蜘蛛の糸 | ナノ



 依頼を終わらせ万事屋に戻った時は夕方だった。黄昏色の雲に電線の濃い影に、そしてそれに止まる鴉。
 引き戸をガラガラと音を立てながら開けると、銀時は覚えのある気配に首を傾げた。
「おぉ久しぶりじゃのう金時」
 障子張りの小さな窓から茜色の光が束のように差し込んでいる。室内は朧気な明かりに包まれていた。
 二つの長椅子のうちの一つに堂々ともたれ掛かっている黒もじゃ。鏡の如く鋭く陽光を反射するサングラスが胡散臭さを何時もの四割り増しで匂わせている。あまりもの我が物顔に怒鳴る気も失せ、銀時は重く溜息をついた。
「オイ、何当たり前のように屯してんだアァん?不法侵入で真選組呼ぶぞ?あと金時じゃねェ銀時じゃボケ」
 自分自身もドカッと反対側の長椅子に腰掛けながら文句を吐き捨てる。ほうじゃったかほうじゃったか、すまんのう金時、と性懲りもなく坂本が悠然を言い、鉄拳の制裁を喰らった。
「そういやぁ新八くんと神楽坂ちゃんは?」
 一瞬で復活すると坂本は辺りを見回しながら言う。室内は空で、ただ静寂が一種のオーラのように漂っている。心地悪くはなかった。
「あー、買出しに行かせた」
 無気力にそう返すと、金時は人使いが荒いきに、と馬鹿笑いしながら返された。あいつらほどでもねェよ。後頭部を掻きながら長椅子の背に寄りかかった。それを確認して図々しく坂本が聞く。
「酒、げにか(あるか)?」
「いや、あったとしてもテメーに出す酒はねェ」
「そうと思って持参しちゅう」
 ほれ、と取り出したのはお目にかかったこともないほどの名酒。その珍しさと比例して値段もそれがそれはかなり張る。お、流石っ辰馬、と銀時は目を輝かせた。現金だと坂本はつくづく思う。口には出さないが。
「んじゃ、つまみでも作って来るわ」
 腰を浮かせ奥へと引っ込んだ銀時の背中に呼びかける。
「つまみらぁてもの、ここにもあったがか?」
 蹴り出すぞコラ、とすかさず文句が飛んできた。

「辰馬さァお前、」
 そう銀時が切り出したのは酒が全身を回るのをはっきりと感じ始めた頃。
 行き着けのスーパーが予想外に混んでいて、万事屋に寄って行くとお通ちゃんのライブに間に合わない、イコール寺門通親衛隊隊長としてあるまじき行為であるため、そのまま直行するとの電話が先程新八からあった。買出しのビニール袋持ってくのかと素直な疑問をぶつけると、なんとかします、と決意のこもった返事をくれた。いや神楽使えよ。ボソッと呟いたのを聞き取ったのか、あぁ神楽ちゃんなら姉上と九兵衛さん遭遇して今頃ガールズトークを繰り広げていますよ、今日は泊まるかもしれませんね。ややぐったりした声が聞こえ、追求することをやめた。
「なんじゃ?」
 坂本が仰いでいた猪口を置く。いやさ、と前置きをし、銀時は猪口を片手で器用に回した。
「なんで俺のこと、金時って呼ぶの」
 妙に真剣な口調で聞いてくるものだから思わず姿勢を正していた坂本は放り投げられた案外どうでもいいことにおもわず拍子抜けする。
「今更じゃの。ところで金時、今度飲みに行かぇいか?」
「お前のおごりならな。というかお前何時まで地球にいんの今回は?ってそうじゃなくて!いや、確かに今更だけどさ」
「一週間くらいかぇ。今回は商売やき、陸奥も許してくれちょる。で、なき金時はこがな質問をするが?」
「いやだってお前記憶は意外といいじゃん?馬鹿だけど。なんで俺の名前はこんなにも間違えるが好きなのかなーって」
「馬鹿は余計じゃ」
 話しを逸らさせてくれないのを悟ると坂本は仕方なく自ら話しを戻す。

 理由なんてなかったと思う。普段飄々と掴みどころのない銀時の違う表情を見てからかうのが愉快なだけだったかもしれない。反応を受けて楽しかったのは、自分が生粋のボケ気質だからなのか。
 戦争中でも、例え激戦の最中でも、こう呼べば律儀に、そして執拗に訂正を入れてきた。既にもこれ以上汚れようのないのに、濁りようのないのに、まるで無垢な子供のような澄んだ目でムキになり突っ掛かってきて、そう、毎回金時じゃねェ俺は銀時だと戦場全体に響き渡るような声で、喉が張り裂けんばかりに知らしめるのだ。
 あぁ、そういうことだったのか。ふっとあくまでも自然に一つの理由が浮かび、すんなりと坂本は納得した。

 圧し掛からんばかりに重く沈みこむ光を通さない空と、赤く染まり足の踏み場もない地面と、それでも意地汚く立ち続ける人と、この星には属さない異型と、そして、つい前の一瞬まで確かに呼吸していた、心の臓の鼓動していた人と異型だった人形(モノ)と、夥しい量の血とぶちまけられた内臓物と。血煙を浴びて尚、駆けることを止めなかった白い、ただ白い青年にもまだ成りかけておらぬ少年。
 鬼神如き強さを誇り、故に呼ばれた名は、白夜叉。
 力を強めればあまりにも呆気なく折れそうな肩にその異名を背負うのはあまりにも重く、しかし少年よりかは世の流れを眺め続けてきた老人と描写した方が妥当とも言えるほどその双眸は諦観しきっていた。全てを悟り、また全てを絶望した瞳は感情を映さず、それなのに何処か激しく燃焼を続けるような強い、強迫観念とも取れる感情が揺らめくその血と同じ、紅の目は酷く誘惑的で、一つ誤ればうっかり奥に引きずりこまれるような錯覚を起こした。
 少年は強かった。
 それこそ夜叉と謳われるのが相応しい強さだった。
 しかしその反面、白い少年は酷く脆かった。
 一旦崩れ落ちた精神は戻るまい。
 だからこそ坂本はわざと彼をそう呼んだのだ。
「金時!」
 と。

――「いい加減にしろ俺の名前は金時じゃなくって銀時だ!いいかそのふわふわな脳ミソにしっかりと刻みやがれ!」
――「何お前人の名前間違えるのが趣味ですかコノヤロー!俺の名前が金時だったらジャンプ回収騒ぎになるじゃねーか!紙の無駄になるんだよエコロジーを学べエコロジーを!」
 全身を己の血と返り血に染めながら切れ味の悪くなった刀それでも握り締め決して離さず、だが決まってこう言い返す。

 金時じゃない銀時だ。そうだ、白夜叉じゃない、坂田銀時だ。

 単なる自惚れかもしれないが、彼の手を強引にでも取って、握って、引っ張り出していたのかもしれないと坂本は今更ながら悟る。
 ふいに硝煙の中に立ち続け、茫然とした表情の白い少年が目の前に座り酒をまるで水かのように仰ぎ飲み、へらへらと笑う死んだ魚のような目をした白い男に重なった。
 慌てて坂本はその映像を掻き消すように数回首を左右に振った。色のついた硝子越しから怪訝そうに見つめてくるマダオの姿がある。
 己も彼も、今はこの少なくとも表面上は太平の世で生きているのだ。彼が連れの子供二人と馬鹿騒ぎする場面が浮かび上がる。白い彼に血の赤は目を瞠るほど似合っていて、妖しいほど美しかった。しかし安っぽいビニール袋を引っ掛け、命を刈る真剣ではなく洞爺湖などとのふざけた彫刻のされた木刀を腰に差し、両脇で子供が談笑し、子を見る親のような眼差しの彼も、驚くほど違和感がなくしっくりときた。
 今世に彼を白夜叉と呼ぶ者などはいない。いてはならない。
 それでも懲りずに彼を金時と呼び続ける坂本はお人好しか、それとも、
「癖、じゃのう」

 余りにも沈黙が長かったのか、銀時は一瞬ポカンとし、一拍して、ふざけんな!と怒鳴った。
「はぁ?そんなふざけた理由でずっと間違えて呼んでたのか?いっそ馬鹿々々しさを超えて呆れだわ。それさえをも飛び台にして畏れだわ」
 ったく聞いた俺が馬鹿みてーじゃんかと不貞腐れる銀時をまぁまぁと宥め、坂本は酒瓶の残りを確認した。
 既に室内は温和な光などに包まれてはなく、わずかな冷ややかな月光が差すだけで暗かった。酒の波動が硝子越しに見える。月光の効果もあってか、いつもより神秘的だった。
「後ぼっちり一杯分ちや」
 そう言って酒を銀時に注いだ。



 蜘
 そんな軟弱な救いなどいらない。




2011・9/11


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もっさん土佐弁難しい!
想像で書いてましたが早々諦めて標準語→土佐弁変換プログラムに頼りきりました。
坂本が坂田をわざと呼び間違える理由について






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