焼失点 四 | ナノ



 四


 寺子屋、といっても焼け跡だが、それがあるのは比較的田舎だったため、結構な時間歩くことになる。空は相変わらず憎いほどの快晴。そこから地面へと磁石のように吸い込まれる雪の欠片。風花って、大雪にもなったりするのか?ふと銀時は疑問に思った。
 照り続ける太陽で、積りはしないが吹雪に変化している兆しがある。この分では、曇天になるのも時間の問題だ。晴天に誘われ、悠然と歩いていたのを早足に切り替える。
 そういえばあの日も雪だったことに思い至る。忘れようとするが、決して忘れてはいけない遠い記憶を掘り返す。しかし寒くなかったのは何故だろう。むしろ火傷のような、痛みを伴うほどの熱がそこにはあった。抑え込んでいた何かが、束縛から放たれたように、記憶がいっきに脳内に雪崩れ込む。腹の奥底から黄蓮のように苦いものが逆流してくる感覚があった。口の中に広がっていくその苦さに表情を歪ませ、無理やりそれを呑みこんだ。
 田んぼ作業は冬は休業なのは知っているが、ここまで長距離、人どころか、虫一匹にも会わないのは正直気持ち悪かった。あぁ過疎化もかなり進んでるからな、とできるだけ楽観的に銀時は自分に言い聞かせる。先ほどまでいた江戸の騒がしさと、今の静けさ。余りにも違いすぎるギャップに不自然さを感じ、思わずそのどちらかが虚像ではないかと自分の感覚さえ疑わしくなってくる。
 
 ふと、前方の木陰から気配を感じ、流れ的にそこへ顔を向ける。気付かれていること自体に気づいてないのか、七、八歳ほどの少年が木の後ろで銀時の様子を窺っていた。それはもう、冷や汗するほどの形相で。
「…お、俺何か悪いことした?銀さんなにもしてないよね?ジャンプも万引きしたことなんてないからね?しようと考えたこともないからね?」
 視線に耐えられず顔を反らし、こわばりながら独り言を言う。あの睨んでくる顔は、影をつくる表情は…どこか花屋を営む心優しき、外見恐ろしき隣の屁怒絽様と重なったのは考え過ぎだろうか。うん、思い違いだよ、うん、絶対そうだよ。硬い表情をして銀時は己を宥める。
 もう一度そちらを見ると、少年はまだ睨んでいた。今度は目が合い、気づかれたことを悟ると、恐怖に目を見開き、そのまま一目散に先にある村へと駆けていった。
 ボリボリと頭を掻き、ただでさえ跳ねた髪を更に乱しながら、困った口調で呟く。
「俺の表情そんなに怖かったか?それとも恥ずかしいお年頃か?それとも…」

 それとも、まだそんなに恐れられているのか。

 紅の双眸を細め、銀時は諦めたように憎いほど快晴の空を仰ぎ見た。

 正式に村に入ると、更に気まずい空気が流れる。過疎化では割り切れないほど、村は空(から)だった。空と言うのは、行きかう人が誰もいないこと指している。しかしそこに人がいないわけではなかった。
 こそこそと囁き合う声に銀時は苛立ちを覚え始めた。後ろから気味の悪い視線を向けられ、指を指されるのも癪だった。この注目度は他郷者故か、それとも外見故か。
「ハハハ、すっかり有名人かぁ、こりゃあ。」
 気休めも自嘲にしか聞こえず、ただ乾いた笑いをこぼすことしかできない。有名とは、もちろん、悪い意味でだが。
「しっかしここも未開拓だな…もっと怪奇な奴が江戸でうろうろしてんのによぉ、今頃。」
 みなさん偏見はやめようぜ、と言葉の割にはさほど気にしていないそぶりで再び頭を掻く。気にしても何も始まらないのだ。何事もなかったように銀時は耳を穿りながら悠然と歩いた。
 雲が、集い始めている。

 銀時は炭化した学舎の門に靠れかかっていた。芯までは焼けてなかったのだろう。大人一人の体重を崩れる兆しもなく支えている。中には入ろうとしないし、見ようともしない。立派とは言えなかったが、整った建物の築かれていた敷地内は、廃墟と成していた。あの日以来、誰も入ろうとしなかったので、当然、片付けられてもいない。焼けた時そのままの形で、十数年経った今でも残っていた。それは近寄ろうとしない村人に感謝すべきか、それとも恨むべきか、少なくとも銀時は分からなかった。その後壊されなかっただけ有り難かったが、それは不本意ながら、資金のある高杉家が敷地を全て買い取ったためであると聞いている。
 腕を組み、柱に寄りかかったまま、銀時は動かない。そのまま何かを考えるでもなく、何かを言うのでもなく、ただ彼はそこにいるだけだった。

 夜の闇が太陽の光を追い払うようにして空に被さる。最後の反発かのように、太陽は大地を茜色に照らした。その色はまるで揺らめく焔のようで、銀時は顔を上げ、その燃えるような(実質的に燃えているが、)日の輪を見た。すでにそれは直視しても眩しさを感じず、ゆっくりと暗闇に侵食されていく。その光景もまた消えゆく焔のように儚く、抗うことのできない真実を押しつけられるようだった。太陽は空虚さと諦観だけを残し、皓々とした月が代わりに露わになる。
 そろそろ宿屋を取らないと野宿することになる。しかし元々そのつもりなのか、銀時は夜になっても微動だにしなかった。顔を埋め、完全に寝る体勢を取っている。
 雨足ならぬ雪足が強まった。

 時折ガサゴソと敷地内から物音がするが、もうかなり時間が経ったんだ、当然野生動物の住処になってもおかしくないと銀時は自分に言い聞かせた。
 幽霊は足がないから音はしない。いやないない、それは絶対にない。幽霊だとしてもその形をしたスタンドだから大丈夫。いや、でも音がしない方が怖くないか?いやいや、怖くはない、断じて怖くはないけど!あぁそうだよ、ここはスタンド旅館でもなんでもないんだ、スタンドが集まってくるわけねぇじゃん。
 そう考えながらも、銀時は組んだ両手は確実に小刻みに震えていた。これなら宿取るんだったと今更後悔をするが、下手に動くと余計怖い、いや、怖くはないが、驚くので、震える身体を無理やりその場に縫い付けた。
 軽く、乾いた雪がチラチラと、しかし確実に銀時は首に巻いてある赤いマフラーに積り、白に覆っていく。
 
* * *
 
 畳に火が移る。瞬く間に燃え広がり、襖が、障子が、柱が生き物の如く蠢く火に包まれ、崩れて行く。揺れるそれは灼熱なのに、柔軟に全てを覆う動きは、まるで水のようだった。一歩一歩と銀時は後ずさりする。
 わずかに触れた壁に一瞬だけ氷を触れたかのように凍てつく感覚に続き、その直後には裂けるような痛みに襲われた。慌てて引っ込めたその手が、幼い自分のか、それとも現在の自分のなのか、銀時には分からなかった。
 ゆっくりと退いていたのに、いつの間にか足が駆け出し、門を潜っていた。出た次の瞬間に、その門にも一気に火が纏う。
 全体が朱色に包まれ、中は見えなかった。外に出てしまった今となって、まだ中にいる師を思い出す。再び入ろうとするが、燃え盛る焔は人が近づくことも拒んでいるようで、汗と涙を一緒に流しながら、ただそこに立っていた。
 どのくらい時間が経っただろうか。刹那、ほんの一瞬だけ、先生がこちらに振り向いた。いや、それすらも己の幻覚だったかもしれない。

* * *

「あの、」
 耳元で誰かの声がする。それに反応して、銀時が僅かに身を揺する。湿気のない雪が肩から落ちた。しかし起き上がる気配はない。これがまだ夢の中か、現実か、分からないらしい。
「…んせ…ん」
 先生、ごめん。揺さぶられてもまだ寝言を言う。
 ごめん。助けられなくてごめん、教えに背いてごめん、仇を討てなくてごめん、諦めてごめん。自分だけがのうのうと生きている事実にも、ごめん。
 夢の中で、先生が焔に飲み込まれる。
 はっとして、銀時は目を見開いた。目の前には夜明け直前の、白く染まった世界が広がっていた。辺りが濃い霧に包まれ、朝を告げる鳥のさえずりだけが微風に乗って耳に届く。
 夢の中で焼けた壁に触れたはずの右手を見ると、ただ汗で滑るだけで、火傷はどこにもなかった。はぁはぁと荒く息をする。何とか落ち着こうとするのだが、自身の呼吸の音に、余計冷静になれなかった。
「ひどく魘されてたようですが…大丈夫ですか?」
 自分一人のはずなのに、隣から穏やかな声が聞こえてくる。それはひどく懐かしく、額を押さえようとした片手を途中で止めた。
「あなたはもしかして…」
 お互いに顔を確認した二人は固まった。その人は言いかけていた言葉を途切れされる。銀時はただ、どこかのニコチン中毒のマヨネーズ依存症のように瞳孔を大きく開き、何もできなかった。

 ドクン、と鼓動さえもはっきり聞こえたようだった。
 ドクン。
 身体の中の全てが反応している。沸騰している。興奮している。
 時が止まったように感じられた。

 村からまた人影が寺子屋の焼け跡に向かってきていた。僧侶の装いに、錫杖を持ち、笠を深く被っている。
 霧の中でも誰が誰か分別できる近さになると、その男、桂は笠を取り、足を早めた。
「やはりそこにいたか、銀時。」
 呆れたような、諦めたような、泣き笑いのようなそんな声色で桂が声をかけた。
「ん?」
 銀時の他にも誰かがいるのに桂は首を傾げた。いつもは、桂が着く頃には必ず銀時が一人そこで佇んでいて、二人がそこを去る時に、後ろからかすかに道を別れたはずのやつの気配がするのがお決まりだった。
「他に誰か、来てるのか?」
 段階を上がり、銀時の所にまで辿りつく。
「おい聞いてるか?」
 中の方に向き、動かない銀時を軽く押しのけ、その人を見た。桂の表情がスローモーションで驚きへと変わっていく。

「銀時に…小、太郎…?」
 カタン、と桂の持っていた錫杖が石畳に落ちた。
「松陽…先生…なのか?」
 何もかも、時間さえも氷結した。

「…なんで…」
 掠れた銀時の呟きが漏れた。



 氷結した時は…
 ピキンと音を立てて砕け、そして散りゆく。





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