この恋に、最良の結末を


「――サヨナラ」
「那津!!」

 俺の声を振り切って、去っていく足音。
 追いかけなければ、追いかけなければ……!
 頭ではわかっているのに、どういうわけか俺の両足は、その場に縫い止められたかのように一歩も動かなかった。





 最初に気になったのは、「視線」、だった。
 通いなれた駅。エスカレーターでホーム階まで昇って、いつもなら迷うことなく右に進む。
 その日、たまたま、視界の隅にどこかで見たことのある姿が引っ掛かった。
 ホームの端に立つ、俺と同じ制服姿。まっすぐに前を見据えている横顔。
 ほんの気まぐれで、左に足を向ける。
 背筋をピンと伸ばした姿勢のいい立ち姿。一点に固定されたまま動かない視線は、何かに集中しているようにも、ただ単にぼーっとしているだけのようにも見える。
 だけど、その瞳はどこか寂しげな色をしていて。

「――水戸部?」

 近づいて、それが同じ学年の水戸部だとわかったら、声を掛けずにはいられなかった。

 最初は、言ってみれば好奇心。
 何を見ているのか、どうしてそんな顔をするのか。その瞳の奥を知りたい。その胸の内を覗いてみたい。
 気になったら最後、それが恋だと気づくまで、さほど時間はかからなかった。





『サヨナラ』

 耳の奥でこだまする、那津の声。
 俺は気づいていた。那津が決して、その四文字を言わないことを。
 駅で別れるときも、俺の家に寄ってから帰るときも、いつも別れの言葉を言うのは俺だけ。那津はそれに対して頷き返すだけ。
 最初は口下手なのかと思っていた。二人でいるとき、話をするよりも、俺の話を聞いて相槌を打つことのほうが圧倒的に多かったから。
 でも、「おはよう」は言うのに「さよなら」は言わない。「バイバイ」ももちろん、「じゃあ」とか「また明日」とか、とにかく別れ際には決して何も言わない。ただ頷くだけ。
 さすがにおかしいと思い始めた頃に、おそらくその原因になったのであろう生い立ちが、那津の口から語られた。
 那津は極端に「別れ」を恐れていた。別れの言葉さえ口に出来ないほどに。





 那津は、とても素直な性格をしていた。
 きっと、育ててくれたという祖父母ができた人だったんだろう。
 母親の命と引き換えに生まれてきて、幼い頃に父親も亡くして。それなのにひねくれたところがひとつもない。
 おそらく、両親の不在を補って余りあるほどの愛情に包まれて育ったんだと思う。
 選びながらゆっくりと話す言葉には、毒も棘もない。
 そして、思っていることが素直に顔に出る。

「――俺、福井が好きだな」

 俺を見上げながら淡く微笑んでそう言われて、答えはするりと口から出てきた。

「うん。俺も那津が好きだよ」

 自覚はあった。
 他の友達とは違うと。那津だけが「特別」になっていると。
 でも、告白するつもりはなかった。男同士ということに違和感や嫌悪感はなかったけど、リスクを背負ってまで付き合いたいという、強い思いは、俺の中にまだ存在していなかった。
 おそらく那津もそうだったんだろう。言ってしまってから慌てふためき、必死になって言い訳を繰り返す。
 そんな那津も可愛いと思ったら、今まで胸の奥で堰き止められていた言葉は、自然と、滝のように溢れ出てきた。

「――那津と初めて喋ったあの日から、ずっと那津のことが気になってた」

 自分の中にこんなにも熱い思いがあったのかと、自分でもびっくりするほどに。

「――もっと仲良くなりたいって、ずっとずっと、思ってた。嘘じゃないよ。俺は、那津が、好き」

 そう、俺は那津が好き、なんだ。それこそ、簡単に手が出せないほどに。





 今まで付き合った女の子もいたし、それなりのこともしてきた。
 でも、どういうわけか那津には手が出せない。
 那津が怖がっているのはわかってる。でもそれは、どうも「男同士のセックス」に対する恐怖心だけじゃないような気がする。

 肩を抱いて、唇を軽く触れ合わせる。
 那津を気に入っているらしい母親は、おやつを供すついでに那津に夕飯の希望まで訊き、食材をそろえるために、数分前に買い物に出かけていった。
 買い物といいながらも、大抵近所の奥さんと話しこんでしまうから、おそらく五時過ぎにならないと帰ってこない。
 ちゅっ、ちゅと啄ばみながら、手を下に降ろして腰を抱き、少し力を入れて引き寄せる。
 途端に、那津は身を捩って俺の腕から抜け出した。

 慌てたように鞄を引っ張り、その中から急いで数学の教科書とノートを出すと、乱暴な動作でテーブルの上にその二つを積み重ねる。

「おっ、俺っ、今日福井に数学教えてもらおうと思って……!」

 真っ赤に染まった顔。どうしていいかわからないといった感じで落ち着きなく彷徨う視線。
 反応も、仕草も、女の子のそれよりもたまらなく可愛くて。
 俺の中から「無理矢理」という言葉は簡単に消えた。

「どこ?」
「こっ、こ、ここここ……」
「あぁ対数か。その問題はまずここ、底が同じだから……」

 付き合って二ヶ月。
 関係は、未だに幼いキス止まり。
 それでも構わなかった。那津が俺の隣にいてくれるのなら。





『サヨナラ』 

 この四文字を聞くことが、こんなにつらいとは思わなかった。
 心に亀裂が入り、まるで卵の殻がほろほろと崩れるように、そのかけらが零れ落ちていく。
 それは自分を押さえつけていた「理性」だったのか、それとも世間の「常識」だったのか。

 那津が俺を避けているのは丸わかりだった。
 いつもの駅で会わない。学校でも話しかけてこない。
 だからあえて、俺からも近づかないようにした。

 ――那津がそうしたいんだから、それに従うんだ。

 でもそれは、少なからず傷ついた自分をごまかすための言い訳だった。
 そう、俺は傷ついている。距離を置かれたことで、まざまざと思い知った。
 自分がどれだけ那津を好きだったのか。好きになっていたのか。

「最近福井、水戸部と一緒にいないのな」
「……うん、ちょっとね」

 休み時間になると、周りに自然と人が集まる。
 自分はそういう気質なのか、昔からそうだったので、それを特に気に留めたことなどなかった。
 左隣の土田が椅子を寄せ、ちら、と後方に視線を流してから、声を顰めて話し始める。

「でもさー、水戸部ってなんか、とっつきにくくねぇ?」
「そうそう。こう、自分の周りにバリア張って、『こっからは入ってくんなー』って言ってるみたいだよな」

 右隣の望月が、それに同意する。
 俺を挟んでの応酬。正直いい気はしない。

「近づくなー、って。オーラみたいなの?」
「そうそう。でもさっすが福井だよな。水戸部みたいなのとも……っとヤベ、水戸部こっち見てる」

 見てる? 那津が?
 言われて思わず振り返るけど、那津は既に机の上に置かれた教科書に視線を落としていた。
 それでも、俺が再び前を向くと――。

 初めて気づいた。
 視線を、感じる。

 このままでは、終われない。





 俺にとって那津が特別だったように、那津にとっても俺は特別だったんだ。
 那津が動かないのなら、俺が動く。
 那津の性格を考えて、電車をいつもより二本早いものにずらすと、那津の姿は簡単に見つかった。
 いつもの場所。出会った頃と変わらない、まっすぐに前を見据える横顔。
 しばらくその場所に佇んでいた那津だったけど、やがて電車の到着を知らせるアナウンスがホームに流れると、少し歩いて、いつもとは乗る車両を変えていた。
 那津の乗った電車を見送り、那津が立っていた同じ位置に立つ。
 そこから、家々の間に俺の家の屋根が見えた。

 本当に俺と別れたいのなら、この場所に立つだろうか。
 違うだろ。
 あの言葉は本心じゃない。そう思いたかったという願望が、確信へと変わる。

 明日、話をしよう。那津と、話したい。





 例えば、それが恋なら。
 それが恋だと気づいたあの瞬間から。
 これは、きっと、最後の恋だと運命付けられていたんだ。

 だから俺は那津を初めて抱いたその日の夜、那津を家に帰してから、覚悟を決めて両親の前に座った。

「父さん、母さん、――話があるんだ」

 家を出たいと言ったら、許してもらえるだろうか?
 反対されたら? 理由を訊かれたら?

 それでも俺は、那津と一緒にいたい。

 那津、那津は別れを恐れているけど、それじゃあ遅すぎるんだよ。
 恐れるなら、出会いを恐れるべきだった。俺と那津はもう出会ってしまった。そして、恋に落ちてしまった。
 それならば、この恋をまっとうしよう。
 そう、それこそ一生という長い、永い時間をかけて――。

END

2008/10/25


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