とりとめもないはなし | ナノ



 白菊は、似合わないと思った。
 けれど慢性的に寒い財布をはたいてお隣の花屋を訪ね、その強面の店主がつくりあげた小洒落たブーケだ。いや、屁怒絽様のセンスを疑っているわけではなくてですね、いや、マジで。どちらにしろ何も質問をされなかったのはありがたい。それともそれほどにまで自分は顔に出していたのかと、薄藍に滲み始めた河原を歩きながら、銀時は自分の頬をつねった。
 震える鴉の声にするりと長く戻る意識も相まって、白菊を主として秋の草花を添えた花束はどこか郷愁を誘う。
 ふるさと。生家を見たこともない身の上で、その四文字を転がすのは妙に後ろめたい。しかし帰りたいと思う家くらい、おのれにもある。ふるさと、ふるさと。舌先で幾度も幾度も反芻する。ふるさとは懐かしいあの村である。いちいち腹の立つ学友や慕わしいあのひとがいたあの場所である。そこで自分は確かに仕合わせであった。帰りたくとも帰ることなどできやしないが、そこを故郷と呼んでみるくらいのことは赦されるだろう。
 そもそも先日旧友にどうのと言われたからでもないのだが、なんとなく花なんぞを買ってみようかという気になったのだ。白菊はやはりまずかったのかもしれない。霞がかってしまった記憶なんぞに、不意にも浸ってしまうから、それこそ師が今頃彼岸で噴き出している可能性も否定はできない。なにしろあの人は意外と笑い下戸だった。
 ぶらぶらと歩きながら脈絡もなくそんなことを考える。
 永遠となってしまった「いってきます」の声も、顔も、今となってはおぼろになっているのに、そのくせ護送用の籠を運んでゆく青臭い風の匂いだけは忘れない。
 天は高く遠く、陽だけが赤々と西の空で揺れていたことも。

* * * * * *

 今から数週間前。
 麗らかな午後の日差しに誘われ沖田は巡回のサボ、じゃなかった、自主休憩をしようと団子屋へ足を伸ばしていた。耳元のイヤホンからは出囃子、膨らんでは萎むのは風船ガム、この様子を土方にでも見つかろうものなら彼の怒り狂う図が拝められただろうが、幸か不幸か、その土方は松平に捕まり近藤と共に上城している。
 雲の端が緩やかに色をなくした空に溶け込むような陽気だ。吹き抜ける風は秋の枯れた冷たさも、夏の纏わりつくような熱もなく、代わりに微かに野焼きの匂いをさせていた。
 馴染みの団子屋の長椅子に、積み重なった皿を見つけたのは匂いを払うように軽く鼻を啜ったその時だった。
「……珍しく金払いがいいじゃねーですかィ、旦那」
 覗き込むように声を掛けて沖田はハッとした。団子を頬張る男がじっと眼前の小川を見つめていたからだ。もっとも沖田がそのようないつになく真剣な表情を見たことがなかったわけではなく、しかし沖田の知る限り糖分を前にすれば己の崖っぷちすれすれの血糖値など微塵も省みない男が、これほどの甘味を平らげているにも関わらずこのような顔をするのが意外なだけのことだった。それは沖田の知っている男の顔であったが、沖田の知らぬ静かな表情だった。そう、言うならば故郷を離れる時、最後に振り返って垣間盗み見た姉の、寂しさと、嬉しさと悔しさとを押し殺して醸し出された静謐さと同じ類のものである。
 男はゆるりと頭を振り、頬張っていた団子を呑み込んだ。
「おきたくん?」
 見上げた胡乱な目はいつもと変わらぬ見慣れたものである。
「へィ。依頼でも入ったんですかィ?それともツケ、食い逃げ?」
「人聞き悪ぃこと言ってんじゃねーよ。人にたまにはパァっと派手に食いたい時もあるものだよ、分かるかね総五郎くん」
「総悟でさァ。派手に食いたいと言う割には随分とシケた選択ですねェ」
「うっせーよ。いいよなぁ安定した給料貰ってる公務員様はよぉ。つーかなに、総一郎くんお前今仕事だろーが」
「総悟だって言ってやすでしょう。まぁ、でも休憩も重要だと思いませんかね旦那」
 休憩ってお前要するにサボりの中の仕事じゃねーかと半眼で見やった銀時をものともせずに沖田は長椅子のもう片端に腰掛けた。手を上げ団子を頼むと、改めて銀時に振り向いた。
「あんた今日誕生日じゃねぇですかぃ、旦那」
「あー、まぁそうなんだけどね」
 何とも気まずそうに頭をかき回しながら呟く銀時のその表情はこそばゆく、運ばれてきた団子にかぶりつきながら沖田はそんで、と続けた。
「で、その本日の主役はなんでこんな所で寂しくやけ食いしてるんで」
「いや、本日の主役追い出されたんだよ」
「そんなん毎年恒例のことじゃねーですか、何で落ち込んでるんでぃ」
「落ち込むも何も、三十路に突入するのにキャーキャー喜べるわけあるか」
 女子高生じゃああるめーし。やや憮然とした顔で親父、もう一皿と銀時は店内へ呼びかけ、それからゆっくりと息を吐いた。それに、と彼は何かを言おうとして、結局は言葉を呑み込んだ。続けるのに思い切りをつけているようでも、落ち着こうとしているようでも、ためらっているようでもあり、団子を嚥下して串を弄びながら沖田は待った。
「それに、一人で、何もしない時があるのもいいんじゃね?」
 本音は、きっとこれだった。慎重に言葉を重ねるのも、最後で尻すぼみになるのも、目を合わせずただ前を見ているのも、そうだ。
「三十歳ってのは感慨深ぇよな」
 こんなに長生きするつもりなどなかった。これは無意識の一言であったろうが、沖田にはこのふわふわとした冗談みたいな頭を持つ男が生き急いでいるようにも、死に急いでいるように見えなかった。
 この人は、と沖田は思う。この人は、なぜ他の何ものでもなく、剣を取ってしまったのかと。このどこまでも不器用で荒々しく馬鹿で優しい人は、いかにして坂田銀時になったのかと。沖田は思った。しかし知ってはならないとも、知っていた。
 感慨深いって、存分に反面教師になれるからですかぃ。
 茶化す声は団子と共に呑み込む。

* * * * * *

 あの頃は先生になると思っていた。
 本を読む声が届けば、並んで素読、はしなかったが、する学友もいた。防具を手に取れば駆け寄り一手を乞うた。負かされればもう一本と縋った。畑にいると聞けば共に土を弄り、蛙を捕まえおどかしたことも、このような夕暮れに汗だくで帰った時の冷えた西瓜もおかえりなさいも、覚えている。細かな欠片ばかり、手元に残る。繋ぎ合わせてできたのは、ただの幸せなこどもだった。
 自ら生まれた日に黄泉の人を想うのは、少しばかり後ろめたくもあったけれど、けれど彼なしには、きっとこの日もない。それどころか、坂田銀時という人間は、生まれることさえがなかったのだ。
 だから先生になると思っていた。家を継ぎ高杉は藩に仕えて、桂は医者になって、ならば自分は先生になると思っていた。糖分王になるのももちろん夢であったが、そんな未来がより近いところにあってもよかったはずだ。月を見ながら団子ではなく酒を飲んだ日々があっても。
 ヤマメを貰ってきた日、塩焼きより刺身が食べたいと言ったのと同じ調子で、状況が芳しくないなどと零したものだから、いつまでも手本になると思った人が三十の歳で空にいるとなったから、最後の一秒を永遠として生きることになったのだ。
 享年三十。先生に訊く。それ以降はどう生きれば良い。

* * * * * *

「沖田くんさぁ、エスパーってどう思う?」
 しばらく口を閉ざしていた銀時の第一声に、沖田は数度瞬いた。ここに眼鏡がいたならば、間違いなく訝しんで顔を歪めると共にツッコミが炸裂するだろう。
「エスパーですかぃ。俺土方を確実に仕留めるエスパーには金を払って貰ってもいいですがねぃ」
「それ暗殺だろーがというか何でお前が金貰ってるんだよ」
 いやそういうことじゃなくてさ、茶を流し込み、銀時が袖で口元を拭った。湯呑から昇る湯気をそれとなく見つめる。野焼きの目に見えぬ煙と薄い湯気とがどこかで交わりどこかで消える、その先を視線でたどる。色づく直前の緑が燻り揺らいでいる。
「確定された未来ってどう思う?」
 ふと声が落ちてきて、沖田は見慣れた格好の銀時に目を戻した。
「もしかして旦那そんなのに嵌ってるから金欠なんで?」
「バカヤロー。んなわけねーだろ」
「そりゃあすいやせんでした。未来は、そうですね」
 先のことがわかったら楽しくないじゃないですかぃ。
 辺りの風景は切り取った一枚の葉書のように不動で広い。この茶屋の、この街の、この国の、この人のこの先を想像しようとして踏みとどまる。どれほど願おうともどれほど祈ろうとも、自分の思い通りにいくものは何一つないだろう。成らぬものに夢想を馳せるのも馬鹿馬鹿しかった。
「楽しみがないと生きて行けねーでしょ」
 呟いて沖田は上着の内ポケットを探りながら立ち上がる。それを、珍しく少々焦りを滲ませた声が引き止めた。
「じゃあ、取り返しのつかないことは」
 団子の皿越しに睨むように見上げる銀時から目をそらし、沖田は茶屋の道の先に目をやった。忙しなく流れる人と銀時と見比べふっと笑った。
「あんたは人間じゃねーですかィ、旦那」
 その時の銀時の顔を沖田は見なかったことにしている。
「じゃあ払っときますんで。土方の金で」
 お邪魔しやしたと気のない声で踵を返そうとすれば、いやいや、俺が払うしツケるしと喚く声がする。あんたこれだけ食っておいてやっぱりツケなんですかィと沖田は盛大に溜息を吐いた。
「三十路の初日から借金というのもまずいんじゃねーですかィ」
「いつそんなに大人になったの沖田くん」
「当たり前じゃねーですかィ。人の成長を十八で止めねーでください」
 旦那こそそんな辛気臭い顔して、老けたんで。
 うっせまだまだピチピチですぅとの戯言を背に、沖田は今頃は折り紙の輪飾りで埋め尽くされているだろう万事屋に寄ってみるのも一興かもしれないと、次の休憩ポイントの思案を始めていた。

* * * * * *

 その後の馬鹿騒ぎを思い返せば今でも頭痛に襲われる。そもそも月詠の手に酒瓶が渡った時点であれは己の誕生日を祝うものではなく誕生祝いの薄い皮を被った―いや、被ってさえしていなかった―ただの酒宴となっていた。憶えているのは二日酔いの吐き気と近所へ謝りに回った新八の本体だけである。
 しかし飲めば飲むほど、騒げば騒ぐほどに思い出す。料理は壊滅的だったくせにケーキを焼いたことも、それにナイフを入れた瞬間にぽろぽろ崩れたことも、次の年からは大人しく買ってきたことも、そのまた次の年もあるのだと何の疑いも持たずいたことも。
 胸の奥がつまるようなほろ苦さは、言葉にしてしまえばさいご、たちまち崩れてしまう脆い感情だった。
 ぶら下げてきた花束を橋下へ抛る。このまま流れてしまえばいいと思った。それは願いだった。ゆるやかに浮き沈みを繰り返した花は―――白菊を主として秋の草花を添えた仏花は、やがて銀粉をまぶしたように輝く川に呑み込まれていった。

「ぎっんちゃーん!」
「ふごォッ?!」
 とりとめない考えをぽつりぽつりと浮かばせながら歩いていると、辻に差し掛かったところで突然腰に衝撃がやってきた。痛みに呻きつつ見下ろせば、朱鷺色の頭である。
「何だ神楽、今帰り?」
 後ろから腕を回して抱きつく少女は、銀ちゃんが見えたから一緒に帰るって抜けてきたヨとにかり、笑った。見れば河川敷に子供が数人集まって駆けまわっている。しかし神楽と遊んでいたのはそこから少し離れた、川向こうにいる少女二人だろう。
 なにやら照れくさいような居心地の悪さをごまかすように銀時は頭を掻く。真正面からぶつかってくるこどもの(もうこどもとも言い難いかもしれぬが)、親に寄せるような無条件の親愛はいまだにこそばゆい。神楽は腰から離れてするりと銀時の隣に回り手を取った。何が楽しいのか繋いだ手を大きく振って歩く。
 そうだ銀ちゃん、と少女の碧い瞳が見上げてくる。
「さっきの花はどうしたネ。どこか女の人に告白しそびれたアルカ?」
「お前ねぇ、俺を何だと思ってるの」
 アレはいいんだよと伝えれば、聡明な少女はそれ以上何も訊ねることはなかった。今日の晩御飯は麻婆豆腐アルヨ、肉が入ってないやつ、とそれだけ告げ、彼女は手を一層大きく振って跳ね回る。
 歩き慣れた帰り道をたどって、立てつけの悪い玄関を開ければ、ぐつぐつと煮え立った鍋から漂う夕餉の匂いと、客間の中古テレビが飛ばす聞き古した冗句と、それと少年のおかえりなさいの声が出迎えてくれるのだろう。左手を握る娘の手のぬくもりに、このあたたかくやさしい日常に、不意にたまらなくなる。ほろ苦さに何かを足したような、しかしこれも言葉にしてしまえば壊れる脆い感情。いつか失った、二度と持たぬとさえ思った温度。
 これは彼の人の望んだ光景であるが、彼の人と共に望むはずだった光景でもあったのだ。
 悔しかった。彼の人も悔しかったろうか。生きたかったろうか。いってきますの一言に果たしていったい、どれほどの感情が詰め込まれていた。
 嗚呼、万感の想いの混じった吐息が零れる。今日だったのだ。十数年の、今日だった。
 誰もが勝つのだと鼓舞していた、豪語していた、そして信じていた、始まる前のままに時が止まってしまえばいいのに。
 あなたが旅立った日、わたしが最後の絶望を味わい最初の咆哮をあげた日、聖域を包む焔のそれと同じ色が、なかなかどうしてこんなにもきれいになってしまったのだろう。
 十月二十七日。享年三十。
 貴方と同じ歳になり、あの日の貴方を超えるということ。それだけの、はなしではあるけども。


 




2014・10/31


――――――
連載十周年に際してもう坂田さんは否が応にも三十路ですね(笑)
坂田はきっと今以上の幸せを考えることはできない人なのではないでしょうか。
そして十月二十七日ではありませんが、すべては百五十五年前に終わり、始まったのだから。





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