幸せな幻影 | ナノ



幸せな、とか言ってるけど暗いですよ銀さん病んでますよ。
――――――





 当てもなく散策していれば案の定、パチンコ店の外で項垂れている長谷川を見つけた。このまるで駄目なオッサンは澱んだ目をサングラスで隠し、真っ昼間から風に吹かれその辺に転がっている段ボールと共に佇んでいる。そんな堕落者に向ける人々の目線は冬日の寒風よろしく、非常に冷たい。
 近づいても反応はなく銀時がニ、三歩前までたどり着けばやっと、長谷川は両膝に埋めていた顔を上げ、弱々しく口元を引き攣らせた。恐らくは微笑もうとしたのだろう。
「あー…銀さん…」
 ハハ、ハハハ…乾いた笑い声を上げる浮浪者然とした男―まあ事実浮浪者であるけれども―の前に銀時が片膝つく。陽射しは春のそれを彷彿させるのに、肌を切り裂くような風だけが浮かれて危うく土手や川原に寝転がって一眠りでもしそうな人々を引き締めていた。どこぞのサド王子は十中八九、屯所の縁側で季節構わずサボっているだろうが。銀時はポン、と長谷川の肩を叩いた。
「よう、長谷川さん、飲みに行かねー?」
「え?飲むって、銀さん、パチンコで大当たりでもしたの?」
「誰が奢るっつった」
 途端に顔に影を落とし、え、奢らないの?と目で切実に訴える長谷川に銀時は髪をわしゃわしゃと掻きながら視線を反らし、あーと唸る。「いや、奢るけどよ」
「本当か!俺かれこれ二日はここに蹲ってんだけど、誰も見向きしてくれないんだって!捨て犬になって仔猫にだって餌あげてたのにようっ!」
「...あーなんかもっと早く来ればよかったなごめんな何か俺がめっちゃ悪人に見られてるみたいんなんだけど何でだよ...」
 というかお前は犬猫以下か。というか可愛さとか愛嬌とかそういうのが足りないのか。というか、オッサンに可憐さを求めてたら終わりだろ。小声で応酬を繰り返す。
「いやーありがたいよ銀さん」
 服の埃を軽く払いながら立ち上がった長谷川はじゃあ行こうかと既に大通りに向かっていた。裏路地は埃を被っていて、どこか靄を包んだような空気だったが、空は悔しいほどにまで蒼い。青く、白く、若芽の淡い緑によく映えた。
「まー奢りは相談料というか、情報料というか、口止めとして受け取ってくれよ」
 木刀を差し直し、ゆらゆらと立ち上がりながら呟いた銀時の言葉をそれでも、長谷川は敏感に聞き取った。純粋に珍しいなと感じる。
 くだらないこと、例えばヤブ医者がこのまま甘いものを食べていたらどっかが爆発するって言ってっから俺の人生もうどうしようだとか、というか爆発はどうでもいいんだけど俺から甘味を取ったらもう忌まわしい天パしかないからどうしようとか、本人は真剣かもしれないがだからそれがどうしたというようなものなら酒の肴に聞いたことはある。それはおでん屋の屋台での鉢合わせだったり、共にげっそりした顔で対面のパチンコ店から出てきたり、そんな偶然ばかりの時だったはずだ。専ら人生相談などは銀時に聞いて貰っている分、その本人が自分を探して相談、なんてことは今までにはなかった。自分の転落人生を後押ししているのもこの男には間違いないのだが。
「なにそれ?」
「昔話、みたいな?」
「いや俺に聞かれても…」
 銀時がいつもと違うことは左手が懐手ではなく木刀の柄に掛けられていることだったり、ツッコミとボケがぎこちなかったり、そんなところで余裕がないのだなと悟る。
 橋に差し掛かる頃、川沿いの建物から木戸にぶつからんばかりの勢いで子供が数人飛び出してきた。確か寺子屋だったと記憶している。昼飯を食べに帰るのか、蛙か、虫をでも捕りに行くのか。先生と思しき男が困った笑みを浮かべ、しかし嬉しそうに見送っていた。それを静かに一瞥し、通り過ぎる銀時の目に一糸の淀みが過ぎる。それを哀愁と呼ぶのか。立ち竦みながら長谷川は脳だけが離れて、まるで全てを俯瞰する鳥のように酷く客観的に自分たちを見ていた自分に気付いた。
 飯いらねーのか、と長谷川を追い越した銀時が僅かに後に視線をやれば、弾かれたように長谷川が肩を跳ね上がらせた。とうとう空腹で意識が飛んだのかぁ?大丈夫じゃないよね?どこまでも気だるく、感情のこもっていない口調に長谷川は歩を速める。相談?それなら俺の話聞いてくれよ!俺も負け犬公園にも行けないよ負け犬以下だよだってあそこに居たらまだ前肩代わりした二千万返してないってすぐに嗅ぎつけてくんだよあいつら!
 そんなことを叫びながら表通りを行くマダオ二人に向けられる人々の視線はやはり、どこまでも冷たかった。

 午後から営業していると言うが、開店したばかりの居酒屋は寝起きの悪い人のように生気がなかった。店主は昨夜、というよりも今朝の売れ残りのものと酒を出したきり、黙々とグラスを磨いたり卓を拭いたりと黙々、自分の事をやっていた。
「最近なんか疲れてさ、疲れると長谷川さんと喋りたくなるんだよな」
 一杯目から仰ぎ飲んだ銀時は音を立てて徳利を置き、揺らめく透明な液体から目を離さずに言う。とりあえず、と店主が作ってくれたお好み焼きにかぶりつきながら、長谷川は視線を銀時に投げかけた。ちなみに店主の親父は本当にいい人だと感涙する。
「なんで俺?」
「いやだって、長谷川さんはいつも人生に疲れてるじゃん」
「ちょ、確かに俺は人生の転落街道まっしぐらだけれども!自分で言うのもなんだけど、やつれてるけれども!昨日だって今日だって多分明日だってアルバイトの面試で落ちるけれども!」
「ほら明日も落ちるって確信もってる時点で駄目じゃねーか」
「え、じゃあ明日は受かるかもしれない…」
「多分落ちるんじゃね?マダオだし」
 腕枕を作り、銀時はテーブルの上に突っ伏した。長谷川は項垂れる。
 店内は些か暗かった。裸電球が幾つか、等間隔で並んでいる他に照明はない。外の光を遮っているわけではないが、決して広くはない窓から差し込む陽射しは僅かなものである。
 口いっぱいに含んだお好み焼きを麦茶で流しこみ、長谷川は一息ついた。
「疲れてるか、そっか」
「この職業やってるとさ、いつかなんか手掛かりを掴むことが出来るんじゃないかって、思うんだけどもう俺万事屋やって何年よ?何も転がり込んで来ないというか」
「仕事が?」
「痛いとこ突いてくれんな。ま、仕事も収入もそうだけどよ、もっと他の、手掛かり…うーん、パズルみたいなやつの、それのピースだよ」
 半開きの目で銀時が棚にある酒の銘柄を追う。越乃寒梅、月桂冠、泉正宗、八海山、黒龍。手を伸ばしても届かないものばかりだ。
 疲れているからといって駄々を捏ね、放り出すには余りにも歳を取りすぎていたし、頑張れと言えば頑張れる程純粋ではなく、かといって潔く諦められる程老いてはいないことはよく分かっていた。
「なんていうか、その、お疲れ様」
 図々しく更に肉を注文しながらも幾分言葉に困った長谷川をよそに銀時が立て板に水の勢いで続ける。
「パズルの一角だけはもうほぼ完璧と言ってもいいんだよ。というか作ってる俺がいいって言ってんだからもういいよね。…でもその反対の一角が出来ねーと完成しねぇんだ」
 ジリジリと裸電球が音を立てる。不動だった空気を震わせる。一羽の鴉が鳴いたら全てが鳴くように、あとを追って残りの電球も振動する。ジリジリ、ジリジリと。
 運ばれて来た肉に銀時までもが目を輝かせ、食わせろと迫った。むしろ俺が奢ってるんだから俺が食うのは当然の権利だよな。肉を横取りし、満足気に頬張る銀時にせめて残りのは取られまいと長谷川は必死に箸を動かした。そして口に詰め込む。呑みきれなくなったものをまた麦茶で流し込んだ。
「完成したら、どうするんだい?」
「壊すよ」
 感情なく即答され、長谷川は思わず目を剥いだ。
 壊すよ、多分。それは完成した時の俺が決めることだけどさ、多分俺は壊すよ。
 全てを超然とした体で話す銀時に長谷川は窓の外を駆け抜ける子供を指して、微笑ましいなと話題を変えるしかなかった。

 橋の桟に体重を預けていた。
 騒がしさの中、最も響くのは子供の声だと長谷川は思う。神社か寺の境内で遊んでいるのか、公園で○S○に熱中しているのか、八百屋のおっちゃんに怒られているのか。まだ汚れを知らない、知らないが故の真剣な声だ。
「じゃあさ、昔、大人になったら何になりたかったんだよ」
 唐突に尋ねられ、長谷川は「はい?」と間抜け面で返す。大体その「じゃあ」はどこに繋がっているというのだ。銀時の方を向けばいつもの人を食ったような顔があった。にぃと上がっている口角が答えを促している。
「俺は親父が岡っ引きみたいなもんをやってたからその跡を継ぐもんだと思ってたんだけどな」
「でも継いでねーじゃん。つか、岡っ引きってそりゃ、警察みたいだな」
「婿養子に入ったからね。まー警察というよりは火事の犯人を取り締まる感じので、下っ端だったけど」
 川面は午後の暖かな光をたえている。飴細工売りの周りに寺子屋帰りの子供が群がる。蝶の形のを片手に高々と上げながら、子供の一人が先生と思しき男に持って行った。背中しか見えないけれど、長谷川は容易く子供の表情が想像できることに顔を綻ばせた。
「銀さんは、何になりたかったんだ?」
「…糖分王とそれと、先生かもな」
 今でも俺は糖分王になる夢を追いかけてるけどね、何せ心はいつでも少年だから。飄々と嘯く銀時を長谷川は色の濃いグラサンに遮られた目で見た。銀時は橋の桟を指で突ついている。等間隔に、トントンと。
 桂から先生という存在を聞いたことはある。酔った際に口走ったものだから、桂自身はこのことを覚えていないのだろう。長谷川もそれを喋ったことはないし、そのことを忘れようと努力さえしていた。しかし桂から先生という存在を聞いたことはあった。今目の前で糖分王のためにはまず江戸中の甘味を制覇して宇宙に進出せねばなどと呟く男の心をつくった者であるのだと。そして意図的でないにしろ、喪失によって彼らの行く末を捻じ曲げてしまった者だと。
「大切な人なのか?」
 聞くまでもないだろうに。だけどこの男は聞かねば何も応えてはくれないから。余計なことは煩いまでに喋り通すのに自分のことになると途端に沈黙は金と口を重く閉ざし、うまい具合にまた余計なことにはぐらかしてしまうから。さも面白そうに銀時が笑う。
「長谷川さん、マダオなだけあるよな。先生を職業ではなく人として捉えるなんて。あってっけど」
「いや意味分かんないから。マダオなだけあるってなんだよ」
 鴉が鳴く。子供が帰る。
 名誉も富も何もいらない。ただあの人と共に居る永遠を祈っただけなのに。
 男は何かに幻滅している。憎んでいるのではない。敬虔で、心を寄せたものに絶望しているのだ。何かとは何か。嗚呼、この忌まわしくて愛おしくて、恨めしくて悲しい世界か。

「パズル、壊したくないでしょ?」
「はぁ?何時の話だよ?」
「飯の時の話だって」
 夜が忍び寄ると共に日だまりの中では影を潜めていた風が再び吹き出した。荒々しく、発散のする場を失った幼子の癇癪のように強く弱く変化する。うまい具合に誤魔化すには銀時はこの話を語りすぎた。適等に流されるには長谷川は頭を突っ込みすぎた。
「本当は壊したくなんかないんだろ。壊してしまうには銀さんはお人好しすぎるって」
 地球は秒速473メートルで自転して29.78キロで太陽のまわりを公転するのにその上に身を置く人は気付かないように、この男は自分の優しさに気付くことはない。
「臆病だぜ、俺は。多分長谷川さんが思ってる十倍以上は。すべてが狂ったあの日にテメェで選んだ道を踏み外す勇気もその道を突き進む勇気もない卑怯な奴だ」
「思ったことを曲げないのは勇気だけど」
「根拠のない勇気は愚かさだろ」
 嘲りの籠った声が落ちる。
 グラサンの先には息を切らして走ってくるメガネの少年と怪力少女が見える気がして、長谷川は銀時を殴りたくなった。幸せを知っているからこそ苦しい、手の届かない幻影より現実を見やがれ、と。彼自身が思ってる十倍以上、彼は頼りにされているのだ。
 灯った街灯の明かりと夕暮れの光を吸い込んだ水面が自分を映す。己の知らない自分を映す。

 彼は顔を上げる。伸びた銀髪の間から覗くのは揺るぎない信念と僅かに悲哀を滲ませた紅い瞳だ。
「元入国管理局局長としてさ、聞かせてよ」
 聞かせてよ、この国を束ねる奴らの話を。
 鴉が鳴く。子供が帰る。


 遠き日の自分に重ねたものは、きっと叶うことのない、振り返ることも立ち止まることもない、

 

――未完成のパズルの一角は、彼の人と新八と神楽とババァとヅラと馬鹿とあいつと多串くん連中。




2012・3/20


――――――
はは...長谷川さんの意味ないんじゃね?
というか長谷川さん誰ですか?
口調が全く分からなくて、アニメのあの掠れた声しか思い浮かびませんでした。
高杉のように先生のいない世界を憎んでるのではなく、坂田は先生を奪った者に殺意を抱いてるのだと思います。
今の生活もかけがえのないものだけどやっぱり先生に拘る坂田さん。





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