君のための一日 | ナノ




アンソロジー『黒獣五重奏』が元となっております
高杉五兄弟:万事屋、現代、攘夷、3Z、幼少の順。
――――――



 少しおかしいと思う。
 この世界が、だなんて言えば二番目の思考が移ったのかと間違いなくすぐ上の兄が額に手を当ててくるだろう。しかしそういうわけではなくて、あえて言うならば、世間、だろうか。それはこたつで蜜柑を食べる慣習であったりあるいはスーパーで深く頭を下げる店員であったり、ともすればそう、自分の家族であったり。
 無意識に弾いていた算盤の珠がカタリと響き、高杉家四男は閉じていた目を開いた。
 黄昏時である。


 



「あれ、兄貴、帰ってたのか?」
 何かないかと自然な足取りで冷蔵庫の扉を開ければ昨日まではなかったコーラの瓶に『二』との字。まさかと振り返ればすぐ上の兄ではなくその上の上、一番目の兄が食事の支度をしていた。
「あぁ。さっきな。二番目も部屋で爆睡してるだろうよ」
 お前も休めよ、と言い掛けるが、稀にしか家に帰らない長兄と、同じく家を空けることの多い次兄が帰宅した時はせめて普段何から何まで担っている三番目の兄を休ませようとする心遣いを思い出し、言葉を呑みこんだ。金になる危険な仕事ばかりを受ける長兄も、自分の生業が身内に影響を与えないようにと家に寄りつかない次兄も、二人の留守の中に家を支える兄も、その後ろには庇護対象である自分と五男がいると思うと、少し悔しくなる。悔しいところでどうすることもできない自分がよけいに悔しいのだけれども。
「あいつは?」と、いつもはこの時間、台所に立っているはずの三男を目で探せばあっち、と居間の方へしゃくられた。
「ちびの相手してやってる。今日は俺がやるから」
 時々はやらねェと腕が鈍るだろと付け足す。お前もこたつ入ってろよ。
 野菜を鍋の中に放り入れ、水のはぜる音がすべてをかき消す。

 テレビ画面から溢れる笑い声と、台所から漂ってくるふわりと鼻腔をくすぐる匂いが、ふとすれば存在したことさえ忘れてしまいそうになる遠いいつかの晩、手をつないで家路を辿ったあの、淡く翳んでしまった記憶を呼び起こした。
 長男と次男と三男と自分と。もしかすると両親と赤ん坊の五男も。皆で並んで帰るような路が、そんな道は確かにあったはずなのに、果たして真にあったのだろうか。
 おい。
 そう呼ぶ声はおぼろげな記憶のなかのものでも、現実と想像にゆらぐ思考のはざまの中のものでもあった。
「心ここに在らずって感じだな」
 訝しそうにしながら述べた三男を皮切りに、
「んだァ?俺と二番目がどっちもいるってのは眼に焼き付けてェほどに珍しい光景だぜ?」
「おめェ、そいつも年頃なんだ。そら俺達より想いの人の一人や二人や三四人はいるんだろォ?」
「四番目をお前と一緒にするなよ、二人以上いたら最低だろうが」
 いや、でもいつも一緒にいるまた子ちゃんとか…この前俺のバイト先に来てた、とそのまま続けようとした三男とその他諸々興味津々の兄達を「うるせェェぇええ!」の一言で封じ込める。俺ァただ壊すだけだ、この情報社会を!色々と矛盾するのは脳内で反芻しながら分かっていたが、己の中に潜む黒い獣が目覚めるのを感じ、身震いをした。これを口にしても、額に手を当てられ揶揄われるだろうが。
「よんにいがうるさい」
 五男の表情を消したままの呟きがやけに空間を揺らす。フッと次男が息を吐くように笑う。
 液晶テレビは聞き古した冗句を飛ばす。気だるさとからかいを装ったいたわりはしかし、心地よかったのは確かだ。
 長男が流すように酒を嚥下した。煙管に煙草を詰めはじめる次男に子供に副流煙吸わせるんじゃねェよと三男が煙たがる。長男が次男に酒を注ぎ、静かに杯を合わせた。
「俺達の知らない間に四番目がキレるしちびが鋭い突っ込みをするようになったなァ」
「若者はキレるってな」
「おめェに言われたかねェよ」
 横目でちらりと見やり、そして少し、はっとする。長兄の慈しむような、尊いものを見るような、ゆるく弧を描いた笑み。それぞれがテレビなり窓なり食べ物なりに集中しているなか、きっと彼は自分が見ていたことを見えていなかった。きっと彼はそれをここに座っている誰にも見せるつもりではなかった。やりきれなくなり、下を向く。茶碗と箸とか目に飛び込んできた。
 もし、想いの人、なんかではないけれども、思い出そうとしている人が一人が二人や三四人、五六人いたとするなら、それがきみだとするならば。そうだと伝えるならば。あるいは堪えられずに噴き出しあるいは動きが止まり、あるいはいつものあの、兄弟共通の不敵な笑みを浮かべるのだろうか。
 よんにい。五男に呼ばれ条件反射で返事をした。あぁなんだ?
「一兄と二兄ってなんか、」
 その言葉に兄達の方に目を向ける。互いにもっと弟達に時間を割けないのかと言い合いながらも飲み交わす杯は止まることを知らない。さっきの笑みなんて、あれは現実が虚構かも分からなく、なんか、そういうところがたまらなくおかしい。同意を求めるように弟の髪を梳けばそうだけど、でも、とこくり頷きながら続けた。
「なんか、すごく仲良しみたいだ」
 あくまでも真剣な顔で言いきった五男に沈黙が訪れ、先に珍しくも三男がククッと笑いを漏らした。
「みたいだじゃなくて、すっごく仲良しなんだよ、実際は」
 夕餉中の穏やかな喧噪。そんな普通な日をもしかすると自分が思っている以上に大切にしているかもしれない。
 そんなことを思わせるなんて、やはり少しおかしい。世間だとか、世界だとか。神様やら仏様やらが創ったこの心だとか。




2012・12/12





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