焼失点 十七 | ナノ



 十七


 付き合え。どうせ暇を持て余しているのだろう?
 むかつく程表情の読めない顔でむかつく台詞を吐き、強引に腕を引くのに彼は丁寧にでは先生、リーダー、新八くん、こいつをちょっと借りますと頭を下げた。その天然な師と厄介ごとには巻き込まれたくない利口かつ世渡り上手な子供達に見送られ、桂は好き勝手に喚き散らす銀時をいい加減にせぬかと叱咤した。うるせぇと手をはたかれる。
「こら何をするのだ」
「何をするはこっちの台詞だコノヤロー!何の用だよ」
「話がある」
 少し来てくれないか。そう願う桂の表情は読ませないそれではなく、いつになく真剣である。何の用だともう一度、今度は些か声を低くし、銀時が問うた。
「なんだ銀時。俺はこの雪のぱらつく中真剣にキャッチの仕事をしていて寒いのだ。そんな心も身体も冷えた友人に温かい飯を奢ることくらいは理にかなっていると思わないのか?」
「思わねーよ。つか俺はこんな鬘のテロリストと友達になった覚えなんてありません」
 鬘じゃない桂だ。律儀に返答し、桂はとにかく来いと一言告げたきり、黙りこみ銀時を促す。首と思わしき場所に蝶ネクタイをつけたエリザベスが『ここは任せてください』とプラカードを上げた。
 ビルとビルの隙間に吹き込む湿った風を感じながら桂はさすがにはぐらし方があからさますぎたかと反省した。背後を見やれば眉間に皺を寄せ空気を凝視する銀時がいて、元々勘のいい男であるから間違っても誤魔化しきれるなんて思ってはいなかったが、余計に猜疑心を駆り立ててしまったのかもしれない。
 一番近く、隠蔽とした隠れ家の一つへの道順を頭の中でなぞりながら奥へ奥へ進んでいく。影に隠れ溶けきれなかった水っぽい雪の残骸を踏む度に感じる危うい感触がまるで自分達のさまよっている終焉のない真実を求める悪足掻きを表しているようで、桂はふっと息を吐くような笑いを零した。自嘲でもなく、憫笑でもなく、淡く淡く出た、自然な反応。なんだとばかりに顔を上げ桂の背中を見た銀時に周囲に誰もいないのを見計らい、やつを呼んだよ。桂はそうまだ笑みの余韻を残す声で言った。今後ろを歩く男がどんな顔をしているか想像しながら。

 淡い青に染まった空は高層ビルの端で時々途切れる。木々もなく、ビル風の強風にはためくものといえば不機嫌そうに首を襟巻に縮ませ小走りするように歩く人々の袖である。
 そこのお姉ちゃんに声を掛け全力で避けられていた桂がめげずに次の子に移ろうとしたところに見慣れた一行が目に入ったのは日も高く昇った昼前のことである。先に蔑んだ視線をよこしたのは神楽だ。段ボール材料の服を纏ったマダオにご飯をあげる松陽に振り返り、センセー!ヅラが女の子たらしこもうとしてるアルヨ!センセーなんとか言うヨロシ!声を張り上げ、松陽や銀時と新八が桂に気付いたがそれだけでなく、通りを歩いていた女の子全員が足早に消えて行った。
「小太郎」
 声を張り上げるでもないが波のない水面に一滴の水を落とした途端に広がる波紋のような、寄り添う形で吸着するような声色に桂がわずかに強張った。ヅラ子と比べたらまだ視覚的にも許せる範囲だろうが、バイト中を人生の師匠に見られるのはどうかといった具合だ。
 『これはこれは先生ですね』、『お初にお目にかかりますエリザベスと申します』、『桂さんにお世話になって…』と高速でプラカードを捲るエリザベスを横目に桂は、
「おお先生!奇遇ですね!これがエリザベスですよ寄っていきませんか!」
 と、とりあえず、キャッチのテンションが出た。
 その桂を一層見下ろす神楽と銀時の間に挟まれた松陽は開きかけた口を止める。横にひかえた新八が懐中の志村家一子相伝の家宝、はりせんに手を伸ばしていた。一瞬とも数秒とも思える間のあと、松陽は何事もなかったように言う。幼子のように満面に笑みを浮かべながら、言う。
「仕事ですか?色々な職を体験することは様々なものを目にするということ。世を変えるにしても世を知らなくてはだめでしょう。たくさん経験を積んでくださいね!エリザベス殿ですか?こんな生真面目な子ですがこれからもよろしく頼みますね!」
 ああ私の知らない間に小太郎もこんなに立派に成長して…!共感を呼びにくい感動に松陽が袖で目元を拭うそぶりをする。ああ…と曖昧に桂が笑った。
「先生、お召し物が変わっているようで…」
 遠い記憶を思い起こせば現れる見慣れた白橡色の着物から一転し、白にも近い薄い色の着流しを身に包む松陽を指し、桂が訊ねる。
 通りは清々としている。神楽の叫びが功を奏し、若い女の子どころか買い物の主婦のおばさんの人影も見当たらなかった。
「新八くんのお父上のを貸してくださったのですよ」
 こんなに良いものを、と袖を広げる松陽にお似合いですよ、と告げ、桂は深い藍色の模様におやと内心わずかに首を傾げる。
「露芝ですか?この寒い中で」
「何か問題でも?」
 照れ笑いにも似た表情を作る松陽を見て嗚呼これを求めていたのだなと思った。色といい柄といい、寒々しいものではあったが、この人が身に纏えば温かいのだ。溢れんほどの情熱を常人を超えた理知を持って覆ってきた彼人はまるで春の木漏れ日のような無条件で人を安心させる不思議な表情をもっていた。絶望を経て地獄を経て別れを経て辿りついた先に見た昔の残像はこれなのだと、つまり己はこれを追っていたのだと。そう思ったのだ。
「いいえ。今日はこれからどこへ?」
「これからセンセー連れて江戸の町を案内するアル!センセー物知りだけどここのことは知らないネ」
 代わりに神楽が割り込んで告げた。案内すると言うがまるで自分が遊ぶのだというほどのはしゃぎようだ。食べ物屋さんばっかり廻らないでねと釘を刺した新八に駄眼鏡は黙っとけヨと顔を紅潮させながら殴り飛ばすあたりやはり図星だった。
 チャイナ服のスリットから覗く足が冬の光に眩しい。灰の積もったビルも消えたネオンサインも弱々しいながらそれこそ息絶える前の獣が朽ちて尚睨み続ける眼光如きの鋭い陽光を差す天には映えないのに、白い白いそれだけが宙に浮いたように鮮明である。もっとも新八に回し蹴りを打ち込もうとしている辺り実際に宙に浮いているのだが。
 夜兔の肌は白いのだ。
 果たして松陽はこの居候の娘が異星人だと勘付いているのだろうか。被害が及ぶのを恐れ早々松陽の腕を引きエリザベスの後ろに避難した銀時を止めてやらぬかと注意した後に桂は松陽と神楽を見比べ、そして顎を撫でた。彼人のことであるから知っていたとしていてもありのままのその事実を受け入れありのままのその可愛らしい容貌を褒めるに違いない。彼が銀時を拾ってきた時もそうだった。そうでなければひとであることも知らなかったこのこどもがどう懐こうか。松陽に雪うさぎだのと例えられ馬鹿可愛がりされ挙句に親馬鹿さえをも発動させたあの頃の面影を全く残さずに耳をほじる銀時に桂は溜息した。
「神楽ちゃん、美味しいお菓子のあるところたくさん教えてくださいね」
 松陽がやんわりと神楽を新八から引き離し、同じ目線になり、そう言ったことでようやく神楽もうんと破顔一笑した。満身創痍の新八が次の瞬間には元の眼鏡に回復するのはデフォである。
 地上であるのに砦のように建物に囲まれ切り取られた空のみが見える。淡い淡い蒼に薄い薄い雲が乗っかっていた。
「江戸を廻るなら先生、先にかぶき町はどうですか。その先の先にここに寄って…」
「いかねーよ」
 桂が喋り終わるよりも前に銀時に無表情ではたかれた。痛いではないかと喚くわりには桂に非難の色は見えない。
「そんないかがわしいとこに先生を連れてけるかよ。こっちには未成年も二人いるんだそのヅラで考えても分かるだろヅラ」
「じゃない桂だ。これはアイドルやモデルになるという女の子が誰でも一度はもった夢を実現させるための第一歩を歩み出させる、そのお手伝いをする希望に溢れた仕事だぞ」
 すらすらと諳んじるように言ってのけた桂を新八のはりせんが容赦なく敲いた。新八くんまで、と桂が泣き言を呟く。
「いや何を言ってるんですかその甘い誘い文句に何人の女の子が騙されたと思いやがってんですか!」
 それを面白そうに口角を上げ、起伏の少ない声で銀時が、
「ギャーギャーギャーギャー。アイ○ォン5を待ちに待ったのに発表された途端に傷心して海辺で叫ぶどこぞのマダオですか」
「違うネ!違うネ銀ちゃん!それを言うなら8が出るまで待つって言ったのに発表前日に5で変えようかと嘯きやがって当日の夕食でいつまでも8を待ち続けると宣言した作者の親父ですか、の方が正解アル!」
 畳み掛けるように神楽が糾弾した。
「いや神楽ちゃんそれ危ないですよ。言うなら今更になって4Sを欲しがる作者、と言った方が短くまとまりますがどうでしょうか」
「危ない!そっちも危ない先生!というかなんなんだよ!お前らなんなんだよ!」
 入る隙もない彼らに桂は少しばかり嫉妬する。
 それ以上に安心と安寧と、そして悔いても悔いても収まらぬ後悔が押し寄せてきた。こうだと分かっていればあんなこともこんなことも起こっていようか。最も望んだはずの結末はあり得ないと大人になりすぎた自分が分かりきっていたからこうも諦めこうも憎悪を糧にすることができたのだ。あり得ぬと知っていた。故に起こった時にこんなにも混乱し、こんなにも後悔する。
「ところで小太郎、誕生日いつでしたっけ?」
「はい?」
「いえ、気にしないでください」
 彼はどう思うのだろうか。ふと思案を馳せたのは京にいるとも宙にいるとも分からぬ男。彼はこれを見て、どう思うのだろうか。

「やつを呼んだよ」
「そうかい」
 着いてすぐ、座りもせずに唐突に告げたそれをこうも軽々しく受け止める銀時を桂は思わず振り返り、まじまじと見返してしまった。なんだよ気持ち悪ぃ。片眉だけを上げ、不機嫌そうに顔をしかめる。なんだよ、何見てんだよ、天パがそんなに変かよ。まったくこれだからサラサラストレート様の嫌味な視線は…。
「いや、盛大が爆発具合だと思ってな」
「死ね」
 上辺だけの応酬だということは互いに百も承知なのだ。自分達以外に人がいるはずもないのに、妙に気配が気になり、風に枯葉が地を滑るだけの音でも肩を上下させるほど鋭敏になっていた。
 日焼けした畳のいぐさの匂いと、梅雨時であるような湿った雨の匂いが混ざっている。
 これが煤けた都会の雪解けの匂いだろうか。
「坂本が京を寄るようだったからな」
 だからなんだとか言わない。言えない。名さえ呼ぶことが躊躇われるどうして用件など言えようか。毎日毎日飽きもせずに何十回何百回と呼び合っていたのに、嗚呼それがここで途切れるのか。それとも再び繋がるのか。繋がったとしてもそれは何があっても共に束ねられた運命だと信じて疑わなかったあの日のようなものではなく、互いに無様に生え残った牙で互いに噛みつき離せるのに離さぬ類のものであろうか。違うのか。彼人が伝手であれば、違うのか。
「で、どうするんだよ」
「会う他ないだろう」
「誰と誰が、会ってどうするんだ?」
「顔も合わせぬよりはマシであろう」
 隣庭から覗く笹に積もった溶けきれぬ雪のように、心は重い。完全に道を逸らしてしまった自分達が強引に集うには獣すらも通らない断崖絶壁の淵しかないのだ。
「先生は、会うのかよ?」
「会うよ。先生は会う」
 何をどうしようと、どうなろうと自分の大切な教え子であることには変わりないから、松陽なら絶対に会うと分かっている。そして受け入れ、多分、昔褒める時に慰める時にそうしてくれたように、頭を撫でるのだろう。何もかも頷いてくれ、その温かさが痛い。許されることを許さない自分達は、きっとどこかで許しを乞うている。桂も銀時も、きっと高杉も気づいているのに、それを認める己さえ許していない。
「でもよ、あいつは分かんねーだろ。自尊心も責任感も人一倍高い奴だからさ」
 故に天の引き合わせた邂逅ではなくわざわざ出向くなど、あり得ない。会う顔などない。誰とて今更会う顔などないのだ。
 しかし銀時、と桂は何を思い立ったかのように一転、悪戯をする子供のような表情になった。にやりと口元を歪ませる。
「俺達の今を先生が知っているのだぞ。俺は今日のバイトとそしてお前はそのマダオ具合を存分に晒しているではないか。幸い西郷殿のところはまだばれていないがそれも時間の問題…銀時、ここは高杉の下のグラサン掛けた人斬りと幼女趣味の参謀と参謀曰く猪女と高杉本人の生活の実態を晒すべきではないかと思うのだが…」
 どうだろうか、と桂が問う頃には銀時も人の悪い含み笑いを浮かべ、某片目の男を真似てクツクツと喉を鳴らしてみせた。
「さぁすがヅラ。優等生と見せかけて塾で俺達のやった悪戯の半分はお前の策だったあの頃の実力まだ腐ってねーじゃん」
「ヅラじゃない桂だ。うるさい、過去を掘り下げる男は嫌われるぞ」
 違いますー、もてないのは天パのせいですーと拗ねるいい大人であるはずの幼なじみを見て桂は苦笑をこぼした。
 まだ果てていやしないのだ、この男とて、自分とて。
 さっと高層ビルで途切れた空を横切ったあれは、季節外れの雁だろうか。



 





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