色相反転 クズ揃いの兄弟の中でも俺はとびきりクソったれなゴミだ。そのクソさたるや、ナチュラルボーンクズで知られた兄弟たちすら顔を引きつらせるほどである。コミュ障の社会不適合者のほとんど引きこもりのニート。犯罪者スレスレ。死んだ方がマシ。 そうは言っても、誤解しないでほしいのは、これで俺は自分を好きだということだ。メンタル弱男の自虐系クズなど自分を好きでなくてはやっていられない。自虐と卑屈は自己愛の代名詞と言っていい。自分が好きで、傷つけられるのが嫌だから、先回って自分を傷つけておくのだ。そんな卑怯さで俺は俺を守り続けている。 「自分を好きになる薬」 トド松から突きつけられた薬瓶には手書きのラベルが貼ってある。中身はピンク色、というより紫色に近いどろどろの流動体だが、この手の薬のビジュアルとしてはまだマシな方だ。例によって博士謹製で、効力は折り紙つきである。博士の頭脳がそれだけ優れているというわけではなく、博士の作った薬はその名のとおりの効能を発揮する、というお約束になっているだけだ。それがこの世界のルールだから。単にプラセボなのかもしれない。 兄さんのクソみたいな性格が少しでもましになればと思って、とのたまう弟の顔には打算が見え隠れしていて、少しばかりお小遣いを貰っているのだろう。とはいえその言葉も八割方本心には違いない。俺が少しはまともになれば、並んで歩くことも恥ずかしくなくなるし、友人たちに紹介もできる。そんなことをきっぱり諦めきれないのは、末っ子特有の寂しがりからだろうか。どこまでも自分本位で清々しく潔く惚れ惚れするほどのクズ。そんな兄弟たちが俺は好きだった。 「いいぜ」 可愛い弟の頼みだしね。 「五割にまけてやるよ」 「ウッ…なんで気づくかな!」 「結構顔に出るよ、おまえ」 どうせ大した金額ではないのだろうが。怪しい薬を飲んで、経過をちょっと報告するだけで金が貰える。楽なバイトだ。どうせ日がな一日家でごろごろしているだけの非生産的な(出すものといえば便とゲロとザーメンくらいなものだ)体なのだからと、俺たちは被験体をかってでることに抵抗がない。被験体と言ったって前述のとおりであるから、その報告を受けて何かが改良されるなんてことはなく、名前通りの効果さえ確認してしまえば責任もないのだから気楽なものだ。実際それくらいしか使い道はないのだし、己の自由にできる資産を有効活用しない手はない。たとえ救い難い化け物のような姿になったって、一晩寝れば元に戻る、そういう世界なのだから構わなかった。 瓶の蓋を開けると甘酸っぱい匂いが漂い出た。果実のような、というより吐瀉物のような饐えた臭いだ。あまり食欲はそそられない。持ち上げて鼻に近づけてみる。苦くはなさそうで少しほっとする。目で最終確認をとり、中身を一気に呷る。ひどい味だ。嚥下しようとしているものが薬なのか逆流してきた胃液なのか定かではない。俺たちとしてはそこを改良してほしいものだが、調合自体は適当で、大抵は偶然の産物なのでそういうわけにもいかないらしい。吐き出さないように口を手で覆い、なんとか飲み下す。 「どんな感じ?なんか、変化ある?」 「ゲロ食ったみてえ」 「やめてよスカトロ兄さん」 ここで水でも差し出してくれれば可愛げもあるのだが、やはりクズはクズなので、のろのろと台所を目指す俺に見送りの言葉すらなかった。まるで人扱いされていない。そう思うと気が楽になる。人扱いされていないのだから人並みに振舞わなくていい。もしくはその逆なのか、鶏と卵だが。 食器カゴからコップをひとつ取り、水道水で口をゆすぐ。冷蔵庫の牛乳をがぶ飲みしないのは(もちろん、そうしたいのはやまやまだ)体内で薬の成分が薄まってなんちゃらかんちゃら…ということがないようにとの気づかい。とは冗談で単にあまりにも不味いので何を飲んでもあれの味になり気持ち悪いせいだった。 一息ついて、ふと手にしているコップに気をやった。幼稚園や保育園で使うようなプラスチックのカップ。原色の青。俺たちは六つ子であるからして、親から買い与えられたものはすべて兄弟共通である。普段着ているパーカーやパジャマといった衣類から、歯ブラシやシャンプーのような日用品(トド松のようなこだわりのあるやつはシャンプーなどは自分専用に自分の金で買うこともある)、食器ももちろんそうだった。食器なんて洗えばどれを使おうが問題ないだろうと思うが、しかしそうもいかない難儀な性格をしているのがひとつ上の兄だ。兄弟であれど歯ブラシや食器の共有は我慢ならないとしてひとつの案を出した。それが色分け。パーカーは初めからそれぞれ着る色が偏っていたので、それを基準に自分の色を決め、日用品の色を統一するというものだった。俺は紫色で、薄情な末弟はピンク。この青色は――次兄のものだ。それに気づいて、俺は顔をしかめた。不快感がぞわぞわとへその裏から体幹を這い上がって噴出する。食器の使い回しは嫌だと主張するチョロ松の気持ちが理解できる。一種の縄張り意識だ。六人もいれば個室などあるわけもないから、プライバシーという概念は崩壊する。そのうえ雑貨を共有するというのは、細やかな縄張りを侵食されているように感じてしまうのだ。 兄弟の中で唯一、次兄が嫌いだった。優しく思いやりがあり、気が利かないのとイタい言動とファッションセンスに目を瞑れば兄弟で一番いい男(ただしクズには変わりない)だろうカラ松は、考えなしの頭空っぽのくせに時にいやというほど常識的な反応をする。ただのバカならよかったのに。 野良猫は食糧や安全な寝床のために縄張りを決め争う。俺たちの縄張り争いは、実際のところ、愛情というリソースの奪い合いに他ならない。愛情なしに生きるのは難しいが、俺たちに与えられるそれは元々多くない。しかも争い勝ったとしても愛情を得られるとは限らないのだ。――ここにクズである利点がひとつある。クズだから愛されないのだ、という言い訳がたつ。誰に?俺にだ。真面目に誠実に生きて、それでも愛されなかったら?それを考えると恐ろしくて、俺はガタガタ震えてしまう。ゴミのように生きれば愛されないことに怯えなくていい。だってゴミは誰にも愛されないものなんだから!俺は卑怯で、臆病で、弱いのだ。すべてはそれに尽きる。 それを、こいつは暴き立て、引き裂く。俺の心の内を知りもしないのに、まるで俺がまともであるかのように扱う。信じてるとかそんな口当たりのいい言葉で、本心でもないくせに。他の兄弟たちのように俺の自虐に付き合ってくれない。クズであることをアイデンティティーにしている俺にとって、それは領域侵犯だ。 己のミスと自覚はあるが、口内のクソ不味さもあって八つ当たりせずにはいられなかった。「クソが、」毒づきながら空のコップを壁に投げつける。プラスチックのそれは軽く跳ね返って、 「オレが今帰ったぜブラザァ…イッテェ!」 嫌なタイミングで帰宅した次男の額に命中。誰かサイキックでも使ったのかと思うほどの命中ぶり。ナイスコントロール。 「ッ!天からマイカップが?!」 そっぽを向く俺と、スマホをいじりながら俺を指差すドライモンスター。舌打ち。 「事故だよ事故」 「そ、そうか…いや何があったか知らないが一松、物を投げるのはノンだ。何でも大切にしてやればいずれそこに魂が宿るのさ…アンダスタン?」 バン、と銃を撃つフリ。イタウザさもさることながら、その内容も腹立たしい。至極真っ当なことを口にするこいつが恐ろしい。俺と同じのくせに。自分で自分を愛するしかないくせに。誰にも愛されないくせに! 「俺は、俺はな、テメエのそういうところが」 嫌いだ。 「好きだ」 ……今、何か変な言葉が聞こえたな? 俺は嫌いだと言った。心からそう思ったし、心のままに口から放った。まかり間違っても「好きだ」なんて聞こえるはずはない。オーケー、ビークール俺。念のため証人を召喚。 「録音とか、してないよな、トド松?」 「してたよ」 してたんかい!そんな予感はしていたが。いや「聞く?」じゃねえよ聞かねえよ再生してんじゃねーよおいコラボケカス! 『テメエのそういうところが好きだ!』 はい完全に告白ですありがとうございました。いくらクソ松でも戸惑って―― 「フッ…おまえの愛、確かに受け取ったぜ。マイリルブラザー、一松…」 なかったー!この頭空っぽ野郎!普段あれだけ塩対応の弟だぞ!何か裏があるんじゃないかと疑ってかかるところだろ!何受け入れてんだ!お人好しか?! 「だからテメエなんざ好きだってんだろ!!!」 感情の昂りが拳に形を変える。渾身のボディーブロー!回転しながら吹き飛ぶ兄の体!爆砕する壁! 「照れ隠しに殴るとか(笑)そういうツンデレいまどき流行らないから(笑)」 「殺すぞ」 照れ隠し以前にそもそも好きじゃねえし。かくなる上は、コイツらを証拠(の入ったスマホ)共々闇に葬るしかない。ジェイソンの仮面を被り(こういうのは気分が大事だ)、壁にめり込んでいるクソを念入りに埋め込み、突き出たケツをガムテープで固定する。ケツ穴封鎖。KEEP OUT。ぐるりと首を回して振り向くと悲鳴があがった。 「次はおまえだ」 「待って待って待ってデータ消すからお願い許して」 超速でスマホを操作して画面を見せる。見せられたところで、その手の機器に疎い俺には本当に消されたかどうかわからないが、とりあえず信用しておこう。 「原因はあの薬だろ。『自分を好きになる』だったか?六つ子だからって自分判定ガバガバすぎんじゃねえの」 というかクソ松を好きになんてなってないし。 「それなんだけど…」 トド松が瓶から手書きのラベルを剥がし、その下にあった本来の名前を見せた。 「嫌いを好きにする薬…ねえ」 子供の好き嫌い克服を目指す調味料みたいな名前だ。それがこの薬の本当の効果らしい。なんだってそんなもの、わざわざ名前を誤魔化したんだ? 「カラ松兄さんのこと、好きになった?」 「なってない」 「返事早ッ!そうなると、心の方には影響がないってことか」 「くだらねえ…」 そんな薬、無意味だ。言葉を繕っただけの好きにどんな価値がある。そこに心がないならただの言葉など。 「でも言葉って大事だよ。表面を取り繕うのも円滑な人間関係には必要だからね。それに言葉だけでも、好きって言われたら嬉しいものじゃない?言ってるうちにほんとに好きになってくるかもしれないし。 ま、こんなこと友達いない社会性ゼロコミュ障の兄さんに言ったところで無駄だろうけど」 「おまえがネコを被る理由ならよくわかった」 ネコを被るって言葉はかわいいよな。字面だけは。 「あ、僕、このあと女の子と会う約束があるから。カラ松兄さんの処理はよろしくね」 にこにこと言い残してこの空間からの撤退を始める末弟。 「はあ?!おい、ちょっと待てよ、コレと二人にすんなよ!」 クッソ気まずいんですけどお?! 「…一松?この暗き監獄から解放してほしいのだが…」 「一生そこに埋まってろ家具は喋んじゃねえ」 ケツが喋ってるみたいでダッセエの。ヒヒッ、と笑ってやったのに壁の中から反応はなかった。なんだよつまらねえ。つまらないから、足先でクソ松の脚をつつく。 「…おまえ、俺なんかに好きって言われて、ほんとに嬉しいの」 「フッ…もちろんだ。愛しいブラザーの愛が嬉しくないはずがない」 愛ったってね。 「それが嘘でも?偽物でも?」 そんなものを自分以外に分け与えられるほど、俺のそれは多くない。自分を愛し、猫に友愛を抱いて、それだけで容量いっぱいだ。家族愛も両親を筆頭に上から順に振り分けられて、次兄まで行き渡ることはない。 「愛に偽物も本物もないだろう」 キョトンとして、何言ってるんだ、と。口調から察して、きっとそんな顔をしている。その顔をしたいのは俺の方なんですけど。 心からの言葉でも、口先だけの愛も、コイツにとっては同じもの? 考えてみればまあそうなんだろうなと思う。だってコイツ自身、口先だけの愛を振りまいているんだから。俺と同じで、どうせ誰も好きじゃない。自分だけを好きなナルシのくせして、薄い言葉で愛だなんだと語って、“愛してくれる誰か”を待ってるんだから馬鹿もいいとこだ。クソみたいに薄っぺらな言葉だけの愛で愛してもらおうなんて虫がよすぎて呆れる。だけどそれも、コイツの中ではすべてが同等の価値をもつんだとしたら納得できた。 馬鹿みたいだ。 というか、馬鹿だ。 「俺さあ、やっぱりアンタのこと好きだよ。大好き」 嫌いだよ。 大っ嫌いだ。 自分で言いながら吐き気がしてくる。それでも舌は勝手に好意を吐く。まるでそれが俺の本心みたいに。こんな言葉でも、コイツにはきっと本物の愛と変わりなく響くんだろう。 「っ本当か?!」 カラ松がガタガタ暴れている音が聞こえる。 だから俺はコイツが嫌いだ。絶対に相容れない。俺が俺であり、コイツがカラ松である限り、一生。 「壁、壊すなよ…」 自然とため息が漏れた。 結局のところ、薬の効果は一晩で切れた。まったく都合のいい世界だ。俺とカラ松の関係は変わらない。相変わらず俺はあいつが嫌いだし、あいつはあいつで鏡ばかり見ている。何も変わらない。それこそがこの世界の正義だ。不変こそ正しい。永遠に不変のおそ松兄さんが絶対的正義であるように。 俺たちの争いは愛情の奪い合いだ。カラ松は敗退し、俺はそれを尻目に最後尾を歩いている。 だけど、もし、もしかしたら、僕が投げつける偽物の愛の言葉が、あいつを満たせるのだろうか。そうすればいつか、偽りじゃない言葉が返ってくるなんてこともあるのだろうか。そうすれば、このレースをリタイアすることもできる。 そんな夢をみることも、僕にはできるというのだろうか? 16/6/12 ← |