血肉に残った感情 | ナノ



 鬼の愛でる血はきっと鮮やかで艶やかなものなのでしょう。
 色褪せた世界を紅い赤い華で彩る、そんな血なのでしょう。
 その華を憎みながらも求める私をきっと人は嘲るでしょう。
 人殺し、と。



 血に残った感情


 沈黙を切ったのは確か沖田であった。
 喧騒の中の静寂はひどく矛盾しているに、ひどく調和していた。それを破ったのは沖田の一突きで、鋭い鈍を払えば命はあまりにも呆気なく消える。肉を抉られた途端の痛みとか、無念だとか、見開いた目は最後、何を写していたのだとかはもう想像するのは遥か昔、止めた。
 切り込みだった。攘夷党。その名を掲げるだけの実質的暴力団だ。殺人事件も幾度か起こした。志を持った本物の志士を追えばいいのか、それとも現実で江戸の安全を威す犯罪集団を捕まえればいいのか、どちらが望まれるべきものなのかは今となっては分からない。
 人を斬る時沖田は無感情の中に老人のような慢心とした雰囲気を醸し出す。その表情こそが、鬼の孕み子や人斬りなどと蔑まれる所以だろう。しかし思わず息が止まるほどの神聖さと研ぎ澄まされた空気がある。未成年の青年が、纏うような空気ではなかったことは確かだ。
 ズシャーッと。面白いほど吹き出る液体は深紅で、粘度がある。
「ック...」
 顔に掛かった血が思った以上に熱く、込み上げてくる笑いを堪えるために歯を噛み締めた。ふと感じた錆びた味が己の血なのか、他人のものだったのかは確認する術もない。
 叫び声と、悲鳴と、咆哮と、混沌極まりない状況の中でものを言わせるのはやはりそれを上回る声を出せる肺活量と、手にした一本の刀だ。
「総悟ッ!」
 歪な音を立て砕けた相手の首の骨の音に表情を顰める隙間もない。とにかく襲って来る者を薙ぎ倒しながら沖田の背後に回った。
「切り込みが唐突すぎるぞ!」
「うっせー土方コノヤロー。なら今度からはアンタが先峰になってくだせぇよ」
 ヘタレの癖に。嘲笑い、軽口を叩くことは忘れないが、視線は一度たりとも敵から逸らされたことはない。
 それにしても今度、とは。この中には今度も何も、今この瞬間に未来が消え去った者もいるというのに...傲慢な確信ではあるが、その無謀な考えにより幾度もの死線を潜り抜けるのだ。
 触れれば切れる利刃が肉に入り込み、一拍してからあふれ出る血の赤さに不覚にも魅了される。様々な肌の色を持とうも淡白な人間の身体にこれほど赤く温かい液体が流れているとは誰が想像できよう。

 同じ二十畳間の座敷であるのに、隊士や浪士、逃げ惑う従業員の声が酷く遠くにあるように錯覚してくる。
 あまりにも状況は混乱していて、前もって計画を立て不意打ちを仕掛けた真選組さえも場を把握することはできなかった。
 しかし、浪士の一人が隣の間に逃げようとしていることを視界の端でとらえた。誰も気付いていない。自然な風体で障子の隙間から身を滑り込ませる様はまるで鯰のよう。浪士の口角がわずかに上がったのが嫌にはっきりと見えた。
 早足でそこへ駆け寄った。背後から迫った刀を紙一重で交わして、斬ろうと愛刀の柄を強く握り締めれば背後の者は勝手に崩れ落ちる。その影から頬に一筋の返り血を滴らせる沖田が刀を構えていた。
「軽率すぎますぜィ、土方さん」
 たった一言、そう言われる。
 反論はしない。できない。ただ目の前に迫る、まだ潔癖な程の白さを残した障子を突き破った。
 身体中に細かい傷が刻まれ疼くが気にすることはできない。あの浪士の笑みに邪な空気が含まれているような気がしたのだ。沖田が続いてくる。近藤が後ろで隊士に指示を出しているのが聞こえる。普段の姿からは想像できないほど、勇ましい。あるいは今の近藤からは想像できないほど、普段はアホらしい。
 同じ人の血と、脂肪で滑る刀身を受け入れた薄い和紙は途端に裂け、徐々に赤に染まっていく。その色は女の引く紅と何ら変わりないように思えた。
 目の前に広がるは一点の滲みもない畳と豪華な肴に高価な酒だ。畳の草の香り一瞬、身に纏わりつく血の匂いを消して鼻に付く。それ以外は、空だった。隣の間の殺戮など微塵も影響を受けていない様子でまるでそこだけ料亭から切り離された空間のようだ。
「...眼科に行って来なせぇ。そして永遠に帰ってくんな」
 誰もいないのを確認し、すかさず沖田が茶化す。
「オイ洒落になんねーぞ」
「なら精神科はどうでさァ。そろそろ思考もマヨに侵食されてる頃なんじゃないですかィ?」
 こめかみを引き攣るのを沖田が楽しそうに、サディスティックな黒笑いを浮かべながら眺めている。
「てめッ!マヨネーズを馬鹿にするなよ。あれは神が生み出した最高の調味料だぞ!」
「...思考が侵食されてることは否定しないんですねィ」
「それは侵食とは言わねー。マヨと運命共同体となったと言うんだ」
 気持ち悪ぃと沖田がこぼす。拳を震わせれば肩に大きな手が置かれ、反射的に振り返ると近藤がにこやかにトシもそう怒るな、と窘めてきた。
 ふと背後の喧騒が止んでいることに気付く。数人の浪士事情聴取のため、縛られていた。傍に散らばる命あった者の残骸がこの静けさには不似合いで、修羅場を一層不気味に演出している。横たわるのは浪士だけでなく黒い洋装の者も点在していて、犠牲は免れないとは分かっているが、苦々しく奥歯を噛み締めた。

 ぼとり、とくぐもった音に視線を辿らせると血が刀の切っ先を伝い畳に滴り落ちていた。狙ったかのように副長!と声が聞こえる。
「なるべく殺さないようにって指示したの副長じゃないですか」
 惨状を一瞥した山崎は困った口調で呟いた。先程逃げた例の浪士が山崎に背負われている。ちなみに気絶していた。
「どうした?」
 近藤が代わりに応える。
「その...来てますよ」
 おどおどと不明瞭に、言葉を選ぶように発言する山崎にはっきりしろと叱咤した。はいぃ!と途端に涙目になる青年は、重力を無視したかのように軽々と体格のいい浪士を肩に担げるようには到底見えない。
「幕府のお偉いさんです。貸し切りで、この間を使うそうです。今、到着しました」
 チッと思い切り沖田が舌打ちした。あの肴はそういうことだと合点がいく。
「今夜ここで切り込みだってことは分かってたはずだ」
 上の指示で行動したのだから、日程も上は把握している。それなのによりにもよって今夜ここで宴会だというのは嵌めているようにしか思えない。湧き上がってきたのは一度冷めたはずの苛立ち。どうしますか、と山崎が縋るように見てきたが誰も答えない。

 血塗れの刀を鞘に納めるのは気が引けたがその際は仕方がなかった。廊下から遊女と例の方達が来たからだ。体格が大きいではもはや誤魔化しきれない肥満な身体で、その体重を支えるには遊女の足首はあまりにも細い。
 攘夷思想の危険分子よりもむしろこの様な者を排除して行った方が世のためと思うのは幕府に跪く組織として不謹慎だろうか。どちらにしろ白と黒はあるし、灰色もある。必ずしも幕府が白く、攘夷が黒だということは絶対にない。反対に、幕府も全体が腐っているわけではない。しかしいくら考えても所詮は上に操られる手駒だ。だから思索するだけ無駄である。白でも黒でも、目指す道を生きて、死にたい。
 先頭の男が真選組の面々を見つけ、全身に受けた返り血と傷口からの出血で赤黒く変色した隊服に一瞬だけ目を細める。刹那の動きだが、それを見逃す者はいなかった。
「おぉ、そなたが近藤勲と真選組か。もう仕事は終わったのか?」
 わざとらしく発せられた言葉に虫唾が走るほどの嫌悪を覚えた。見せ付けるように沖田はそれをあからさまに顔に出す。
「おかげさまで」
 人の良すぎる笑いで、近藤が一礼する。不服そうだが、傍に立つ山崎も頭を下げた。
「そうか」
 労いの言葉もない。遠慮なく座敷に踏み入れた幕臣を睨むのがせめての抵抗だ。それからしまった、と思った。一滴の血液の滲みだ。刀から滴り落ちた血の跡がまだ畳に残っている。その一点だけ、あまりにも鮮やかで残酷な色彩を放っていた。
 幕臣は滲みを見咎めもせずに、むしろ面白そうに眺めていた。破れた障子から対の部屋の惨状が見え隠れする。見下したように淡々と、散らばる死体を見つめていた幕臣の表情は残念そうだ。
「もう終わったのか。そうか」
 山崎が俯く。乾いた唇をきつく、噛んでいた。侮辱だ。犠牲した隊士だけでなく、粛清した浪士に対する侮辱でもあった。死に様をまるでショーのように見られる。これほどの屈辱はない。関節の軋む音に振り返れば近藤が拳を握り締めていた。
「...つまらんのう」
 空気に溶けて行った呟きに目が見開いたのを確認した土方は、沖田が刀を抜く前に己の刀の柄に手を掛けた。


 鬼の愛でる血はきっと、鮮やかで艶やかでしょう。
 世界を紅い赤い華で彩る、そんな血なのでしょう。
 ならば私の愛でる血はきっと鬼の血なのでしょう。




2011・12/4


――――――
何が書きたかったのか自分でも分かりません。←
とりあえずストーカーじゃない近藤さんを出したかった。
でも次に登場する時はちゃんとストーカーゴリラに戻ってます。(オイ)
とにかくですね、幕府側も攘夷側もどっちもいい人と悪い人がいるということを言いたかったんです。





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