青さも知らず | ナノ



銀誕2013!おめっとさん!
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 海を望む丘の上、木々をざわめかせながら吹き抜ける風は冷たかった。無理もない。まだ空がようやく白みがかってきた早朝である。漁の船はもう沖の遠く、点々と見える程度で、東の山と雲と霧の境目の向こうの空は朱く色づいていた。
 今日だけは特別だと、自分より高い枝へと高杉は銀時を登らせた。北の海は黒々とうねっている。瀬戸内へ回るならまだしも、ここの海は銀粉を撒いたように白いか、吸い込まれそうに黒いかの二択で、碧く穏やかな水はない。ましてや、秋も半分過ぎたのだ、桂は半纏に包まっている。意地を張っているのかただ単に無精なのか寒さに強いのか、いつも通り薄着の高杉と銀時にはさんざん笑われたが。
 日も昇らない未明にそれぞれの家より忍び出し、ここに集まる。最後まで馬鹿かと憮然としていた桂も実は楽しみにしていたことを彼らはきっと知っている。何ら目的はない。強いて言うなら、日の出が見たかった。東の山の一面は芒野である。西の海から落ちる時、芒は火の色をして輝いていた。朝にそれを見たかった、それだけのことかもしれない。
「見えるか銀時」
「ああ、船だ」
 欅によじ登った銀時が水平線の向こうに視線を向けながら応えた。あ、金木犀の匂い。振り向けば山の方に小さな橙色が群がっている。
「いい見晴しだろ」
「高いからな」
「じゃあテメェへのプレゼントとやらはこの景色っつーことで」
「はぁ?いかにもって感じで言ってはぐらかすんじゃねーよ。糖分くれよ、糖分」
 この金木犀みてーに甘いの、と幸せそうな銀時にあげねーよ糖尿病になりやがれバカヤローと高杉が返せば途端に頬を膨らませる。随分と表情が豊かになったと桂は感嘆する。
 白いこどもが松陽に背負われやってきてから欅の葉が二度黄ばみ、散っていった。太刀を抱えて膝頭に額を預けて浅い眠りに入るような状態から、ようやく喋り、ふわふわ跳ねる髪を触らせ、笑い、近頃は高杉に混じって悪ガキの才能さえ表すようになったのは悩ましい限りだが、ここまで来たのだ。
 人の寄りつかぬ戦場と山とを渡り歩く姿を見れば、この子供こそ山に棲むひとでなきものに見えたに違いない。でなければこんな年端も行かぬ幼子がひとりぼっちの山中で青墨の闇に抱かれているというのに、泣きも喚きもしない道理があるものか。倭人にはありえぬ色彩を持つ子供は、しかし見事にここまで溶け込んだ。彼は夜中に山へ行こうともやはり動揺の一つさえ見せないだろう。けれど甘いものが好きになった、幽霊が怖いと誰かが口にしようとするものならば容赦なく手足が出る。いや、それはそれで困るのだが、ともかく。風に髪を撫でられるがままになっている銀時は、高杉にとって、そして桂にとっても、どれほど変化をもたらしたか知らないのだろう。これほど穏やかに時間に身を預けるようになれたことに、内心ではどれほど嬉しいかも。知らなくてもいいのだろう、きっと。

 薄闇の中、波が浜に上がる音が風を伝ってくる。
 まだ浜辺に住む漁師以外には人の気配のない一帯はひどく静かで安らかだ。一陣の、殊更鋭い風が欅の葉を落とし、桂は半纏の中でぶるりと震えながらも、冴えた空気を深く吸えば心が洗われるようだった。松陽にさえ告げなかったこの何をするでもない秘密の集まり、その響きだけが、どうしようもない熱を生み出していた。
「銀時もなんだ、これで無事一つ歳を取ったことだし、そろそろ将来への展望も見せねばならぬ時期か?」
 大木に寄り掛かり、そよぐ丘の草むらを見つめたまま、桂は何か喋ろうかと切り出した。
「どこの親戚のおっさんだよヅラ」
「ヅラじゃない桂おじさんだ。もー、晋ちゃんも大きくなるほどぶっきら棒になって。いや、男の子はそんな時期だもんな。おじさんも子供の頃は一匹狼を気取ってみたりして、姉さんに、きみのお母さんに随分迷惑を掛けてた。いいのよぉ、こんなことが言えるようになれば私もあの時の苦労が報われるわ。ほら、晋助もおじさんを見習いなって立派な大人になるのよ。姉さん!」
「姉さんじゃねェよいい加減黙れいつまで一人でコント続けるんだオチが見えねェんだよ。つか、人を勝手に芝居に出すんじゃねェ。肖像権違反?で訴えるぞ」
「肖像権乱用じゃね?つか、一人二役?」
「いや、肖像権の侵害だ」
 どうしようもなく他愛ない話を真剣になっているのか、馬鹿にしているのか、どちらとも取れる口調で滔々と続ける。行先のない会話が、このいつもとは違う奇妙な場が、楽しかった。
 で、どうだ銀時。桂が聞く。どうだ、この雄大たる自然の中で心許せる友と未来を心ゆくまで語ろうではないか。なんかうぜぇ、と高杉の草履が的確に桂の頭に落とされた。
「未来かぁ…」
 未来、ねぇ。寒空に溶け込むような響きで、ぽつりと銀時が呟いた。あまりの感慨するような口ぶりに、儚さに、ともすれば彼の存在さえ吐き出された白い息のようにすんなりと消えてしまいそうで、桂はこの話を持ち出したのは野暮だったと感じた。その先を聞くのが途端にどうしよもなく不安になってしまい越すように遮る。
「未来と言えば俺は、だな。家業を継ぐことになるだろうから、多分、医者になる」
「誰がテメェの所に掛かるか。冗談はその鬘だけにしてくれよ」
 悪態と見せかけ話を続けた高杉は、きっと同じことを思っている。
 太い枝に座り足をぶらつかせる高杉に、何気なしに視線をやれば、茫然と遠くを眺めていた。桂も彼の見つめる先を追って、草むらの隙間の先にある磯と海を見る。漁灯が消え、船の影が濃くなっている。先程まで頭上で煌めいていた数多の星は、気付かぬうちに消えていた。
「高杉は?藩士なんだろ?」
 銀時が訊ねた。
「そうなるが、でも俺ぁ、」
 高杉は顎を引き、考え込むように唯一残った漁火の一点を睨むようにして見据えた。続きを待つ沈黙は、しずくが凪いだ水面を突くように、音が消える瞬間を彷彿させた。彼の考え込む顔は珍しい。
「俺ぁ、いつまでも先生の弟子でいたい」
 落とされた言葉は限りなく透明な空気を伝ってどこまでも広がっていく。時も音も風も、いつも流れているものがついと静まる。どれにも息を飲むのに、人の言葉であれば中々どうして、それが解きほぐされていくようだった。
「あ、それなら俺もだ」
 緩やかに流れる時に嘆息するように、桂はことさらゆっくりと応える。
「んだよ、真似するんじゃねェ」
「でも、まあ、先生に一番近いのは銀時ではないのか?」
 なあ、と振り向けば当の本人は目を瞬かせていた。
「いや、糖分王かな。糖分王に、俺はなる!」
「ああなればいいよ七つの海を渡ればいいよ」
「違うそれ別の作品」
 そういえば、と桂は自分の疎い漫画の知識を駆使し言い合いを始めた二人をよそに思い起こした。未来かと銀時が考えるそぶりをした時、突如湧き上がった感情は、何だったのだろうか
 焦りではなかった。怒りとも違う。悲しみか、あるいは。
 考えたこともないと、そう告げられるのがとてつもなくとてつもなく、怖かった。
 きっと、それだけの話である。否、悲しみとも不安とも違う思いであった。しかし、一瞬でも自覚をしてしまった感覚を否定するのは、難しい。
 今を生き、考えるだけでも必死な彼に、未来を問う。いとも容易く彼は糖分王になるとほざくけれど、今ある幸せをどれだけ大切にしている同時に、それが続けば続くほど、どれだけ不安にさせているか、自分は知っているから。彼が秋嫌いであることも。それは厳しい季節の前兆であるだけでなく、自己嫌悪が根底にあると桂は見ていた。己の存在が松陽を始め、桂たちの日常を狂わせたと思っている。そんな彼は世界を否定したことなど一度もなく、いつだって世界が彼を拒絶した。その結果の、この考え方ではないだろうか。
 だから、未来を作ってやるとのそれは突拍子もない願いとは理解しているけれど。

「なぁ、銀時」
 どこに向けるでもなく、高杉が語りかけた。
 濃紺から藍に、藍から青に白に、刻々と色を変化させる黎明の空にたなびく雲は燦々と光を浴び、かすかな金色に縁どられている。同様に下より見える高杉と銀時の横顔にも、黄金の光が輪郭をなぞっていた。なぁ銀時。ひどくやさしい色を帯びながら、それは高杉の口より紡ぎだされる。いささか信じがたい気もしたが、茶化すことはできず、聞き入る。なんだ?気だるい返答は、教室で昼寝を邪魔された時と寸分とも変わらない。
「ありがとう」
 何が、とも、どうして、ともない。おめでとうとは言わない。お前が今ここに無事でいることに、祝うよりも感謝を。出会えたことがこんなにも嬉しいから。ここにいてくれてありがとうと、生を授かってくれてありがとうと。言いたいことは、言ってやりたいことはたくさんあるような気がするのに、続きも前も抜け落ちたままに言葉の断片だけが宙に浮かぶ。だども今更、せりあがる名づけることは到底できない感情を言葉にはできず、またそれを口にしたところで軽い冗談だと笑い飛ばすことができるほど誰も大人ではなかった。
「んだよ、改まっちまって」
 くすぐったそうな呟きは、救いだったのかもしれない。彼はきっとわかっているのだ。短い一言は脈絡もなく浮き出た言葉ではないということを。うっせーな黙って感謝してろと高杉が吐き捨て、木より飛び降りる。草を踏みしめ駆けだした後姿は嬉しそうでもあり、使命感に溢れたようでもあった。それが楽しく清々しく潔く、桂も後を追った。あ、待ちやがれと銀時も追ってくる。
 颯爽とした風が頬を切った。そよぐ背丈の長い草も、芒野も、日が昇るにつれ色を持ち始めていた。澄んだ青が天を被い、鳥が囀る。鳶が猛々しく鳴き、山を旋回する。
「なぁ、銀時、俺はなぁ!」
 吹っ切れたように高杉が振り向く。ここで高杉ばかりにいいところを取られてたまるかと代わりに桂が声を張り上げた。
「お前に生まれてきてよかったって、絶対に思わせてやるからな!必ずだからな!」
 そう呼びかけて、桂はそのまま走った。あ、と声を上げて立ち尽くした銀時の表情を想像し、爽快な気分になった。
 もしこれが夢だと言うのならば、終わることのない夢にしてやる。
 ははっと背後で銀時の笑う声が耳に届き、桂と高杉は顔を見合わせ振り向いた。芒野原を掻き分けながら、振り向き様に見た海は、ただただ穏やかに鮮烈に燃えている。


 
 




2013・10/10


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それは時代に抗えぬ無力を悟る、少し前。

こんなものですが、
貰ってくださる勇者がおりましたら今月いっぱいフリーですのでどうぞご自由にお持ち帰りください。
その際ご一報頂けたら管理人が小躍りしまry
村塾が書けて満足です。若くて若くて、それが若いとも知らない彼ら。
あとヅラ難しいですヅラの癖に←。
ともかく今年も、坂田2X歳おめでとうございます!






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