焼失点 七 | ナノ



 七


 夜。換気のため開け放った窓からアルコールとそれの肴の濃厚な匂いが冷たい風に乗って漂ってくる。それがツンと鼻をついた。
 銀時は押入れから普段滅多に使うことのない予備用の布団を引っ張り出した。
 その頬に赤みが差し、足取りがわずかに不安定なのは夕食後に酒を持ち出したからだ。
 一緒に和室で寝ると神楽も言いだしたが、場所がないのと、帰り際に新八が仮にも女の子だという自覚を持ってください、と追い打ちをかけたため引き下がった。仮にもとはどういう意味だともちろん反発することを忘れることはなかったが。
 布団を並べると、なんともいえない甘い懐かしさに襲われる。同時にこれはもしかすると幻覚なのではないかとも疑ってしまう。何しろあまりにも唐突に現れたのだ。ふと翌朝目覚め、これは単なる都合のいい夢だったら…弾けた泡沫のように霧散してしまったら…
 そこまで考えて銀時はふと悩んでいた自分が滑稽に思えてきた。
 もしこれが夢なら少なくとも束の間の幸福感には浸っていられたのだ。もしこれが現実なら、明日も先生は隣で寝ているだろう。
 ただ、それだけのことじゃないか。
 それだけの違いじゃないか。

「新八くんに神楽ちゃん…」
 皓々とした、寒々しいほどの月光が窓を隔て部屋に差し込む。それは窓側の銀時の髪を照らし、奥側には濃い影を作りだした。
 月光に混じって色とりどりのネオンの光で明るすぎるのか、昼間より一層活気づく通りからの音が騒がしいのか、眠れずに布団に潜り込んだまま無言の時が過ぎる。カチカチと刻む秒針が妙に耳に焼きついた。
 ふと松陽が口にしたのは、今日逢ったばかりの子供達の名前だった。
「ん?」
 寝返りを打って松陽の方を向く。暗がりで表情は窺えなかった。
「頼られてますね。」
「あぁ。」
 一瞬脱力してしまった。別に強張らせてはいなかったが、先生に認めてもらえたことで安心したのだろうか。
「あいつらは俺の家族だ。」
 家族と言う時、こそばゆいような感覚が銀時を駆ける。もう何も背負わないとの決心をいとも簡単にあの二人は打ち砕いた。それが家族なのではないか。持ったことはないが、松陽の時と同じ感覚だ。立場こそ変わったものの、ならばこれが家族というものだ。
「よかったです。」
 自分のことのように松陽がほっと一息をつく。
「神楽ちゃんは天人…実際見たことはないですが、夜兎、ですかね。」
「……」
「可愛い子じゃないですか。」
 目大きいし、髪サラサラだし…あ、もちろん銀時のふわふわの髪も好きですよ。
 それに銀時は僅かに苦笑を洩らす。
「怪力で食う量が半端ないけどな。」
「それは否定できないです…」

 一旦会話が途切れ、銀時が寝返りを打った。衣擦れの音がやけに大きくに響く。何を考えるでもなく電気のついてない天井を眺めていた。
「ということは…」
 ふいに松陽が途切れていた会話を繋げる。
「戦争は…攘夷戦争は終わったのですね。」
 何も言えなかった。痛々しい沈黙だけが支配する。
「負けた、のですか。」
 ポツンと。その言葉だけが中空に留まり不自然にまで反響する。結果的にも、経過的にも、全体的にも、個人的にも、あの戦は悲惨なほどの負け戦だった。
「…聞かないの?」
 頭の後ろで手を組んで銀時が聞いた。声が聞き取れるか聞き取れないかほどの音量だ。それを汲み取った松陽が聞きかえす。
「何を?」
「俺達がその戦に参加したかどうか、とか。」
「聞いたら教えてくれるのですか?」
 あくまでも穏やかに松陽が問うた。それが優しく、暖かい音色で思わず聞き入る。ほろりと目から生温いものが零れそうで銀時は唇を噛んだ。
 うん、と戦に出たことに対する肯定なのか、それとも聞いたら教えることを認めたのか分からない応答をする。
「ま、過ぎたことですし追及するつもりはこれっぽっちもないです。」
 努めて明るく松陽言った。それから包み込むような声で、頑張りましたね、と労った。表面上のものではなく本心からそう言われる言葉。
 本格的に目頭が熱くなるのを感じ、銀時は慌てて腕で目元を覆って誤魔化した。

 一段と大きな風が吹き、窓が不安定にガタガタと揺れた。ヒュウと荒々しく咆哮を上げる。
「それにしても大切にしてくれてよかったです。」
 風が止まり、窓の揺れも収まると、狙ったかのように松陽が口を開いた。
「何を?」
 分かってるのに。松陽が何を指したかはっきりと分かっていたのに、考えるよりも前に先に聞いていた。
「刀…己の魂を護るために振れるようになれましたか?」
 ちらりと『いちご牛乳』の掛け軸のある床の間に掛けてある真剣に目を配らせる。真紅の鞘で、傷は一つとして付いていなかった。滑らかな表面が月光を鈍く反射する。
「出来るようになったのかなぁ?」
 気の抜けた声で銀時が自問した。声がいつもより些か幼いのは師の前だからか、それとも記憶を振りかえっているのか。
 真剣を抜くことはおろか、持ち歩くことも禁止されているため、貰った刀を使う機会もなかったような気がする。木刀で、ならば洞爺湖ではできたのだろうか。護ろうとはしている。しかし毎回空振りしてしまって、結局のところ昔のように零れ落ちてるのではないかと不安になることも多々あった。
「分かんない…分からねぇや。」

「できていますよ。」
 え?と思わず銀時が松陽の方に向いた。
 自分から聞いて、何を否定するのか。十分、できていますよ。しかし松陽すべてを見てきたかのような確信で認める。
「でも、先生。あの日以来その刀抜いたことはない。」
 例え戦時中でも使わなかった。日に日に血を浴び、汚れて行きながらも松陽から貰ったその刀だけは清くあった。否、清くあって欲しかった。戦場で刀が折れるのも紛失するのも日常茶飯事であった故でもある。
 戦が終わって、全てを捨てても、捨てられないものがあった。
 宙(そら)に行くと決心した馬鹿を無言で見送った。国のために立った幼馴染と、憎しみに乗っ取られた幼馴染を何も言わずに置いてきた。何時の間にか名を馳せていた異名を捨てた。
 これだけは、捨てられなかった。

 斬って斬って、何時も間にかはぐれてしまったがそのまま本拠地に戻らず着の身着のままで去った時は初冬だった。金も何も持っているはずもなく、取りあえず人がいるところまでは気力だけで前に進んだ。
 寂れた町だった。人もどこか浮足立っていて生気を無くし、ただ存在している。それだけの感じだ。風が吹けば灰と、どこからもなく木の板が転がってくる。カランと乾いた音と共に裏路地の隅にそれは収まった。そんな灰色の、寂れた町だった。
 焦点も定まってない人を見る度にあの戦は、自らの命をも掛けた戦は何だったのかと思えてきた。そして散って行った命はなんのためか。
 良くも悪くも噂が広がっていたため太刀を手放すことはできなかった。警戒というのもあるし、単なる癖だったかもしれない。その刀身は錆び、鞘には皹が入り、柄は元の色が分からないほどの染みを作っていた。
 質屋で胴などの戦装束を着流しに変えた。廃刀令のご時世じゃあそんなのは高くつかないよお兄ィさんと薄笑いを浮かべられ、ましてや刃毀れも進んでる上に血のついたものなんてゴミだよ。質屋はそう言った。そのため変えられたのも夏物。すると質屋の細められた目が背負っている刀に向かう。お兄さん、それなら状態もいいし売れるかもよ。
 断ろうとしたところを質屋は言葉を止め、値踏みするように身なりを観察された。もしかして、と細められた目が見開かれる。思ったより力強く、光っていた。
「おい、その身なり…お前さん、伝説の白夜叉か?」
 発せられたその言葉に笑いそうになった。は、と一声だけ、自嘲にしか聞こえない乾いた声が出る。
「…そんな大層なもんじゃねぇよ。」
 戦場を駆る白い夜叉だぁ?冗談抜かすんじゃねぇよ。
 戦に出る夜叉は、血を求め殺戮する夜叉は何時だって、血濡れて赤い。
 赤黒く、染まってんだよ。
 そんな鬼神を司る異名なんざ、似合わない。
 名乗る権利などない。名乗る必要もない。
 心から護りたかったものを何一つ護れなかった、ただの負け犬じゃないか。
 己の我儘も欲も叶えられず満たせない、ただのちっぽけな人間じゃないか。
「俺にゃあ勿体ねぇ。で、この太刀以外でなら幾ら売れるんだ?」
 無理やりその話題を逸らすと、途端に酷く落胆したかのように目は細められ、首を振られた。
「さっきも言った通り、精々夏物だけさね。」
 ならそれでいいから着替えさせてくんね?手を拭いてから――乾いた血がこびり付いていたので取れなかったが――その着流しを取ると質屋が顔を顰めながらも中に入れてくれた。
 襖の外から気配がする。というか見られている。何、ここのオジサンそっちに趣味あんの?と軽口を心の中で叩く。一まず殺気はしないので放っておいても大丈夫だろう。息を飲むのが聞こえた。覗き決定だ。
 着替えて外に出ると当たり前と言えば当たり前だが、余計寒かった。追い打ちをかけるように白く、灰色の空から雪が降ってくる。
 たった一振りの刀だけのために命さえ掛けそうになった。墓前に供えられた饅頭がなかったら今頃どうなってのだろう。多分、その辺で死んでたかもしれない。しかしたった一振りの刀ではあるけれども、捨てるには思い入れがありすぎた。
 そういえば昔そんなことがあった。

 一つ寝返りを打つ。相変わらず部屋の中では時計の秒針の音だけが妙に焼きついた。外の歓楽街から漂ってくるアルコールとそれの肴の匂いがツンと鼻につく。
「ねぇ先生?」
 銀時が試しに声をかけてみるとまだ松陽は起きていた。
「はい?」
「本当に松陽先生なの?」
 答えようのない質問だと分かっていた。先生ならば無条件に先生だ。裏付けなど必要ないし、見つけることもできない。
「どうでしょうかねぇ。銀時がそう思うのならそうなんじゃないのですか?」
 困りましたねぇ、とさほど困った様子もなく松陽が苦笑を浮かべる。
「…ヅラは多分明日来るけど、高杉は…晋助は今連絡が取れない…」
「そうですか。」
 検索して来ない松陽に銀時の身体から力が抜けた。同時に堪えていたものを押し戻すのもそろそろ限界に達してくる。
「どうしよう先生…どうすればいいんだろ?」
 晋助と、喧嘩したよ。それは今にも消え入りそうな音量。仲直りできないくらいの大喧嘩だったよ。そして若干震える声。
「大丈夫ですよ。」
 背中を一定間隔で叩きながら何回も何回も松陽が言う。大丈夫と。
 根拠無しにいかにも胡散臭い言葉ではあったが、松陽が言うと無条件に信じてしまうのだ。
 涙が留まることを知らずに溢れてくる。何年ぶりだろうか。どんな時でも堪え、耐え切れた。なのに、ただこれだけの言葉なのに歯止めが効かなかった。
 大丈夫、もう我慢しなくてもいいんです。そう囁きながらゆっくりと銀時の背中を摩る。そのうちに寝息が聞こえてきた。
 頬に伝う涙を拭ってやるとまだ暖かった。



 何





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