色褪せてゆく | ナノ



 戦の終わった夏の夜であった。否、戦の終わったと現すには語弊がある。どちらとも優劣がつかず、凍結していただけのことだ。まだ皆の顔色に緊張と不安が隠せない、熱帯夜であった。暑さよりも湿気に耐えられないのか、普段は騒がしいほど自己主張する蝉でさえも声を潜めている。それに感化されたように、あるいは終わる見越しのない戦に疲れ果てたのか、大部屋に屯する武士達も心なしか口数が少なかった。
 今、根城としているこの荒れてはいるが広さはある建物は天人に討ち取られた武家屋敷を更に討ち取ったものである。母屋から数十歩ばかりの距離の離れは数人の幹部が寝泊りしている。元々正式な軍でもない。幹部やら二等兵やら一等陸曹やらの階級など明確に存在するわけもないが、ただ単に腕がかなり立つ上に策略にも長けた、志気を高ぶらせることの出来る人物が自然とそうなっただけのこと。
 その離れを歩けば必ず床の軋む縁側で、この軍の幹部とも言える四人全てが集まっていた。先日手に入れた酒を一本開けている。篝火も行灯も光を灯すものは何もなく、月光と星と、遠く、天人の野営地の星と見間違うほどの小さな明かりが唯一の頼りだ。蝉の声一つもない静寂の中、ぱたぱたと団扇を仰ぐ音がする。細かな傷のついている柱に身を寄せ、右手の猪口を傾けながら左手で絶えず団扇から風を送るのは銀時だ。描写するほどその様子に風情はない。彼の右側を陣取り、流れてくる風を受けながらさほど暑いそぶりも見せずに己の猪口だけに酒を注ぎ足すのは高杉。桂は茶を飲むかのように正座で酒を啜っている。その隣で坂本がいつもの如く馬鹿笑いをしながら、まだ色眼鏡で表情を隠していない目は夜空を捉えていた。
「例えば」
 まるでそれが当たり前かのように銀時が独り言のような、わずかに掠れた声で口火を切る。自然と残りの三人の視線が集まった。
 例えばだから、あくまでも可能性だから、と銀時は何回も前置きをする。

「もし、この世界が前世の報いで、来世のための試験だったら、どうなんだろうな?」

 一言一言、自分でもその言葉を確かめるようにゆっくりと喋る。意味が分からない、と桂が首を傾げた。
「どうなのだろうと言っても、どうでもないだろう」
「とうとうイカれちまったかァ?」
 さも可笑しそうに高杉が喉元で声を殺して笑う。なに、よくあることだ。死と隣り合わせになるからこそ知ることができる。知ろうとすることができる。狂うことで救われるのだ。
「いや、だからさ。これ自身が死後の世界なんじゃねーかってこと」
 己の感情を細かく噛み砕いていきながら、銀時が更に説明した。
「じゃがおんしは生きておるじゃろう?」
 諭すように坂本が述べた。
「生きてるけどさ」
 生きているからこそ怖くて、痛くて、苦しくて、惨めで、悲しい。
 戦に出て何人が戻ってこられるかなんて分からない。ずっと待っているから、と故郷の誰かは約束し、必ず帰ってくると去る者は応える。生き残ることがさも当然のように、多くの骸の上で己だけは立っていられるかのように過信をしている。ありがちだ。そして恐怖に洗われるのだ。
 死ぬより死を待つのが怖い。己が朽ちるのはいい。隣の者が果てるのを目の当たりにするのはつらい。傲慢で自己中心的な考えだがそれが人間だ。次こそは自分か、次こそは、と順番待ちのようなのが心臓の鼓動を加速させる。これが脈を打てるのも後何回か。そう逆算してしまう。
 死を恐怖するのに、死までのカウントダウンの生をも怯える矛盾。矛盾だが、現実。

「けんど、なきまたこがな事を?」
 目の奥に僅かな好奇心を滲ませ、気の抜けるような口調で坂本が尋ねた。
「いいやなんとなくだよなんとなく。ほら俺は自分でも酒に強くないって分かってるけどなんか、こう、無性に飲みたくなる時ってあんじゃん?辰馬が馬鹿だとかヅラのヅラが鬱陶しいだとか高杉がチビだとか」
 約一名が空笑いし、一名が律儀に「ヅラじゃない桂だ」と訂正し、残った一名がこめかみを震わせたが、銀時は気を留めたそぶりもなく続ける。
「多分酒が回ってんだと思う。それか暑過ぎて脳みそが溶けたのかもね」
 自嘲ぎみに鼻を鳴らせば狙ったかのように桂が酒を嚥下した。凹凸する喉仏に自然と目が行く。
「ほう。銀時の脳味噌は既にあの甘ったるいカスタードとやらに侵されシュークリーム化していたのではなかったのか?」
「ほざけやヅラ。てめーの頭には脳じゃなくて蕎麦が詰め込んであるくせに」
 な、なんと!と桂が大きく目を見らかせる。流石に気を悪くしたかと銀時は思わず肩を竦めた。
「だから最近蕎麦を摂取しなくても禁断症状が出なくなったのか。なるほど、俺の頭は蕎麦を蓄積させていたのだな。流石俺の脳だ!」
「いや、馬鹿じゃね?」
 バンッと縁側の床を叩き、力説する桂に蔑んだ眼差しを他の三人が送る。不吉な音を立て軋んだ縁側から目を逸らせば、遠くの三等星の暗い星が蛍のように点滅していた。まるで合図のように一斉に口を閉ざし、静寂が訪れた。耳を澄ませば螻蛄の鳴き声が波のように寄せられる。戦場にも虫はいるのだなと、当たり前ではあるが、新鮮に感じられた。
 母屋から喧騒が聞こえる。喧嘩しているようだ。怒鳴り声にさえも、悲痛さが混じっていた。
 止めに行かないのかと桂が目配りをする。反応はない。

「地獄だな」

 ボソリと、誰かがそう言った。
 日々血臭のする地を踏みしめていたら、骸の上に己の命を咲かせていたら、なるほど確かにこの世は地獄なのかもしれない。
「これが報いなら、前世の俺は何をやらかしちまったのかなぁ...」
 感嘆の声を上げながら、あくまでも感情を押し殺し、他人事のように口ずさむ。殺人かな、強盗かな、他人を貶めたのかな、幸せを奪ったのかな。それとも全部かな。
 恍惚とした表情で、歌うように軽やかに可能性を述べていく銀時は世を知らぬ、善悪の分別もつかぬ幼子のようだ。善とはなにか悪とはなにか、今でも知らない。主観的に見た英雄は客観的に殺人鬼となる。何が善で、何が悪か誰も判らない。
「でも今みたいに人を殺してたらきっと来世もロクな人生じゃないだろうな。今世の報いで人を殺して、その報いでまた来世も人を殺して、それでずっとずっと、この輪廻を回り続けて行くんだよ」
 侍の魂のためだの、国のためだの、地球のためだの、そんなの大義名分に過ぎない。敵だと見なされ、悪だと見なされ冷徹に命を刈られる天人にだって家族がいるに違いない。必ず帰ってくると約束した人がいるに違いない。天の人と呼ばれようが、紫色の体液であろうが、緑の血をぶちまけようが、人なのだ。しかしそれを言い切れば戦の意義が失せてしまう。意義の前に志と決意が消えてしまう。敵を悪に回し、自らを正当化することでしか殺戮に迷いはなくなる。結局は殺人鬼ではないか。しかしその事実から目を逸らし、覆うためにも大義名分に頼るのだ。一周回って、原点に収まった。

 狂っている。己だけでなく、世界という曖昧な境内の中で息をする者しないものすべてがだ。
「まだ狂うなよ」
 取り返しはつかないと分かっていながら、それでもまだ己を忘れるなと枷を付ける。
「うむ。侍として周りに迷惑を掛けてはならん」
 侍の魂なぞ何処に霧散したのかも不明だ。しかし貫き通したい意地がある。
「というか、おんし馬鹿か?」
 呆れたように、間を置きながら坂本が確認した。
「は、お前の方が頭が空っぽじゃねーか!」
「確かに坂本が馬鹿なのは否定できねーが、てめーも同類だぜ銀時ィ」
 いつもと同じ、嘲るように歪む口元と見下したように細められた目で、高杉が笑った。
 せめてそこは否定しておおせよと坂本がこぼし、思考が痛い中二病に言われたかねーと銀時が拗ねた。
 何時しか母屋からは歓声が届くようになった。そういえば劣等品しか手に入らなかったが、そちらにも酒を渡していた。恐らくは都合の悪いことなど忘れるまで、自分の存在さえをも忘れるまで飲んで飲んで飲みまくる意図だろう。
「お前みてーなふわふわ頭で考えようとするから複雑になるんだよ。心に残るのは漠然とした感情でしかねーだろ」
「卓上の仮定でしかない理論に深入りすることはないと思うぞ。そもそも貴様のような爆発した頭では仮定を立てることもままならないと思うが」
 来世を深く信じて疑わずに天への階段を意味する巨大な墓まで作り上げた埃及人でさえああものうのうと生を全うしているのだ。単なる机上論に気分を左右されることは馬鹿馬鹿しい。
「おいそのふわふわ頭も爆発した頭ってのも俺の天パに対する暴言と見なすぞ!」
「そこにわしも加えてもらえやーせんか」
 よし同盟結成だ。憎きサラサラキューティクルヘアをぎゃふんと言わせてやることを目的とする。酔った勢いも相まってか、硬く硬く、骨が軋むほどの握手が交わされた。

 例えば篝火を灯したらその向こうには何があるのだろうか。そんな野暮な疑問はいらないのだ。



 そうして僕らの存在意義は、
 
(肉を断つ感触に慣れたかなど、聞いてくれるな)




2011・11/16


――――――
結末が迷子になりました。
そして思いのほかヅラがアホの子になってしまった...
カッコいい桂さんもいいですよ?!
病んでるというか、主に坂田さんが病んでるだけでした。
ボケてツッこめてシリアスも成り立つJoy4が大好きです!





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