焼失点 五 | ナノ



 五


「…なんで…」
 なんで先生がここにいる。銀時ははっきりと見たはずだった。師が焔に囲まれ、その上笠を被った天人に殺されたはずだ。
 しかし松陽先生は目の前にいる。何も変わってない、年の流れすら逆らっているのではないかと疑うほど、彼はあの日のままでそこに立っていた。
「なんで生きてんだ!」
 憎しみでも、恨みでもないが、ただ腹立たしくて…
「よせ銀時!」
 思えばあの時と同じだ。全く同じ言葉であの日も桂は自分を止めた。
 
「銀時と小太郎に...似てますね。」
 はっと銀時と桂は目を見開く。
 今この人は似てると言った。似てるも何も、本人なのだから似ていて当たり前だ。しかし十五年ほども会わなければ、確かに疑いはするだろう。二人はそう自分を納得させる。もっとも銀時の容姿は天人が町を我が物顔で歩いている現代でも珍しいため、間違えはしないはずだが。えぇ似てますとも。本人なので。その言葉を二人は呑み込んだ。
「先生ッ、この十五年以上、どこのいたのですか?」
 これだけ長い間、どこで何をして過ごしてきたのだろうか。
 生きていたなら、何故自分達を探さなかった。何故死んだふりなどした。何故三人に違う道を歩ませた。
 ふつふつと込み上げてくる、怒りではないが歯がゆさを、桂はぶつけた。
「十五年、ですか?」
 松陽がその問いに首を傾げる。
「昨日まで銀時と小太郎と晋助が雪合戦をして私の顔に当たった記憶があるのですが…」
 昨日の汽車の中で見た夢。銀時ははっとした。それは先生の殺される、いや、殺されたと思った前日の出来事だったのか。
「そして今日は日曜で、天人、でしょうか?そのような人が襲ってきたものなので健気に寺子屋に来ていた晋助と小太郎と、それから銀時を避難させ、まぁ、銀時は決して離れようとはしませんでしたが、私は…その後私は…」
 記憶が曖昧なのだろうか、その後、松陽は続けることができなかった。でも、と彼は手を腰の高さにかざす。まだこのくらいの背丈でした。
 
 銀時と桂は絶句した。
「その後は…その後はどうしたんだ?」
 せかすように銀時が聞く。二人は焦りを感じていた。同時に、自分の予想が的中するのが不安だった。嫌な予感が過ぎる。そしてそれは段々と現実に近づいて行き、雪のよる寒さではない悪寒が背中を奔った。
「火が、見えました。」
 そして、宣言を下すように語尾を下げた。
 
「結局、どうなったのか私には分かりません。袈裟懸けに斬られ、そして今に至りますが…傷、ありませんね。」
 両手を広げ、己の身なりを確認する。松陽はいつもの服装で、傷、出血どころか汚れもついてなかった。
 その口調は「雨降ったのに濡れてないね」や、「日焼け止め塗ってないのにぜんぜん焼けてないね」や、「天気予報ぜんぜん当たらなかったね」というようなあくまでも日常的な会話のような、そんな類のもので。
 明らかにおかしかった。すべてが燃え尽きた後、銀時、桂に高杉はせめて遺体だけでもと中を徹底的に探したのだ。何もなかった。すべてが灰になり、刀さえも見つからなかった。鋼をも熔かす高温で人の血肉でできた身体が残るとは思えなかった。
 ちらちらと慰めのような、涙のような雪が降る。

 ふぅ、とひとまず冷静になるために深呼吸をした。
「ここで雪に埋もれるのもあれだ。戻るぞ。」
 先に桂が言葉を発する。地面に転がる錫杖を拾い、肩に積もった雪を手で軽く払った。
「戻るってどこに?誰と?」
「たわけが。江戸に先生と戻るに決まってるだろう。」
「でも先生は…」
 言い募る銀時に桂は案ずるなと肩を叩いた。いやそういう意味じゃねぇって!その声にその場を去ろうと階段を下りていた桂が振り返る。
「銀時。仮にも、だ。この人が俺達の知っている松陽先生でなくてもここに放っておくわけにはいかない。一旦戻ってから、事情を聴くなり理解するなりしてもいいと俺は思う。」
 先生だって…先生だったらそう言うと思う。

 あぁ。そう銀時はあくまでも淡々と、しかし幾分低い声で応答する。
「行くぞ。」
 そして一人で歩きだした。

「それに、」
 桂が松陽の袂を握り、銀時に追いつきながら耳打ちする。
「エリザベスが真選組の密偵に行っているのだ。もう心配で心配で俺は…!」
「人選明らかに間違ってるだろオイ!マジでお前早く捕まってくんないかな?十一円あげるから。それでんまい棒買ってブタ箱入ってくんないかな?大体密偵っちゅうのはなぁ、ジミーくんみたいな奴じゃないとできねぇんだよ!あんな目立つペンギンお化けができるわけねぇだろ!」
「ペンギンお化けではない、エリザベスだ。」
 語尾が被さるようにして桂が言いかえす。
「あの、小太郎?そのエリザベスというのは…?」
 生徒のボケの成長ぶりに戸惑いながら松陽が恐る恐る聞いた。相変わらずの関係に安心する反面、これは大人として大丈夫なのかと冷や汗する。しかし彼はまだ知らない。桂はまだその電波を全開にしていないということを。
「エリザベスは俺のペット兼相棒で、定春殿のような香ばしい肉球のもふもふはないがそれはそれはかわ…」
「無駄にオバQと瓜二つの宇宙生物だ。」
 言い切った銀時はまた頭をがしがしと引っ掻き回した。はぁ、とどう反応していいか分からない松陽が曖昧に応える。
「つーかさ、さっきまでシリアスでカッケー雰囲気だったじゃん。なんかよかったじゃん。何でこんなにぶち壊れてんの?ねぇ何で?」

 その様子を眺めながら松陽は安心する。状況に混乱し困惑を秘めたその目はしかし安堵の色も見せていた。
 己は此処で、この時代で何をしようということは知らない。何故こうなってしまったか知らない。如何して死んだと思われてるのか知らない。何が起こっているのも知らない。だが自分はこうして此処に、この時代でまた生きているのだ。理由はなんにしろ、此処にいるのだ。一度は心臓の拍が、呼吸が、脈が、生が止まったと思われたが、今またこうして鼓動している。ならばそれでよいではないか。
 時を隔てても彼らは自らの教え子であり、己は彼らの師であるのだから。
 何が起ころうと、何が起きていようと、それを理解し、信じ、見守るのが師の役目だから。

「小太郎、その笠、貸して下さいませんか?」
「えぇもちろんですけど…何故に?」
 不可解に桂が聞いてくる。その表情がおかしくて、おかしいほど昔と重なったから、松陽は思わず笑いをこぼした。それに更に眉をひそめ、からかわれていると理解し顔を紅潮させるのを見、更に吹き出す。銀時も傍から顔赤くなってやんの〜と冷やかせば、彼は手足をじたばたとさせ、何か言いたげに顔を背けるのだ。
「すみません。フフッ…あまりにもからかい甲斐があるもので…」
 そう言えば桂は先生!と抗議の声を上げる。
「よく分かりませんが、私は長い間死んだと思われているのでしょう?それを顔見知りの村人に見られては幽霊だと恐れられます。」
 まるで他人事のように飄々と言ってのけ、松陽は笠を深く被った。
「ゆゆゆ、ゆ幽霊だなんて存在しねぇ。あれはアレだ、スタンドだよ、純然なるスタンド。」
「銀時はまだゆう、いえ、スタンドが苦手なのですね。」
 幽霊と言うや否や身震いをした銀時に笑みを漏らし、気遣ってあえてスタンドと言うと、銀時は乾いた笑いで誤魔化す。
「もう村に顔見知りなんてほとんどいねぇよ。」
 そうですか、と哀しんでいるのか、相槌を打っているのか、松陽は目を伏せた。
「それに、江戸に着いたらヅラに返した方がいいぜ、それ。」
 ヅラじゃない桂だ。もはや条件反射のように桂は間髪入れず突っ込んだ。
 理由の分かっていない松陽にこいつ指名手配中だからよ、と銀時が説明する。松陽はさほど驚いてない口調でまぁそれは大変ですねと穏やかに窘めた。
「幕府の狗なんぞすぐに煙に巻けるわ。」
「あぁそうだなお前んまい棒煙幕として使ってんもんな。この前なんてウチでそれをやってさぁ、ほんとあの匂い中々消えなかったよ。」
「うむ。安い上に実用的だ。」
「褒めてねぇよ!」
 松陽はそれを見て、やはり、と感慨した。変わったように思えるが変わってなどいない本質。それと同時にこの場に一人足りないことに胸に空洞が開いたような物足りなさを覚えたが、しかしそのことを話そうとしないのを案じ言及することなどできず、とりあえずこのことはひとまず忘れることにした。

 寂れた駅で古びた機関車に乗り、ガタンゴトンと軋む音に耳を傾けながら、規則正しい揺れに身をゆだねる。
 十数年にして変わり果てた景色を目の端に掠めながら相変わらず言い合う銀時と桂を子を見る親のような目つきで見守った。
 ふと会話が途切れ、銀時は目を閉じている松陽を観察した。本当に何も、どこも変わっていない。
 自分達はもうそろそろオッサン期に突入するというのに、その頃の姿で何の変化も見られない先生に僅かながら理不尽さを感じたが、そのを口にしないことくらいの常識と気遣いを銀時と桂は持ち合わせているつもりだった。
 天人ですか。
 独り言のように発せられたその言葉を二人は聞き逃さなかった。一瞬にしてあの機関車特有の耳鳴りもまるで昔に聞いた音のように遠くなり、沈黙がすべてを支配する。
 途端に何も言わなくなった教え子にある程度状況を理解し、あるいは最初から分かってたのか、無言で、しかし優しく銀時と桂の髪質の全く異なる二人の頭を撫でた。
 平日だからなのか、元々そうなのか、車両には三人以外の人の気配はない。
 させられるがままにわしゃわしゃと二人は頭を撫でられた。

 だんだんと騒がしい江戸のプラットホームに列車が滑り込む。キーッと思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られる耳障りなブレーキと共にわずか五車両ほどの車が完全に止まった。
 こっちです、と深く笠を被った桂が松陽を引導する。そのすぐ後ろで銀時が距離を離すことなくついて行った。
「で、ウチに来るんだろ?」
 混雑する駅から離れ、大通りに入ると銀時が尋ねた。
「もちろんだ。アジトに来たら先生に危険が及ぶかもしれないからな。お前の所の方が安全だしリーダーも新八くんもすぐに馴染むだろう。」
「へぇ、ヅラ一応考えてたんだ。珍しく。」
「一言多いぞ。」
 軽口と叩きあっていると、忽然と桂は歩を止める。真選組だ。短くそれだけ告げると、あえて目立つように巡回をする真選組の真正面に行った。松陽を引きながら、反対に銀時は人気のない小道を進んでいく。雪かきの施されていない小道はすっかり白で覆われていた。
「役人に私を調べ上げられるとまずいんですか?」
 そう問うても銀時は答えない。同意と取っていいのだろう。

「桂ァァア!」
 遠くに聞こえるバズーカの発射される音をBGMにしながら大丈夫なんですかね、と松陽が苦笑する。あぁいつものことだし、大丈夫だろ、多分。そう銀時が気にするでもなく答えると、多分ですか、と更に苦々しく笑った。

 死んだ人は生き返らない。それが世の常であり、翻しようのない事実だ。だが今死んだはずの人が目の前にいる。目の前で言葉を喋り、音を聞き、ものを見、己らを撫で、息をしている。
死したものは戻らない。しかし彼は戻った。ならば彼は、生きているのだ。
 紛れもなく、今を。


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