拈華微笑 後 | ナノ



「弱った白夜叉を叩きのめすんだと」
 無謀な奴らじゃねェの。最近吸い始めた煙管をくるくると指先で弄びながら高杉はクツクツと喉を鳴らして笑った。果たしてこの男はいつからこんなにも趣味の悪い笑い方をするようになったのだ。器用に煙管を回す高杉の手元を眺めながら、桂は眉を顰めた。こういう男ではなかったはずだ。
「なるほど。一番危険の伴う役目。体力の消耗も激しいだろう。それで貴様はどうしたのだ」
 桂の問いに高杉はすぅと双眸を細める。愚問だとでも蔑みたいのか、それともあの男達を見下しているのか。
「帰り道に潜伏してなァ。いい年をした野郎がだ、つける俺に全く気付かねェ。あんなんでよく生き残れたなとしか言いようがねェよ」
「その点には同意するが、俺が問いたいのは貴様がどうしたか、だ」
「アァ?片付けといた。胸糞悪いからなァ。テメーもそうだろ、ヅラ」
「ヅラじゃない桂だ。殺したのか?」
 否定しない桂に高杉は興味深そうに笑みを深めた。いいや、と否定し、そして煙管に煙草をつめ始める。火種に雁首をそえる仕草は流れるように自然で、いつか見た、懐かしい黄金色の雲によく映えた。
「殺してはねェ。今頃まだ転がってるか...そうだなァ。見つかるのが遅かったら死ぬかもしれねェな」
「ほう」
 高杉が手加減するのは珍しいことだ。一つ頷き、湯呑みを置いた桂は立ち上がる。
「飯届けてくる。今晩はお前が好きなカレーだぞ、高杉」
「いや、誰もカレー好きになった覚えは全くねェが」

 布団も敷かず畳の上に蹲る銀時に桂は仕方なさそうに溜息をついた。食事と共に持ってきた医療道具を準備しながら、なるべく音を立てないように銀時の隣に腰を下す。
「飯?」
 声が、暗がりに溶けていく。至極だるそうな声色で、平坦であった、
「食べ物しか眼中にない馬鹿が。その前に傷の手当をせねばならんだろう」
「面倒くさい。明日でいい」
「痛むだろう?」
 諭すような口調で桂がゆっくりと確認する。銀時は多くの面を持ちすぎて近くにいる桂でさえ困惑することが珍しくない。戦では通り名の通り夜叉の如し強いのに、甘味に飛びつき簡単に騙される。大人のようで同時に子供でもある。幼児のように拗ねる銀時は桂にとって酷く懐かしかった。
「痛くねーし...つか、消毒液つけた方が痛いし」
「馬鹿か。化膿したらもっと痛むぞ」
「馬鹿馬鹿言うんじゃねーヅラのくせに」
 ヅラじゃない桂だ。いつもの如く言い返し、それきり会話が途切れた。包帯を出し手当てをする桂に大人しくされるがままになっている。漂う静寂がぎこちなく、苦しい。
 終わったぞ、と軽く怪我をしていない方の肩を叩き、銀時はまた寝転がった。
「...俺はお前が思うほど弱くねー」
 拗ねたようにボソリと非難される。なるほど先程の高杉との会話を聞いていたのか。それもとまたは戻る最中に既に気付いたのか。濃い血臭がするのにふわりと跳ねる白い髪を撫でながら、桂はとぼけてみせた。
「そうだな。消毒液かけても反応しなかった」
「あれは痛すぎて身悶えてたんだよ察しろよ」
 さっきより痛てーよ全く。悪態やら愚痴やらを散々吐く銀時のそれが強がりだということを桂は昔から知っている。付き合いの浅い人でもすぐに気付くほどの顕著さで、哀れみだけはしてくれるなと訴えかける。
 決して弱みをみせないからこそ決して傷ついて欲しくはない。感情には殊更敏感なのに中々どうしてこのことには気付かないのか。
 カレーは甘めに味付けしておいたぞ。それだけ言い残し、桂はゆっくりと襖を閉じた。


 鎌を振る巨体が目の前まで迫ってきて、桂は初めて今自分の置かれている状況に気付く。
 斬られる。反射的に身体を強張らせたが、避けることなど到底できない。
 戦場の真ん中で他のことを考えるなど命取りだと部下にも口を酸っぱくして言ってきたではないか。なのに昔の記憶に思い耽ってしまった。天人がニヤリと笑うのが見えた。桂さん、と部下の切羽詰まった金切り声が聞こえる。

 斬られる。

 天人の勝ち誇った表情が固まった。腹から赤い線が滲む。気付けば溢れんばかりの血飛沫が夜闇に舞い散り、そして殴られていた。
 その瞬間、自分はかなり間抜けた顔をしていたことを桂は自覚していた。
「ボケーッとしてんじゃねーよ馬鹿ヤロー!!俺が間に合わなかったらどーするんだよ!今頃おめぇはもう真っ二つだろうが!」
「ああ、すまない、銀時...え?」
 反射的に謝ったが、名前を呼んでからそういえばこいつは寝込んでいたのではないかと思い至る。その寝込んでいて、置いてきたのが怒鳴っていた。本気で怒っている声で息を切らしながら、怒鳴っていた。
「え?じゃねー!高杉と辰馬は?」
「高杉ならその辺に、坂本は貴様の代役で、って銀時貴様、大人しく休むことも出来んのか!」
 前方から砲音が聞こえ、一拍置けば悲鳴が伝わってくる。討ち取ったか。松明の焔が轟々と一層燃え盛るような錯覚を覚えた。視界がぶれ、掠れ、揺らめく朱で埋め尽くされる。焔は関係なくものを破壊するのにその色合いはひどく柔らかい。うっかり彼の遠い昔の日に思いを馳せてしまうほど、柔らかい。
「とっとと片付けるぞ!」
 言うや否や一つの暗闇とも、火の赤さとも相対する一つの白い影が躍り出た。天人を薙ぎ倒すその勢いは傷など全く背負っていないように見える。
「金時!おまん気が狂ったかや!」
 坂本が叫ぶ。高杉が顔を上げる。早く片付けようか、と桂も周囲の天人に意識を戻した。

 夜明けを色に例えれば、それはぎんいろなのかもしれない。この世に存在する有彩色無彩色すべてあわせて、極彩色を極限まで薄めて、それでいて尚輝きを放つものであるのなら、それは夜明けの色なのかもしれない。
 釈迦が花を拈(ひね)ればその徒弟はその意味を悟ったという。さすれば仏となり得るのか、それとも仏だからこそでき得るのか。しかし不器用な自分達にはそれすら難しい。素直さが難しい。きもちは酷く単純で、こんなに近いのにあまりにも遠い。
 障子一枚隔てた向こうでの会話がはっきりと聞こえる。高杉もまた、何ともない風を装いながら耳を傾けていた。それでも障子一枚の隔たりはこれ以上にないほど大きかった。
「熱は下がったがか?」
 一人で喋りたいのだと坂本は強く主張した。しかし他愛のない問い。そして感情のこもっていない答え。西洋渡来の壁時計が、セピア色の光を受けて刻々と時を刻む。
「とにかく寝とぉせ、」
 さすらうような穏やかな声だ。責めるような口調は微塵として感じられない。ぴちゃんと水滴の跳ねる音が鼓膜を震わす。朝露の青々しく、草も混じったような匂いが冷える空気に乗ってきた。何の匂いだ?朝、か。鼻をつく匂いに神経を尖らせながら、室内で銀時が寝返りを打ったことを察す。
「辰馬の馬鹿。ヅラとチビ杉死ね」
「そうだ馬鹿じゃ。馬鹿は治らんよ」
「馬鹿は死んでも治らない...」
 だから死ねというのか!珍しくツッコミそうになった桂は咳払いで誤魔化す。言ってくれるじゃねェか。口で形だけ作って、高杉までもが失笑した。
「あー今日はいい天気だなー!清々しい朝だなー!」
 わざとらしく大きな声で溌剌と背伸びまで付け加えた桂を高杉は酷く見下したように笑みを浮かべる。否、あからさまに苦笑いする。ん?と銀時が身じろぎしたのが分かった。
「一人でも大丈夫だったのに。だから俺はてめーらが思ってるほどすぐに傷つかねーよ」
「おんしは自分で思っちゅうばあ強くもないよ」
 やき頼って欲しい。曇った声には真摯な願いが込められている。百舌鳥が鳴いている。彼らが訪れた春との出会いではなく、過ぎ去った冬との別れを嘆き悲しんでいるのを誰が知ろうか。止まることを知らないように、百舌鳥が鳴く。
 セピア色に染まった、すべての生の燦爛と苦渋を鳴いていた。


 (後)
 今も昔もそして未来からその先も


(おんしを一人にさせることなどこたうか)
(なんでだよ)
(ククッ...迷子にでもなられたら困るに決まってるじゃねェか)
(...分かったそんなにもあの世に旅行したいんだな先生に会いたいんだな辰馬刀持ってこい)
(貴様らやめんか!もう近頃の子はキレやすいのがいけないわ...)
(((ヅラキモい)))
(ヅラじゃない桂だ...って貴様らそこでハモるな傷つく。マジで拗ねるかんな!)
(((ウザイ)))




2012・2/22


――――――
コロ様へ捧げます。
「攘夷組で銀さんが大事にされてる話。+な感じ希望」というリクエストでした。
沿えて...ますかね?本当に申し訳ありません。
リクエストを頂いたのが十一月...こんなにも遅くなってしまってすみませんでした。
そして本当にありがとうございました!





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