隠れ咲く優しさ | ナノ



 もはや習慣的に付けたライターは、間髪入れずに叩き落された。てめっ、燃え移ったらどうすんだと睨めつけるよりも先に妙に眩しい色をした頭が廊下を過り、目を細める。視線に気づいたのか男もそれとなく振り向き、あ、と言ったのが見えた。
「何、多串くん風邪?風邪で人の税金使ってんの?」
 そうほざくなり男はそうするのが当然というように部屋に入り、堂々と椅子に座った。
「払ってからにして下せェ旦那。肺炎ですぜ」
 ざまぁと笑った青年がこれは当分の間没収でさァと勝ち誇ったようにライターをポケットに落とす。
 病中に、しかも肺病で寝込んでいるのに煙草を一服点けようとするのはさすがにけしからんと土方は自分でもわかっていた。わかってはいたが、窓際に先日原田が置いていった小さな観葉植物の鉢の他には白い壁、白い天井白い床に布団と気の狂いそうな病室の中でしかも右手には管、この状態で、一日中何をするのでもないのだから、隊服に残っていたライターと数本の煙草はまさに天より差しのべられた紛れもない救いの糸だった。もっともすぐに切れてしまったが。
 クソが。
 銜えたままの紙煙草を噛む。
 入院と宣言した医者もサボりに来る沖田も原田の観葉植物も処理書類を大幅に増やしやがった浪士共も破壊を繰り返す沖田も地味な山崎も、そして何より咳が止まらずついには病院に連行された自分自身も、どいつもこいつも苛立たしい。屯所の自室は今頃溜まった書類で足の踏み場もないのだろう。いや、雪崩れているかもしれない。近藤には一週間は絶対休暇だと命じられ沖田に訊ねれば今のあんたには副長権限などないと片づけられ山崎を脅せば涙目になりながらも頑なに口を割らなかった。
 クソが。
 苦々しく舌先で転がす。
「馬鹿の霍乱ですかねコノヤロー」
 点滴の色水といくばくか青白い土方を見比べた銀時はニヤリとほくそ笑み、ねぇと三つ並べた椅子の上に横たわる沖田の同意を求めた。そうですねー。白々しく返す沖田は一瞥すればアイマスクにイヤホンとの完全防備で完全に昼寝の体制に入っている。
「馬鹿はテメェだろ。鬼だバカヤロー」
「わざとだよテメェが馬鹿だ」
「ンだと天パが」
「あーん?天パが何か?これ何かただのハンデだしー。天パがなかったら銀さん、女の子に滅茶苦茶モテるしー。どっかの瞳孔開いた副長さんなんか見向きもしなくなるしー。よかったね副長さん歩きやすくなって。俺ぁ大丈夫だから。両手に華どころか花畑にするから。羨ましいかよ分けてやろうかマヨネーズが」
「夢は寝て見やがれ何なら俺が直々に永眠さしてやろうか?よく眠れっぞ、アァ?」
 売り言葉に買い言葉に、顔を突き合わせれば時間も場所も構わずに繰り返すこの応酬を、自分は自分の思っている以上に楽しんでいるのを土方は断じて認めたくはなかった。脳を通過せずにポンポン飛び出す言葉に、年相応さの欠片もない。だから口が滑ったと気付いた時には遅かった、のだと思う。アイマスクを引き上げた沖田の燦々たる笑みの後ろに見た禍々しい何かは気のせいではない。きっと。
「おやそれは俺の言いたいことを言ってくれやしたね。今の最後の言葉は胸にしっかり刻みやしたんで、死ねぇぇー!土方ァ!」
「って総悟ぉ!最後の言葉って何?死なねーよ!つかここ病院!」
 ああそうだったどこからともなくバズーカを引っ張り出した(ここで一体どこから取り出したのだと決して訊ねてはいけないがともかく、)沖田に正論が通じるはずもない。そうだそうだ何叫んでんだ俺はと客観的に見ようと努力はしたが、見れば見るほど苛立ってくる。落ち着こう、落ち着こう。落ち着けとの声が腹立たしい。
「おや土方さん、真選組たる者いつでも命を投げ出す覚悟をしなければならないと言ったのはあんたでしょーが。ナメてんですかィ?」
「ナメてんのはお前だよ!こんなんで死んでたまるか」
「こんなんで死んだ日には大笑いしてやりまさァ」
「総悟、おまっ」
 続けようとした言葉の残骸に被さり卵の殻が握り潰された音が喉の奥深くより絞り出された。背を丸め、何度も咳き込む。唾液と、えずきと、痛みとが咽喉で混ざり息苦しさとなり、土方は火塊を当てたように痛む胸元を宥めるために喉を己の手で押さえつく。
「旦那ァ、土方さんを刺激しないでくだせぇよ」
「いや、沖田くんこれどう見てもお前が、って、これ大丈夫なのか、土方」
「大丈夫ですよ、猫並みに命が多いんでぃ、こいつは」
 飄々と沖田が煽る。その慎重に形作られた仮面の下の下にある一縷の心配を、感じ取れぬほど愚かではない。繕って反応を示してやるほどにお人よしでもないが。
「おめぇが言うな、」
 コツンコツンと足音が近づく。沖田を見やれば既に耳をイヤホンで塞ぎ、銀時は部屋をそそくさと去ろうとしていたところだった。
「病院では静かにしなさいって聞こえてんのかコラァ!」
 いや、あんたが一番うるさっ、いや、なんでもないです。
「ごめんなさい」
 婦長の雷より逃れられた者は誰一人おらず、土方はその後も延々と続くだろう小言に目を閉じた。

「で、旦那は何しに来たんですかぃ」
「糖尿か?ついに糖尿なんだろ」
「いやいや、このままだと危ないとは言われたけどね、定期的に検診に来いとは言われたけどね」
「糖尿じゃねーか」
「予備軍と言ってほしいですねー」
 人の音、鳥の声、光以外のものを通さない窓は開けてしまえば、外は鮮やかだった。
 駆けるこどもを見ていた。こどもは犬にボールを投げた。ボールは弧を描き落ち、犬は木にぶつかるところを迂回した。木は雑木林だった。小さな雑木林のある小さな公園を都会が囲んでいた。それを上から見ていた。さして他にやることはなかった。この病室に、書類を持ち込ませるものなら、あの婦長に間違いなく殺されるだろうと思った。それを除けば、やることなどてんで見つからなかった。普段はあれほど忙しいと休みたいと思っていたのに。いざこの上ない休みは、反対に倦怠の波となって襲いかかってくる。
 距離からすれば近いものだろう。けれど駆けるこどもと犬のいる公園は、ひどく遠く霞んだ世界の向こう側にいるかのように思えた。同じように幼い頃の思い出は、引っ張り出そうとすればどれも糢糊としている。
 電信柱が立ったのはいつ頃だったか。それが地下へ潜ったのはいつ頃だったか。確固たる事の始まりも終わりもなく、振り返ればいつのまに随分と歩んでいた。それは果たして前進なのか、それとも後退なのかは計り知れない。退屈よりは怱忙としている方がいい。すっと空いた穴を、いらないと端に追いやられていたものがこぞって埋めにくる。
 ふと電線に止まる白い鳥を見つけた。随分と大きい鳥だった。
「あ、鴉」
 先に反応したのは銀時だった。あの白い鳥が鴉であるものかと土方は首を傾げたが、よくよく見やれば嘴と言い羽根と言い、確かに鴉のそれである。
 白い鴉は羽根を幾度か広げた。かすかに透ける羽毛は、飛翔の瞬間を下より見上げれば、空が見えるかもしれない。途端に無性に、階段を駆け下りたくなった。
「知ってっか?カラスは昔は白くて人の言葉が喋れたのに嘘の告げ口をしたから声もきれーな色も奪われたんだってよ。西の国の神話だって話だけど」
 肩を凝らせるような労働もしていないはずなのに、それを前後に回しながら銀時が誰に告げるでもなく口を開いた。その昔、仕えていた主の恋人が人間の男と親しくしていると囁いた鴉は、恋人を怒りのあまり射殺した後、後悔の念に駆られた主に美しい姿と声を潰され、天界よりの追放を受ける。鴉は使いに遅れて言い訳として嘘を吐いたとも言われ、見間違いとも言われ、密告者の末路とも言われた。
「西の国はどこですかぃ?」
「海のいくつか渡った遠いところ」
 男はまるでその目で見てきたかのように話した。海を越えた遥か西には、彫が深く、色素も薄い、けれど天人ではなく同じ人がいるのだと聞く。目の前の男は、色こそ奇抜なものの、顔だちはこの極東の国の、他の人々と変わらないものだったから、違うのだろう。電線に止まり休む白い鴉は、きっと他の鳥と同じくこの土地で生まれ育ったように、彼もまたこの国より外を知らない。
「あの白いのは告げ口してねェのか」
 身震いをする鳥を指さし、それとなく思い浮かんだことを口にする。
「まだ、な」
 わずかな躊躇のあとに発せられた言葉と、銀時の表情はしばらく網膜に焼き付き、振り払えなかった。無為無聊の時間は、途方もない考えの侵入を呆気なく許す。
 白い鴉は相変わらず羽根を膨らませ鳴くこともせずに、狙っている。

 あまりに顕わな殺気を初めに感じたのは銀時だったように思う。
 ちらりと外に目配せをし、訝しげに頭を振る。直後には土方も沖田も糸を張ったような緊張感が背を走るのを感じた。時を待たずにして、今度は明確な轟々と鳴る足音だった。刃が鞘より抜かれ、鋭く嘶いた。
 わずかな静寂が鋼の弦となり首を絞めつけるようだった。固唾を飲むと同時に口角が上がり、自分も相当だと点滴の針を抜いた土方の手に迷いはない。少しずつ失速しそしてついには止まっているのかと錯覚するほどにまで感覚を麻痺させる底の見えない退屈に比べ、唐突に舞い込んだ荒事は、酷く都合の良い誘いのようにさえ思えた。
 ためらいのない足取りからすると、土方の病室の場所は確認してある。どこから漏出したかは後々山崎に任せるとして、あからさまな侵入は単細胞なだけであるか、民間人を巻き込んだテロであるか、判断を間違えてはいけない。立てた刀を探り当てる間に、予測を弾き出す。邪魔なんで病人は寝てなせぇと嘯く沖田を流して、床より降りた。
 厚手のカーテンのたなびく窓は、未だにさきほどとは変わらない風景を映し出している。とうとう公園と、己との距離が、開けていくと土方は感じた。
 そして一声、鴉が鳴く。
 膨らませていた羽根を一気に広げ、これから起こることを俯瞰しようと、旋回していく。
 最初に動いたのは、やはり沖田だった。
 彼が鞘を払うかのように落とし、刀身を一閃した頃には一番先頭に突入した男は血しぶきを噴き上げていた。わけがわからないと戸惑う男の目に、最期に映ったのが糖尿寸前とドS王子と自分との男三人だということだけがただ少し哀れで、顔に掛かった深紅は既に消えた命に流れていたものなのに、皮肉にも土方のここ数日の入院生活で触れた最も温度を持ったものであったのが少しおかしかった。
 あらゆる音という音が流れ込むかのように耳が破裂しそうだった。それは曲者の咆哮や絶叫や刀の打ち合う音やらで、ひどく煩かった。
「総悟ッ!」
 斃れた男にわずかに怯むものの次々と刀を構えた者が雪崩れ込む。耳へ届く雑音を振り払うように喉を張り上げた。引きつるようにそれは痛みを伴ったが土方は構わなかった。
「一般人の避難が先だ!」
「うるせぇ土方ァ、指図するんじゃねェやい」
 こっちの一般人はどうしやすかぃ。鼻で笑い、それでも沖田は決して敵から目を逸らすことはない。そっちに突っ立ってるのは一般人じゃねェだろ、死んだってこっちの責任じゃねェから放っとけ。そう吐き捨てればつれねぇこと言うなよと軽口を叩きながら責任外と断定された銀時が指をひょいと曲げ相手を挑発しているところだった。遠くでは沖田がやる気の欠片も感じられない声で避難するように促している。構わず土方は刀を振り上げ突き進んできた男に、利刃を振り下ろす。骨が軋みひび割れ、砕ける音に震えた。
 崩れ落ちた男の後ろでは、白い鳥が未だに飛んでいる。ふと羽根越しに透かし見たのは、やはり澄み渡った青ぞらと清涼な風の流れだった。

 瞼を持ち上げれば西日が差していた。
 朧げな輪郭が見える。ひどく慣れ親しんだ者の顔だった。それでいて、その面影は遠く懐かしい。どちらにしろ命のやり取りを終えた後の安らかさではなかった。これは、夢か。それとも先ほどの修羅場が夢だったのか。だって、こんなにも優しい風が吹き込んでいる。勢いをなくした陽の光が柔らかく当たっている。
「夢だね」
 同意する声が頭の中で直接響いた。奇遇だな、ちょうどそう思っていたところだ。
「夢でも見てるみてーな間抜け面だね」
 追い被さるようにして鼓膜に届いた無遠慮な声が、今度は完全に微睡を破った。
「まったくですぜぃ。今このまま永眠さしてやりやしょうか、旦那」
「おっと俺はここにいなかったことにしてくれよ。あ、でも葬式には呼んでくれると嬉しいなー。タダメシ食いにいくから」
「合点でさぁ。土方のヤローも犬のエサを食べてくれる人がいたって泣いて喜びますぜ」
「あ、マヨ丼ならいいや」
「って、何死んだ前提で話を進めてやがる」
 口より出た声はひどく掠れている。あ、と同時に気に食わない顔が二つ、上から土方を覗き込んだ。んだよ土方、生きてるなら何か喋れや。テメェらが勝手に殺したんだろうが。
「殺したというか、最後の奴を斬ったと同時に倒れたんじゃ死んだとも思いまさぁ」
 ねぇ旦那、と沖田が銀時に同意を求める。首を起こしぐるりと辺りを見渡せば確かに血しぶきの跳ねた部屋ではなく、手には相変わらず点滴の管が通され、窓より見える景色も微妙に角度が違っていた。捉えた浪士は鉄柵の嵌められた精神病棟の一室に拘束済と耳打たれる。
「じきにゴリラとジミーが来るぜ」
 夕空を眺めながら銀時が告げた。
「ああ、山崎には浪士の特定を先にやらせろ」
「それならもう割れてまさぁ。過激攘夷浪士、と銘打った不良集団。今日ターミナルを爆破すると犯罪予告を出した連中ですぜぃ」
 口笛でも吹きそうな軽々しさで、沖田が言った。土方はあからさまに眉間に皺を寄せる。
「おい、聞いてねェぞ」
「当たり前じゃねぇですかぃ。誰も言ってないんだから」
「総悟、」
 山崎を含め見舞いにくる隊士が口止めされていたことと、自分の知る範疇外で物事が進められていることに腹が立った。肺炎だろうが入院だろうが業務に差し障ることは決して己が己を許さなかった。真選組が自分を拒絶することが何より土方は恐れている。わけのわからないことばかりで、沖田を問い詰める。
「誰も言う義理はねーじゃねーですかぃ!」
 憮然として沖田が言い放った。
「誰が倒れるまで働けって言ったんでぃ!組はあんたがいなくても回るんでぃ!疲れたら疲れたで寝てりゃいいんでぃ!四の五の考えずに休んでりゃいい!なのに何であいつらはターミナルじゃなくてこっちに来るんですかぃ!」
 堰を切ったかのように一度溢れ出してしまえば、沖田は止まらなかった。やりどころがなく、伝えるにはたどたどしい感情を、沖田は持て余しているのだとわかった。自分が今まで馬鹿だともわかった。一気に募った怒りも霧散するほど、土方は自分の思い違いも理解した。
「わかった。わかったから、総悟」
「だから馬鹿なんでぃ、あんたは」
 呟くように沖田がこぼし、そのまま病室を後にする。去り際に副長の座は確実だと飛び上がりやしたぜと皮肉を付け足すことを忘れない沖田に、土方はふっと首に込めていた力を緩めた。
 あの時、旋回する白い鴉と最後、耳に跳び込んだ酷く焦った声は、ならば自分の幻覚だったと言うのか、彼は。不器用だと土方は笑った。吐息と誤魔化し、口角を微かに緩めるだけのわかりにくいもので、沖田にも銀時にも、気付かせたくはなかった。
 それからは残された二人は誰も何も口にしなかった。土方も酷くくたびれていて、カーテンを揺蕩わせる微風に撫ぜられるたびに再び心地よい眠りの淵へ誘われそうだった。長い間が流れたように思えたが、わずかな時間だったのかもしれない。
 なぁ土方。思い出したようにふと銀時が呼び掛けた。
「なぁ土方。鴉は、正しいことをしたと思うか?」
「はぁ?何のこと、」
 藪から棒にどうしたのだと見返せば、いや、と彼は慌てて口ごもらせる。
「何でもない、忘れろ。今夜は眠れそうかい?」
 夕焼けの橙が、目立つ銀を炎の色に染める。それとなく、土方は幼い頃に聞いた歌を思い出した。鴉が鳴いたら、そのあとは、何だっただろうか。
「……ああ」
 ならいいと呟き、彼は安堵を覚えたようだった。それが何によるものなのか、土方にはついぞわからない。沖田くんには、謝っといてくれねーか。それにしても公務員は嫌だねー。こんなんなっても刀振るわねーとだろ?彼はすぐに誤魔化すように嘲る。それで半分、土方は合点がついた。分かったんだなら税金払えやコラ。自然な流れとして、続けてやる。その前に今日の分の礼金、弾ませろよ。そう言い置いて、じゃあなと銀時はひらりと手を振った。
 鴉が鳴いたら、……。白い翼を持った鴉が、上空で羽ばたいている。影絵の一コマのような風景に混じって、白い一点だけが鮮やかに血汐を透かしていた。風を拾い、上へ上へと駆け上がっていく。それからまた、昼間の電線に止まった。脳裡に浮かんだ童謡を思い出す努力を半ば放棄して、土方はそれをずっと眺めていた。
 まもなく黒い鳥が白い鴉の傍に寄り添った。今度こそ鴉だ。これが黒い鷺だなんて言ってくれるなよと土方は思った。


 




 2014・1/30


 お題:不在証明


――――――
緋茜様へ捧げます。
「銀時と真選組の誰か、沖田か土方の会話で」とのリクエストでした!
結果的に銀時と沖田と土方の会話になってます(笑)
というか会話でもなくなってますね…。
楽しんで頂ければ幸いです。
リクエストどうもありがとうございました!





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