酔いの明星 グビリと盃を乾す。酒精に喉がカッと熱くなる。そんなものでもなければやっていられなかった。布団の上、胡座をかいて親友と向かい合う。こんなときにも赤いハチマキは謎の風にたなびいている。それが、いっそ忌々しいくらいだった。言い出したのは彼の方なのだから、当然、覚悟はできている、ということなのだろうけど。学生服ではない、浴衣一枚を纏っただけの親友の姿は、新鮮で目に馴染まない。そんな恰好でいてさえ、窓枠越しに月でも背負えばこの男は絵になってしまうのだから、つい見惚れてしまうのも仕方がないことだろう。 「美丈夫というのは何をしていてもさまになるものだな」 酒が回ってぼんやりとし始めた頭でそう呟いた。おまえはホントウにいい男だ、羨ましいかぎりだよ。そうすると、珍しく、柄にもなく、頬を染めてはにかんだりなどするものだから。こいつにも、こういう、かわいいところがあるのだなあと――思ってしまった。ハチマキも心なしか元気に暴れているようだ。感情の読みやすい奴である。この男の裏表のないところが好きなのだ。 それにしたって――「かわいい」はないだろう、と自分を問い詰める。同じ歳の成人男性だ。背なんか僕よりも高いし、体格もいい。男らしい勇ましさもあり、それを無謀にしない力と、才能を持っている。加えて顔もいい。早口言葉に弱い以外は非の打ち所がない完璧な男だ。性の別を問わず、それこそ老若男女が彼を素晴らしい人物だと讃えるだろう。まかり間違っても、「かわいい」なんて形容詞の似合う男じゃないのだ。 「ぼうっとして、何を考えている」 「おまえが、かわいいなあ、と」 ついホントウのことを口にしてしまう。相手がこの親友でないなら嘘でもついて誤魔化せばいいのだけど、こいつの前ではそうはいかない。嘘をつけないのか、つきたくないのか、どちらかと聞かれればその両方だ。この男のまっすぐな目に見つめられると、嘘をついている自分が恥ずかしくなる。虚言で保身をはかるような輩は彼の親友に相応しくない。そう思わされる。僕を親友と呼んでくれる彼に恥じない人間でありたいのだ。僕は。 「かわいい、か。オレをそんなふうに評すのはキサマくらいなものだ」 「まあ、そうだろうね」 おまえにそんなことを面と向かって言ったなら即座に叩き斬られかねないものなあ。なんて呑気に思う僕に膝でにじり寄り、少し前のめりに親友は尋ねてくる。 「それで?カクゴは決まったか?」 覚悟は――正直に言おう、忘れていた。忘れていたかった。 こうして布団の上で酒を酌み交わしている理由。そもそもの事の始まりを。 僕はこの完璧を絵に描いたような親友に、愛を告白されたのだ。『キサマを抱きたい』と。惚れている、とか、好いている、という言葉ではなく、抱きたい。友情の「好き」ではないのだと、容赦なくつきつけられた。モチロン、彼が見る僕がどんなに愛しいものかも、懇切丁寧に教えてくれた。聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいに。途中で話を遮らなければ今頃何を聞かされていたかわかったものじゃない。その場でおまえのそれは勘違いだとか、僕はおまえが思うほどの人間じゃないとか、いろいろな反論を試みはしてみたものの。それらはすべて「異議あり」の一言で斬り伏せられてしまったのだった。さすが弁護士。ホントウにカッコいいやつだと思う。でも、それとこれとは、別だ。 彼に恥じない人間でありたいと言った舌の根も乾かぬうちになんだが、逃げ出せるものなら逃げ出したい。いっそ聞こえなかったことにでもしたかったがここまで来てその手は使えないだろう。どのみちもう一度繰り返されるのがオチだ。せめて少しでも、と視線を膝に落とした。真正面から向き合うなんて無理だ。まだ酒が足りない。羞恥心が邪魔をする。今だってどんな顔をしたらいいのかわからない。この亜双義が、ほぼ完璧な男が、僕を――抱きたい、なんて! いや、どれだけ酔ったところで、平気になるということはないだろう。それに、そう、親友の真摯な思いに泥酔状態で応えるなんて不誠実だ、不義理だ。まだその手があった。 「あ、亜双義?や、やっぱり僕、」 「キサマ、よもやこの期に及んで、腹を括れないとは言うまいな」 刀に手をかけるな!鯉口を切るな!なんで今持ってるんだ!? 「狩魔はオレの誇りであり魂なのだ。常に肌身離さず持っているのは当然だろう。安心しろ、たとえ何があってもキサマに刃を向けることなどないと誓おう」 悲鳴虚しく。退路を断たれてしまった僕は、改めて布団の上に正座をし、親友に向き直った。その頬に僅かに朱がさしているのは、酔いのためか、あるいは? あのとき、彼はどんな顔をしていたかしら。 『オレは、キサマを――』 笑っていたような気もするし、緊張した面持ちだったようにも思う。周囲に人がいなかったのが幸か不幸か、聞こえなかったフリは不可能で、僕は不審な目で見られる心配もなく挙動不審になれた。それも見越した上での告白だったのだろうけど。熱い視線が僕を射抜き、熱風が頬を撫でるのを感じながら、その熱さが何に起因するものか、その一端を知るハメになる。 「まあ、おまえももっと飲めよ」 盃と徳利をつきつける。こちらばかり酔わされているような気がして、危機感を覚えたためだった。亜双義はふ、と微笑って盃を取り、僕の酌を受ける。一息に盃を呷る、そんな何気ない動作でさえ目を惹く。その逞しい喉仏が嚥下に合わせて上下するのを羨みながら、酒の回った頭をめぐらせる。 行為自体に嫌悪があるわけではない。婚前にそういったことをするのはよろしくないが、龍ノ介は男であり、相手も男だ。キズがつくわけでもない。欧州からの文化の輸入に伴い同性愛そのものが罪だとする向きもあるようだが、僕はその考えには否定的である。だから、行為にも、好意にも、問題はないのだ。 しかし、どうだろう。僕はこの男に抱かれたいのだろうか?積極的に抱かれたいわけではないから、その問いには否だ。だが、抱かれても構わないかと聞かれれば――構わない、ような気もする。親友が僕を抱きたいといっていて、僕は抱かれても構わないのだから、ことさらに拒絶する理由は、ないのではないかしらん? 覚悟を決めるときだった。 「亜双義ッ」 膝の上で拳をグッと握る。心臓がバクバク音を立てる。 「僕は」 出された提案〈プロポーズ〉にイエスを返すだけなのに、どうしてこうも緊張してしまうんだろう!こんなことならその場で返事をしておけばよかった。後悔したところで後の祭り。 さあ、答えを。 言え。 亜双義の目が強くそう訴えてくる。全身が燃えるように熱いのは、きっと熱風のせいだけじゃない。 「おまえになら、ぜんぶ許すよ」 おまえはどんな顔をして僕を抱くんだろう。見てみたいような気もしたし、見てしまうのが恐ろしくもあった。いや、たぶん、それは見るべきではなく、見てはいけなかった。それを知ったが最後、僕はきっと戻れなくなる。忘れられなくなる。おまえに恋をしてしまう。それがありありと予感できたから、かたく目を瞑った。 「成歩堂」 酒気を帯びた、熱っぽい息が顔全体に吹きかかる。僕を強く捕らえて逃さない掌。唇に柔らかな熱が触れる。力強い言葉を紡ぎ出す形のよい薄い唇が、僕のそれと重なっているのだ。事象としてはそれだけのことだ。それだけ、と言ってしまえば、それだけのこと。 なのに。 舌先で唇の合わせ目を抉じ開けるようになぞりながら、 口を開けろよ。 などと言ってくるのだからたまらない。そうは言うがな、と反駁しようと開いた口に、すかさず舌が侵入してきて、何も言えなくなるのだった。 「あそおぎ、」 口づけの合間に漏れる声は、差し込まれた舌のせいで呂律が回らず、ただ名を呼ぶ以外に言葉を発することができない。酔っているのはまるでこちらだ。何に酔っているかといえば、恥ずかしいけれど、親友の、相棒の、亜双義の、その熱情。 「ぼくをぜんぶ、おまえのものにしてくれ」 16/10/1 ← |