地もないほどに深く、大きな愛情。 泰裕の手が俺の頭を撫で、髪を梳いて、耳を擽り、頬に触れる。 「那津」 「………うん」 そおっと、触れるだけのキス。 やがて、音も立てずに離れる唇。 「おやすみ」 「………おやすみ」 どんなに深いキスを交わしても、どんなに濃厚に体を重ねても。 それでも、ただ触れるだけのキスの方が、ずっと特別に思える。 それは、今でも忘れられないあのキスを。 いつでも、あの唇の温度を、感触を、思い起こさせるから。 あの、初めて交わしたキスを――。 END 2008/09/09 [戻る] Copyright(C) 2012- 融愛理論。All Rights Reserved. |