2015/09/15 17:29 春が終われば梅雨が来て、――あの人の季節がくる。もう何年も経っているというのに、私は未だあの夏を忘れられずにいる。 「なんだ、きみはまた呆けているのか。飽きないなア」 くく、と京極堂が笑う。朗らかでもなく、沈み込んでもいない。心地良い声だ。彼の声はいつも平坦で乾いている。 「きみの庭――今年も綺麗な花が咲くな」 緑の庭の片隅で、淡い青色の紫陽花が毬のように花をつけていた。雨が薄く煙る中では輪郭がぼやけてまるで水彩画のようだ。雨に打たれて、紫陽花の傍らに彼女が佇んでいるような気がした。その腕に赤子を抱いて。――私もあの絵画の中にいきたい。 「当然だろう。あれも生きている。それに僕が手をかけているからね」 なんでもないことのように言って、彼は。 「きみも生きているのだ。あまり死人に心を寄せてはいけないよ」 いつの間に傍に来ていたのか、私の上に屈み込み、額に口づけを落とした。 京極堂の手に視界を奪われた私は、その手を透かした向こうを瞼の裏に描く。雨の降る庭。私と京極堂を見る藍色の紫陽花。それは記憶だ。この庭が彼だけのものだった頃の。 「……こういうのは、口にするものじゃないのか」 「それは、してくれってお誘いかな」 手を伸ばして離れ行く情人の襟元を掴み、優しい接吻を受ける。ちらり、と横目で見た紫陽花は可憐な紫色で、私はあれを贈れば妻も喜ぶだろうか、と思った。 2015/05/24 |