焼失点 十 | ナノ



 十


 かぶき町、スナックお登勢の二階の万事屋銀ちゃんからはただならぬ空気が滲み出ていた。
 社長椅子に座った銀時の手には最新号のジャンプがあるものの、先程からページは全く変わっていない。
「銀さん、ジャンプ、さっきから、ていうか三十分くらいそのページから動いてませんよ。」
 人数分の茶を淹れながら新八が怪訝そうに、半ば呆れたように指摘する。
「あぁ?これはだな、そのアレだよ。このページが面白いんだよ悪いか眼鏡の分際で。」
「いや別に悪くありませんけど。それ目次です。」
 気まずそうに銀時がゆっくりと手元のジャンプに目をやる。視線を上げると神楽が白けた目を寄こしてきた。
「......ハンガーハンガー探してんだよ。もう前話の内容なんて思い出せねェくらい休載してるけど毎回探してやってんだよ銀さん優しいから。決して浮かれてボーッとしてたとかじゃないから。」
 じゃあ何ですか今の間は?冷静にツッこもうとした新八を制しそれよりも、と銀時が続けた。
「そういうお前はどうなんだよ新八ぃ?気づいてないと思うけど茶、思いっきり零れてるぜ?」
 湯呑から緑茶が溢れ、下にある盆が受け止めていたがその盆すらからも零れそうになっている始末。急須はもうほとんど空だった。暫く黙った新八は何事もなかったかのように急須を置き、後頭部を掻きながらにこやかに言い放つ。
「いやぁ、依頼も入ったことですし、今日は本格的に中国茶を試してみようかなぁ、て。知ってました?中国茶って一番最初のは飲まずに湯呑を温めるついでに洗う風習があるんですよ。あはははは。」
「いやいやでもまだこの中幾ら入ってるか不明だからね。もし全部百円札だったらどうするつもりだよぱっつあん?」
「百円札は存在しません。だったら確かめればいいじゃないですか、目の前にあるんだから。」
 そう、集中を妨げる元凶は作業デスクのド真ん中に鎮座している、かなりの厚みのある茶封筒だ。銀時も新八も、そして神楽も気にしていないそぶりは見せているものの、目線はその封筒に釘付けのままだった。むしろここに置いてからひと時たりとも目を離していない。その様子を楽しげに松陽が見物していた。
「確かめるぞ?数えていいんだな?」
 ゆっくりと、あくまでもゆっくりと銀時が封筒に手を伸ばす。
「そうしてください。ここは万事屋が主である銀さんが確認した方がいいでしょうし。」
「銀ちゃん、手が震えて数え間違えないようにナ。」
 自分は全然興味ありません、といった淡々とした口調で言うが二人ともゴクリと喉を鳴らし固唾を飲んで見守っていた。だ、誰が間違えるか。鼻であしらうが確かに手は小刻みに震えている。
「万円札だぞ!ひぃふぅみぃ...太っ腹どころじゃねェよこの客!」
 段々と興奮していく口調。新八と神楽も自然と顔が綻んでいった。
「依頼が終わったらこれの五倍をまた貰えるんですね!」
 あぁ先週までの豆パン生活が遠い昔のように感じられる!お通ちゃんのニューシングル!などと新八が感嘆し、松陽は万事屋の経済状況を垣間見て僅かに眩暈を感じた。
「ひゃっほう!病院から物を取ってくるだけでこんなに金が入るなんて、とんだ金蔓を掴んだアル。」
「そこは丁重にオブラートに包まないと、丁重に。」
 先日依頼が来たばかりなのに続けて来るとは一ヶ月間仕事の来ないこともしばしばあった万事屋にとってはもはや前代未聞空前絶後の奇跡だった。いや、絶後はして欲しくないけど。
「でも僕たちは分かってるけど読者の皆様は状況についてけませんよ。今頃あれ、これ話数飛ばしたのかな?みたいに混乱してますよ絶対。」
「それで読む気失せてアクセス数がガタ落ちするアル。作者が落胆するパターンヨ。」
「やめて!作者の心情語らないであげて!」
「まぁとにかく...」
 銀時が何かを言い掛けた時、今まで喋らなかった松陽がちょっといいですかと遮った。
「言うタイミングを逃してしまったのですが...新八くん。」
 突然真剣な表情で見つめられ新八が思わず一歩後ずさる。な、何でしょうか。袴を握りしめた。
「湯呑を温めるのもそうですが、中国茶はお茶を淹れる前に急須も白湯で温めるんですよ。お湯は沸騰したのではなく九十度前後のを使います。本格的に挑戦したかったら第一にお茶パックのを使用しないのが大切だと思いますがね。」
 ......。
 言い訳だって事に気づかんのかい!というかやけに詳しいなオイ!その前に空気読めや!などの鋭いツッコミが押し寄せる洪水のように新八の脳内に現れは消えたが、邪険に扱ってはいけないので何とか喉元まできたそれらを無理やり飲み込んだ。
「その...今度から頑張ります。」
 代わりに引き攣った笑みのオプション付きで、最も無難であろう言葉が出た。
 閑話休題。ヅラの電波はもしや先生の影響ではないかという今更ながら浮上した推測を脳の隅に置き銀時が再び口を開く。
「とにかく、詳しいことはホワンホワーン。」
「3Zかい!」
 鋭く的を射た新八のツッコミが炸裂したのであった。

 時を溯ること約一時間。
 真選組が去り、朝食を取った万事屋一行はいつものように堕落しきった日常を送っていた。最新号のジャンプを顔に被せ惰眠を貪る銀時に酢昆布を齧る神楽に掃除なり定春の餌やりなりと働く新八に早朝に起こされた上に低血圧気味で疲れたのか軽く目を伏せている松陽。
 仕事はもちろん入って欲しかったが多分来ないだろうなとどこか諦めも混じっている。
 ピンポーン
 なので呼び鈴が鳴った時は一瞬反応しきれなかった。
「おい新八ぃ、ヅラだったら一発鼻フックデストロイヤーの刑に処してそのまま鍵をかけろ。」
 昼寝を邪魔され若干不機嫌な銀時がそう命令するや否や再びジャンプで光を遮り長椅子に突っ伏した。
「新聞だったら特典のシャンプーなりティッシュなり貰って爽やかに締め出すヨロシ。」
 相変わらず酢昆布片手に神楽は新八に見向きもしない。
「いや神楽ちゃん。爽やかにってなってるけど結局締め出すことには変わりないからね。最悪だからね。あと銀さん寝ないで下さい。もしお客さんだったらどうするんですか逃げられますよマジで。」
「それはねェな。振り返ってみろよ。今まで一週間内に二個も依頼なんて来たことあるか?」
「仮にもトップにあるまじき言動ですね。確かになかったですけど。」
 もう分かりましたよと玄関へと向かう新八。
「はいはい新聞なら結構ですよー...ってもしかしてあなたはっ!」
 建て付けの悪くなった(主に今朝乱入してきた真選組による)扉を引く。
 物腰柔らかそうな、それを越して一見ひ弱にさえ見える初老の男が新八の驚きぶりに僅かに目を見開いた。
「わ、私のことをご存じで?」
「いえいえ、もしかして...お客さん、だったりします?」
 そうですが何か、と老人が不審そうに眉を傾げ、新八は思わず男の両手を握り銀さーん!奇跡が、奇跡が起こりましたよ!と室内に振りかえった。
「万事屋さんで間違いありませんよね?」
 状況についていけない男が再三確認を取る。ええ間違いありませんここです。そう返しながら落ち着きを取り戻した新八は男は中に招き入れた。

「息子のものを取りに?」
 いかにも疑っているような表情で銀時があからさまに声を上ずらせた。隣りに座る新八がすかさず肘で小突く。
「ええ。」
 初老の男は鈴木と名乗り、息子の入院している病院から携帯を取って来てもらいたいのだと、省略すればそういう依頼だった。白髪の目立ち始めた黒髪、御召茶の着物に灰色の帯を締め、整った顔立ちではあるがこれといって特徴のない、とどのつまり新八や山崎のような地味なオーラを醸し出しているような人だ。
「バイクを走らせていたら交通事故に巻き込まれて太ももの骨がポッキリ行って、この前見舞いに行った時に忘れたのですがちょっと関係がぎくしゃくしてましてね。」
 反逆期だもんなぁ、と遠い目をしながら深い溜め息をする。
「でもほら、奥さんでも息子さんのお友達にでも取ってもらえばいいんじゃないですか?」
 新八が最もなことを尋ねると鈴木はふふっと軽く笑いを零した。自嘲ともとれるし、単に真面目な新八の反応が面白かったともとれる。
「家内はもう随分前に亡くなってまして、薄々と知ってはいたんですが息子も少々非行に走ってるようでご友人方に頼んでも...」
 言葉を濁したがつまるところ自分の面目が立たないのと頼みを聞いてくれない一抹の不安があるのだろう。哀愁に鈴木が表情に影を落とす。ふーんと興味を無くしたように長椅子の背に靠れかかった銀時を再びすかさず新八が肘で突いた。
「まぁ家庭内の揉め事にとやかく首を突っ込む趣味はないけどな、わざわざ俺らに頼らなくてもいいんじゃねェのか?」
「金は出しますので。」
 すばやく懐から分厚い茶封筒を取り出し、机の上に滑らせる。
「依頼が完了したらこれの五倍で、どうですか?」
「喜んで受けさせていただきます!」
 鈴木が五本の指を示した瞬間、銀時はすぐさま了承した。変わり身速ッと新八が見下ろすが満更でもない様子だ。現金ですねと松陽が一人で嘆き、あぁ豆パン生活からの脱出ですかと一人で納得した。

 ということなのだ。
「万札アルか?本当に万札アルか?諭吉がガッポリアルか?酢昆布もガッポリアルか?」
 興奮しきった神楽がひゃっほう!と叫ぶ。酢昆布を数える単位にしているところこいつもかなりの貧乏人である。
「落ち着け神楽!と、とりあえず銀行に行こう。銀行に行ってこれが本当かどうか確かめよう。最近物騒だからな、なんか偽札も多いし!俺はこれが偽札でも堂々と使うけどね!これほどにまで完成度高い偽札はそうそうお目に掛かれないぞ!」
「あんたが落ち着いてください。しかも偽札だと決まったわけじゃないんですから。」
「大丈夫ですよ。例え偽札だとしても今時わざわざ確認する人なんていません。」
「どこが大丈夫?!」

 伝えられた病院は江戸内ではあるが窮屈な中心地と比べれば長閑な町で、しかし天人の数は他の場所より遥かに多かった。電車を何本も乗り換えそれなりに賑わっている繁華街を通っていると地球人より動物の顔や、あり得ない所から触角が生えている天人の方が圧倒的に多いような気がして気まずくなる。新八は思わず肩をぶるっと震わせた。
「こんなところに入院する息子さんはよほどのボンボンだな。いいねぇ、金持ちは。」
 皮肉る銀時に新八が何でですか?と聞く。確かに裏道でもそれなりに清潔ではあるし静かだがそれとの関連は掴めなかった。
「天人の技術は高いけど治療代も正比例してバカ高くなんだよ。あと、」
 銀時が疎らに点在する地球人を指した。それでも首を傾げる新八と神楽に松陽が代わりに答える。
「着物の質が上等で色合いもいい。挙動もよく教育されたもので少なくともこの代で豊かになった者ではない。元々身分の高い人達が集まってるんでしょうね。」
 冷静な分析に舌を巻いたが、それでも、と傘を差した神楽が顔をしかめた。
「それでもなんかこいつら嫌ネ。見下されてるみたいで何か悔しいアル。」
 確かに明らかに庶民の格好の一行は元から少ない地球人の中でも一層浮き上がっている。まぁそれは仕方ないでしょと新八が宥めながら――確かに新八も気分悪かったが――地図の通りに病院へ向かった。
「この辺りですね。」
 地図を指で辿りながら新八が前方の小高い丘を指す。
「早く行って終わらせて金をガッポリ貰うアル!」
 ぴょんぴょんと石畳の階段を神楽が駆けて行く。

 穏やかな街とは別世界かと錯覚しそうな、未だに硝煙の上がる廃墟があった。



 空





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