焼失点 十六 | ナノ



 十六


「銀さアアァァん!!」
 寂れたとはいえ構えだけは堅実な造りの志村宅で出迎えたのは仕事帰りの妙に非ず。弾丸の如く飛び出した影に火に飛び入るような真似だけはしたくない新八は松陽の手を引き後ずさった。というか、何故自分の家に入るのにこんなにも警戒しなければならないのか。
 うっせぇ離せ雌豚!罵りを浴びせても興奮を煽るだけだということを未だ学習できない己の上司に新八と神楽は生暖かく湿った眼差しを送りそして息を揃えて大げさな溜息をついた。
「女性に何をするんです、銀時!」
 ガムだか粘着テープだか分からないが、さっちゃんこと猿飛あやめはべっとりと纏わりついて離れない。容赦なく肘を顔に打ち入れた銀時を咎める口調で松陽が僅かに、ほんの僅かに、声を荒げた。
 吉田さん、見て下さいよ。若干口端を引き攣らせながら新八が松陽に耳打つ。こんなさっちゃんと銀時の応酬は避けては通れない道なのだ。それはまるで先程出くわした沖田が連れていた近藤とお妙のように。よぉく見て下さい。さっちゃんさん、頬を染めてますよ。まるで初恋の乙女が熱い抱擁をして甘酸っぱいレモン味の接吻をした後みたいアル。神楽ちゃん例えが具体的だね、というかどこでそんな抱擁とかそーゆー言葉を覚えたの?!何だヨ女ナメんじゃねーぞ新八。昼ドラヨ。節子が実家に泣く泣く戻るけど兄嫁の直子と義理の弟が…。もういい!神楽ちゃんもういいから!
 完全に脱線する話題戻す手立てもなく取りあえず松陽は色々な事情が掴めた。そしてもう何が起こっても問いはしないと心に決める。そんな松陽を傍観と決め込んだ子供達が引き連れ、中に入る。後ろで銀時が俺を置いていくなと喚いたが聞こえなかったことにした。

「あら銀さんに神楽ちゃん。いらっしゃい」
 妙が喧噪を聞きつけ玄関に向かったのは仕事終わりに帰宅すればゴリラが迷い込んでいてそれを躾(と言う名の折檻とはまだいい方で、一方的な暴力)を施し中々良い汗を掻いた後だった。
 ウォーっ、姉御!と靴を脱ぎ散らした神楽を抱き留め、妙は新八に手を引かれ立つ男を目に止める。
 妙が弟の雇い主の師匠が今一緒に住んでいると聞いたのは大分前のことである。新八が、あ、そうそう姉上と久しぶりの家族団らんと言っても二人であるが、その時の話を持ち出した。
「銀さんとこに吉田さんっていう先生が来て、銀さんが教え子らしいですよ。その割に見た目は若いししかもあのマダオの先生とは思えないほどいい人だし…少し天然ですけどね」
 若いというと先生というより兄貴分のような人かしら、と思いそして続けることもないので流したのを妙は覚えている。そんなもはや何でもない日常会話に紛れ込んだ朧げな記憶を引っ張り出し、自分のイメージと現れた吉田さんへと重ねてみる。
 若い。
 確かに若かった。
 様々な人種の血が交わりそれが身体に流れる者の年齢は見分けられないと言うが、彼の外貌は色素が薄いながらもれっきとした日本人のそれである。しかし多国籍者と類似する謎めいた、または初対面では特定、そして分類し得ない容姿を持っていた。肩に掛かる亜麻色を更に薄めたような髪は昔、まだ妙が幼かった頃に母から聞いた異国の物語に登場する子供を思わせる。間違ってもアニキ!と軽々しく呼ばれるような人ではない。長い前髪は彼が教壇に立ち本を朗読すれば目は完全に隠れるだろう。確かに悪い人ではなさそうだし、博識だろうし、これが更に弟の言うように天然であればこの世界は何と手塩をかけて此の人を憎めないような存在に創ったというのだ。
 そんな人が中々どうして、これほど澄み切って目をしているのに、それがあまりにも透明だから奥まで見通してしまいそうでまるで、

 ――まるでこの人は此処にいるべきではないと感じてしまうのか。

 無意識の内に足元まで視線を巡らせた妙が顔を上げれば松陽が柔らかく微笑む。
「新八くんのお姉様ですね。初めまして、私は」
「吉田さんですね、弟から話は聞いています。どうぞ上がって下さいな」
 ではお邪魔しますと丁寧に雪駄を揃えて上がった松陽にあばら家ですが、と口にしたこともない答辞を述べた。
「お妙さん、改まっちゃって〜」
 さっちゃんを必死に巻いた、というよりは宅配ピザのパート中だった服部に押し付けた銀時が茶化すのを取りあえず脛に蹴りを入れて黙らせた。神楽ちゃん、お菓子があるの。持ってくるわね。お茶も淹れてきますね、どうぞ寛いでいて下さい。なんでもないように振り返れば新八に息の根は止めない程度にお願いしますと釘を刺される。何のことですかと松陽が聞けばいえこっちの話です。…よく出来た弟である。

 炬燵に身を埋めながら眺める外の世界ほど虚構に感じるものはない。如何にしてこの人工的な温かさに包まっている己が首を縮込め鬱憤をした表情を浮かべ足早に道を急ぐ人々と同じ世界に居ようと思えるだろうか。屋内は和やかで、屋外は荒んでいる。パチパチと軽快な音を鳴らして消えるのは傍に置いた火鉢だ。
 神楽はテレビに釘付けで、時々何に興奮したのか新八の頭を鷲掴みにし、卓袱台に繰り返し叩きつけている。さっちゃんとの応酬で精神的に疲れた銀時が伸びていて、時折訪れる衝撃に成すがままに揺れている。
 幾度となく、そして容赦なく顔面を強打し新八の眼鏡と鼻の骨もそろそろ危うくなった頃。不規則に襲う揺れに松陽の持った湯呑が滑り、中身が零れた。あらあら、と大して気に留めた風もなく妙が雑巾で拭う。湯呑をどけて手早に片付ける妙を手伝うこともできずに眺めていた松陽はどうにかして流れるように新しい茶を注ぐ妙に朝方に見た近藤の成れの果てとそうした新八の姉の女傑っぷり(というのも控えめな表現で、)を見出そうとしていた。
 武家の娘だけに動きは洗練されており、教養もある。町娘のように流行に乗って着崩すこともない上、十八という二十歳にも届かぬ歳としては大分落ち着きそして老成とした雰囲気も漂わせている。武芸も極めているだろう。しかしそれが仮にも一局長をさも無残な姿にするほどであろうか。もしかして自分の知らない十五年の間に極端に体力を増幅させる薬やら何やらが出回って娘達の間で人気なのだろうか。
 松陽は混乱した。苦笑した。
 松陽は生来読書を好んでいた。己の知らぬ世界の片鱗でも覗くことが好きだった。一を見て十の世界を想像と考察と分析で補い、そうして自分の独特な世界観を広げてきた。
 けれどもあまりにも落差の激しいこれは勝手に解釈をしては妄想の域に入ってしまう。これは身のためにも深入りしない方がいいのではないか、と松陽がありがとうございますと言いながら悶々と考え始めたところであ、そうだ!とその本人、妙に声を掛けられる。
「新ちゃんが吉田さんの着れるような着物を用意して欲しいって言ってたんです。先に着替えますか」
「ご迷惑をお掛けしてすみません」
「いえ、新ちゃんが何から何までお世話になっていることですし」
 ではご厚意に甘えて。立ち上がり廊下へと出た松陽は妙が銀時に向かって破亜限堕取スーパーにある分だけな。そうさらりと言ってのけたのを知らない。

「丈が合うかどうかは分かりませんが」
 どうぞ、と手渡されたのは芦色に裾と袖口に青褐の露芝文様の着流しだ。水を思い浮かべるとして夏に涼を取るために多用されるが、四季を通して使われ、奈良時代から伝えられた伝統のある紋である。
 妙が断り障子を閉めた。
 水と言えば…。
 袖を通しながら松陽がふと思い出す。淡々と、コマ送りの映像を閲覧するようにパラパラと自分の記憶を捲る。そういえば、教え子の着物は流水紋だった。あの子は確かにまるで真空の中に存在する水のようで、確かに予想の遥か斜め上を行くことが日常茶飯事だ。その意外さに度々驚かされるのが嬉しくも悲しかったことを思い出す。水も雲も心なく、ただ流れるがままに流れるだけだ。人の感情がそこにはなかった。人と呼ばせる環境がそこにはなかった。
 松陽は障子を引き、隙間から左右を覗いた。
「お父上の着物で、大切なものでしょうに」
「着る人が居ないと服も寂びますから、着てやってください」
 少し丈が短いですね、でも大丈夫だと思いますよ、全体的には。浮かべる燦爛な笑顔の裏にはこれに文句つけるのは許さねーぞオラな空気もなかったとは言えないが、実際丈も気にするほどでもなかったので取りあえず頷いた。
「不躾な質問ですが、」
「どうぞ」
「ご両親は」
「死にましたよ」
 前置きをして訊ねればすぐに返答が返ってくる。慣れている。それが窺い知れるほど間を置かれることがなかった。彼女は知らなくともいいものに慣れていた。
「父も母も病で」
 父は武士の根っこに固執する人でしたよ。滔々と話し始める彼女は夢に浸るような心地で。目を閉じてまた開ければ彼女はきっと地面から三寸も三尺も離れた所で浮かんでしまうのではないかと思えた。
 そう遠くはない、数十歩先の居間から音が届く。節子が、節子が!神楽の涙声に潰れた蛙のような呻き声を出すのは銀時だろうか。どうやら新八が使い物にならなくなり、次の標的へと回ったらしい。
 尊敬していましたよ、父上のことは、心から。歩きながらも妙が続ける。天井を仰ぐ。そうですかと相槌を打ち、続きを促す他に松陽のできることはなかった。苦しいなら話さなくてもいいと止めることさえも傲慢な気がした。声を発すのは妙でありながら彼女ではなく、どこか神聖な、または立ち尽くす幼子のような気がした。
「軽蔑などということは全くありません。ただ私は失望したんでしょうね。父の生きる姿に、一本の決して折れることの許されない芯をその身に通して生きる姿に恐ろしいほどの憧れを抱いていて、その分それが壊れた時、憧れに代わって感じた幻滅は大きかったのだと思います。私は彼の娘であることに誇りを持っています。でもその誇りを今の世で通すのは無理があるんです。新ちゃんはその魂を学ぶために銀さんについています。時々いい加減に給料は欲しいですけどね、でも私がそれを了承したのは確かに彼から私は父上に見たあの意地を見たからなんです。でも侍という職で生きていけるほど甘くはないって私自身が一番分かってます。父上が逝った時には途方に暮れましたよ。でも地面は崩れてはいないし、足もある。だから立ち上がって歩かないといけない。前に何もないと分かっていても、留まっていては置いて行かれるんです。だから新ちゃんにはそんな先の見えない道を歩いて欲しくはありません」
 己の軽率に説いた言葉が人の道を、当時はまだ年端も行かなかった子供の信頼を砕くものならばそれは何という罪に定めればいいのだろうか。それは虚飾であり傲慢であり、怒るべきものであり、七つの大罪と三つの毒を混ぜ合わせてそれを具現化したものである。それは有無を言わず攻め入ってきた異星のものでもあるし、拒みながらも掌を裏返し甘受した国でもあるし、頑なに主張し続けて散った自分達でもあった。
「すみません」
 許しを請うための言葉ではない。むしろ決して許してくれるなとの意思表明だ。
「いいえ」
 振り返った妙の表情はしかし、にこやかだった。屈託のない笑みを満面に浮かべていた。
「吉田さんは私と十も離れていないじゃないですか。それにこれはもはや独り言ですよ。周りはこんなことを押し付けるわけにも行きませんから。新ちゃんや神楽ちゃんは論外で、九ちゃんはもう片目まで犠牲させてしまって、銀さんは、あの人は私以上に苦しんでますから。これ以上心労を増やして壊れては困ります。なんたって弟の雇い主ですからね。だから初対面だけど一番懐かれてる吉田さんにちょっとした焼きもちによる悪戯だから、決して気に留めないで下さいね」
「…それはそれは、随分と重い悪戯を」
「ええ。だって新ちゃんは帰れば吉田さんの話をするわ神楽ちゃんも先生と呼び慕ってるわじゃないですか。姉御か先生かで言ったら先生でしょう」
 本当に先程のことなど忘れたように、妙が神楽ちゃんは私のですよ、と告げる。豁然とした間に戻った態度が銀時に小さい頃の不器用な甘え方に似ていて、その甘酸っぱいなんとも言えぬ感情を噛みしめて松陽は頬を緩めた。
 新ちゃん達に見せてやりましょう、ついでに神楽ちゃんを落ち着かせないと。暖色系の色に包まれているだろう(下手したら血にも染まっているだろう)居間を想い、松陽は妙を呼び止めた。
「ところで妙さん、貴女は十五年前、何歳でしたか?」
「三つですけど、どうかなされました?」
 いえ何でも。なるほど三つの子供を十八にさせるのだ、十五年の歳月は。
「ただ、私も若くありませんよという、それだけのことです」


 あ、マダオネ。神楽が指差した先には長谷川がただの塊となっている。しっ、見ちゃだめだよ神楽ちゃん。新八が慌てて諌める。昼が過ぎたかぶき町はまだ疎らではあるものの、人が集い始めていた。冬にしては日差しが強い。濃い影をアスファルトの道路にうつしている。
「ほらそこのお姉さん!君のスタイルならすぐにナンバーワンになれるよ!ほらエリザベスもそう思うだろう!」
 真昼間からクラブのキャッチやら勧誘やらにあまりにも聞き慣れた声が耳朶に響いた。


 しかし。
 しかしそれもそれで、また
 

 ではないか。


(お妙さアアァァん!!貴女は何を悩んでいるのですかどっちにしろこの勲が癒してさしあげッぶほぁっ!)
(いつから居たんじゃクソゴリラあアァァ!!!!)
(え、俺いつまでも、いつからでもお妙さんの傍に控えて(ほぉ。取りあえず死にさらせこんのストーカーゴリラおらおらおらオラオラ…!))
(……。)
(…先生どうしたんだ?)






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