焼失点 十九 | ナノ



 十九


 あたたかな日差しを背にのせ、ただその一瞬を享受する。
 果たしてそれでいいのかと、問う相手がいないために、自分に問うた。

「精が出るねぇ、沖田くん」
 背後から届いた力が抜けそうなほど気だるげな声に沖田は振っていた竹刀を下ろした。
 早朝の道場だ。枝から枝へにぎやかに跳ね回る鳥――セキレイだろうか、さえずりと草と朝露の青臭さを運んだ風が立て格子の窓からすべりこみ、なぜか鼻のあたりが滲んだような気がした。自分より他は誰もいないのをいいことに沖田は思い切り音を立てて鼻を啜り、素振りを繰り返す。
 それが今しがた聞こえた声でとたんに竹刀がとてつもなく重く感じられた。ふと、現実に呼び戻された感覚にも似ている。なんでィ。目覚めたばかりの人がするように目を数回瞬かせてから、少しぞんざいとも取れる口調で応える。
「なんでィ、旦那」
 振り向けば扉に寄り掛かり鼻をほじる銀時がいる。ひょいと爪先で弾き、彼の視線は飛んだそれを追ってさまよい、また沖田に戻ってきた。べつにぃ?揶揄するように語尾を上げ、笑顔を作る。
「庭、誰手入れしてんの?」
 あごでしゃくった道場の外は庭と庭園のはざまのようなものだ。荒れているわけでもないが、粗野者の集う真選組で手入れのできる者もなく、ただ時々誰かしらが切り揃えているだけという状態である。踏めば軽やかに砕ける氷がまだ薄く地に張っていた。
 水仙と梅と、桃と。散って落ちて枯れて咲いてまた散って。季節など人が勝手に区切ったものであるのに、それは確かに移ろいゆくと説得するように可憐な花の蕾がほころびかけている。
 警察とは名ばかりの、幕府の穢れ仕事を請け負う組織にはあまり似つかわしくない。
「さあ?山崎辺りがミントンのついでにでもしてるんじゃねーんですかぃ?」
「なんでもジミーくんだよね、お宅らって」
 苦笑を含ませながら銀時が頭を掻く。そういうわけでもないでさァ。例えば?と銀時が問う前にそれより、とはぐらかした。
「このクソ寒い冬の朝に旦那はここで何をやってるんですかィ?こたつにでも居酒屋の裏路地にでもどこかのお姉さんの布団にでも転がっているもんだと思ってやしたが」
「できれば俺もきれーなお姉さんの布団に潜りたいけど残念ながら自分のですー。まああれだよ、ゴリラに謝られたというか、何より頑張ってる沖田くんの応援に」
 表情一つ変えずに銀時は言い切る。うそを言い慣れた顔である。嫌いではなかった。
「冗談はよしてくだせぇ。爆発で吹っ飛んじまった病院への依頼でしたっけ?」
「そうそう。ま、廃墟の中から携帯見つけ出せつっても無理だったろうけど」
 それなりに広い庭の隅に、背の高い木がある。すうとそれを視線で撫ぜながら、銀時はなんでもないように言う。依頼ができなくなるではないか。不可解と黙る沖田に、大丈夫、警察に邪魔されました、慰謝料なら奴らからもらってくださいこれ連絡先ですって、言っとくからと、また冗談かどうかわからないことを付け足された。いや、全然大丈夫じゃねぇでしょ。
「ところであの二人はついて来てねーんですかィ?」
「そうさな」
「そらあよかったでさぁ」
 それから心地わるくはない沈黙がおとずれた。
 氷にひびの入る些細な音が振動として届く。ぴくっと指が反応して跳ねる。みがかれた床にある影が少し揺れた。氷を巡るひびは人の中を流れる血脈のようなものかもしれない。着々と張り巡らせていき、血が手先にたどりつく感覚がした。またひびが走る。また少し血が廻った。そしてまた。誰かが踏んでいるのだろうか。霜の砕ける鈴鳴りの音だ。水が割れたようにも、凍っていた時が割れたようにも聞こえた。
 それが合図のように、銀時が口を開く。
「どうしたよ沖田くん」
「なにがでさぁ」
「剣。俺なんかが言える立場でもねーけど、近藤も心配してた」
「そう見えますかィ?」
「ああ、見える。そんなんじゃあ多串くんにも敵わねーだろ?」
「そんなこと分かってやす」
 先日の件からどこか浮き足立っている。中々沸かない湯のように、ふつふつとしている。
 なにか行動に移さねばならないような衝動に駆られていた。それが生き急いでいるように、周りからは見えた。沖田には才能も経験も努力もある。実が成す時を待てば、それはだれをも凄くはずだ。それでいながら早急に強さを求める。ここ最近は、特に。
「どうしたよ沖田くん」
 再び訊ねる銀時から目を逸らして、また直視する。
「もとはと言えば、あんたのせいだろィ」
 は、と表情を固めたまま、目をわずかに瞠るのを見た。鮮明に残る鋭い隻眼のような目が心外だと歪められる顔に重なる。ほら、あんたのせいではないか。
「なんでだよ?」
 俺ぁ攘夷志士だろうがテロリストと関係持とうがどうでもいいですがねぃ。頭の中で吠え、しかし頭の中に留めた。
「俺ぁ売られた喧嘩は買う派なんでィ」
「俺沖田くんに喧嘩売った覚えねーよ」
 だから関係ないではないか。弁解するように訴えた。考えてみれば直接銀時は関係ないのだが、しかし心のどこかであの長閑なまちで会った高杉と銀時を関連づけている。確証など、裏付けでさえ、なにもないのだが、そう確信していた。どこを取っても似ているところなどないのに、時折ぶれて重なる顔持ちがなによりの証だろうか。それともそれは、負け戦を戦い抜いた者共通の表情であるのか。
 くっきりと青い冬の空の、高く高くを仰ぐ。まだ一輪のままふわりと枝から離れる梅を目で追いながら、沖田は彼らがその先に何を見ているのか知りたくなった。
「…そういやあそうでしたねぃ」
 思い違いみたいで、これはすいやせんでした。そういやあ、じゃねーんだよコノヤロー。互いに息をするようにうそを吐く。白を切る。真実を避けてまわりをめぐる。
「お前はあいつに勝てねーよ」
「知ってまさぁ」
 そうだ。そりゃあ、そうだ。心を切り捨て、執念に狂う鬼に人が勝てるものか。
「だがあいつもお前には勝てねー」
「相討ちですかィ?」
「いや、一度捨てたものは戻らねーんだってこと」
 少し落ち着きなよ、沖田くん。
 期が熟すのを待てと言うのか。それとも考え直せと言うのか。海底にあるという生き物のように、噛みつかれて、されど気を沈めていることなのか。
「相手してくだせぇよ、旦那」
「また今度な」
 水の中でエラ呼吸をできない魚みたいだ。
 それをどこかで客観的に見つめる自分がいて、しかし止められない自分がいる。腹が立つ。腹を立たせることしかできない己に腹を立たせているのだが。そしてそれがいたちごっこだと理解しきっている自分自身がいるのを沖田は分かっていた。覆いかぶさるように降ってくるこの思考あの思考の何もかも振り払い、叩き潰さんとするように竹刀を振り続けていた。雑念を纏う剣など、斬れるはずがないと知っていながら。

 板目の床がだいぶ色褪せていた。
 江戸に上がってからもう、どれくらい経ったのだろう。
 ただ褒めてもらうために強くなることしか知らなかった頃に戻りたいと、念頭に湧くこともあった。それがいつ、これもあれも気にするようになったのか、わからない。自分の世界が広がることは、嘆くべきことでもあるように沖田には思えた。己の知るせまいせまい世界は、楽園と呼べるものであったかもしれない。それを未だ追い焦がれるのは、既におとなになった証拠か、それともおとなになりそこなった証拠か。
 爆破された病院も高杉も真選組も万事屋の先生も吉原での動向も気にしつつ、それでいながら単純だった昔を求めている。それがなんだかおかしくて、沖田はフッと、冷たく自嘲した。
 手がかりがないなど嘘だ。
 万事屋への依頼も、病院も、銀時が師と呼ぶ男のことも。手がかりがないなどあるわけがないに決まっている。
 絶対ないなど絶対ない。沖田が知らされていないだけだった。知らされていないことを沖田は知っていた。
 爆破事件に沖田を始め、一番隊は参加していない。現場は三番隊と局長副長が直々赴いた。以来、土方は資料室にこもり、近藤はめっきり静かになった。何か自分が間違って喋ってしまうのを恐れているようでもあった。口数こそ多いくせに、仕事のこととなると堅く口を閉ざす。いつものことである。何気なしに訊ね、放っておけと一言。
 気づいたら外廊下を進んでいた。
 苛立ちを通り越して、むしゃくしゃしてきたのは銀時が去ってから半刻も経たない頃。まだ、苛立ってはいるのだけれど。落ち着けと言われたが、残された静寂の中で湧き上がってきた感情は落ち着きからは程遠い。ちょうど庭の、にぎやかすぎた鳥に揺らされた枝からわけもなく落ちた花の蕾のように、理不尽とさえ感じる。
 咲くことも許されぬままに、すでに地にうつ伏せ一欠けら。
 たぶん今頃ふたたび問い出しても、返される言葉は変わらないと、わかっている。ただ、身体中を駆け抜けるような心地悪さをどうにかしたかった。
「おい土方ァ…と、近藤さん」
 乱暴に障子を開け放った副長室の奥には近藤もいたものだから、バズーカを使わなくてよかったと疲れた頭で安堵する。都合はいい。
 土方が煙草もみ消し、近藤が「おお総悟、鍛練は終わったのか?」と陽の光が眩しそうに目を細めながら笑った。
 さっと土方が分厚い書類をかさばるほかの紙に隠したのを横目に、
「なんでィ、今日は下手な俳句じゃねぇんですねぃ」
 ちらりと再び一瞥をくれれば、怒りか恥じかわからぬ赤が顔から浮かび出ていた。昔、姉が惚れたゆえんがわからないわけではない。これはとことん我身を忘れる男だ。江戸に来てからはあまり叶わないが、常に自分を含め周りを危険から遠ざけようとする。その分、己が身を挺するのを知っていながらだ。そこが好ましく、また悔しかった。土方が紛らわすように筆をとる。
「うっせーな。非番で暇なら溜めこんだ仕事でもやってろ」
「それなら今あんたがやってるじゃねーですか土方滅びろ」
「てめぇ自身の書類だよ総悟お前が死ね」
「今朝土方さんのに混ぜやしたから大丈夫でさあ」
 総悟てんめっ。数秒かたまった末に掴みかかろうとした土方を近藤が慌てて押し留めた。
「判押しがちょっと増えるだけだから!な!」
 いや、それはあんたがやらねェからだろ近藤さん。振り切りながらあきらめの口調で溢した。
「で、なんだよ。邪魔か?からかいに来たのか?失せろ」
 不機嫌さを隠すこともせずに言う。会話は終わりだと真新しい煙草に火を灯す。
 これ、と手を払われるのを無視して沖田は埋もれた報告書を引っ張りだした。あ、と近藤が声を発するのも待たずにぱらぱらと目を通す。勝手にしやがれと、煙草の端が噛まれてつぶれた。
 息を詰めた。呼吸をすることさえ煩わしい。踏みしめている外廊下の色褪せた床を体重移動すれば、乾燥で割れた板に染み込んだ寒気がいっきに足裏に伝わる。数百の蟲が身体の中から出口を探し求めているようなものかもしれない。そんな感覚がした。焼けるのに耐えられずに、上へ上へと逃れる感覚だ。出口など、端からないのだけれども。
 その感情をなんと呼べばいいのか沖田はわからなかった。ただ自己嫌悪とも、恨めしさとも、憎悪ともつかない、苦さだけが満ちてゆく。
 背中にせおう陽だまりでさえ中途半端な熱を帯び始めている。知るべきか、知らぬべきか、誰に問えばよいのだろう。誰が教えてくれるのだろう。
「俺は金持ちの病院が爆発したとしか聞いてやせんよ」
「実際にそうだ」
 何がそうだ、だ。廃墟の下に無傷の空間があったとは聞いていない。施設と見られるその空間の真ん中に通信機らしきものが見つかったとは聞いていない。実際に、違うではないか。
 気に食わない。気に食わない。
「旦那たちならまだ分かりやす。俺が、そんなに信用にならないと思ったんでィ?!」
 ああこれじゃあ駄々をこねて、当り散らすこどもみたいではないか。それをどこか客観的に見る自分がいる。けれど止められない自分がいる。
「総悟、それは違う。お前は関係がなくてもよかったんだよ」
 理屈を説くように近藤が諭す。わかっているんだ、本当は。なにもかも。
 ただならぬことがあるから、せめて関わりを持たなければ身は持てる。首は持てる。腹も、頭も命も。そんなことなんて分かりきっていた。ただ理由が欲しいのだ。それはいつの日か自分に言い聞かせた言葉。このゆがみ、くるった世界を生き抜く理由が欲しい。
「なんでィ?なんだって言うんでィ?」
 うなだれた背中に一言、
「てめぇにゃあ、分からねェよ」
 わかる、わかるとも。なに、覚悟が足りないとでも言うつもりか。
 だが口に出そうともお前はきっとこう言うのだろう。そこが、分かってねェんだよ、と。
 意識の遥かむこうで、眠らぬ街が目覚めてかけている。喧噪で氷が融けた。そんな音がした。
 ああ、わかるともさ。笑わせるな。



 
 私の実が成るまであと何年?





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