(高校生佐伯と元カノAちゃん)



次は、西大井、西大井――

というアナウンスに重なるように、雨が窓を打つ音が響き始めた。ぱつ、ぱつ、という微かな音を伴い、見る間に窓に銀の点線が生まれていく。次は、西大井。ちょうど神奈川と東京の県境をまたぐ頃、天気も曇りから雨へ移り変わるというわけだ。


「天気、もってよかったね」


彼は言った。特に嬉しそうにも聞こえない声だった。そうだねぇ、と半ば自動的に返す頭のほとんどは、東京に入ったということは、もうデートも終わりだな、ということで占められていて、でもそれを特に悲しいとも思わない私だった。江ノ島は楽しかったのに。話は弾み、彼は申し分なく優しかったのに。今だって、一つだけ空いた座席に座らせてくれ、きっと駅に着いたら傘を差しかけて送ってくれもするだろうに。


「晴れてほしかったけどな」

「曇りもよかったよ。曇りの海って意外といいんだなぁと思った」

「そうかなぁ」


俺そんな感性ない、と笑って言う。私も普段そんな詩的なこと考えやしないけど。ただ彼の銀の髪や、青い瞳が、晴天よりも曇天の日の方が映えるというか、きれいに見えるというか、ということを発見したので、捨てたものではないと思ったのだ。
彼に告白したのも曇り日の屋上だった。私を見て、いいよ、と笑った目もきれいに青かったはずだ。その時は足元ばかり見て、彼の顔も見られなかったから知らなかったけど。


「私ずっと思ってたんだけどさ」


うん、と促しながら、彼のまとう雰囲気が微かに緊張するのを感じる。この先に、本当に重大な質問が待ち受けているのか、どうでもいい雑談が続いていくのか、量っているのだろう。女は平気で話が飛ぶから。私だって自分の問いの重さがわからない。


「ハーフって、目、青くならないよね」


ちょっと嘘だった。ずっとは思っていなかった。今日、曇天の下で冴える青を見て、初めて彼の目が青いことを実感? 認識? し、そういえば緑や青は劣性って習ったよな、と思ったのだ。ああ、と彼は言う。訊かれ慣れたことをまた尋ねられた、ときの、少し諦めたような声色。


「俺、なんて説明してた?」

「お父さんがイギリス人、とだけ聞いたことがある」

「そっか。じゃあ母親も純粋な日本人ではない理由を言えばいいのか」

「え、なにその言い方? 作り話なの?」

「いや、本当だけど。でもその、母親が日本人でない理由が上手く説明できなくて」


だからハーフでも若いうちは青い目だったりするとか、帰化してこんな名前だけど血は100パーセントイギリス人だとか、その場で適当な話をしてしまい、誰にどの説明をしたのか忘れる、というようなことを彼は釈明した。やや申し訳なさそうに。
別にそれ自体はいい。私も説明するのがめんどくさい、などという理由で(恐らくもう会わないような人に)小さい嘘を吐いてしまう方なので、それを人倫的に責める気はない。


『母が日本人でない理由を上手く説明できなくて』


ただ、これを一生話してはくれないんだろうなぁと思っただけだ。これを話せない、たくさんの人のうちの一人でしかないんだろうなぁと思っただけ。どの嘘を吐いたかわからなくなるほど、たくさんのうちの一人。
例えば婚約するとか、そういうことになれば、過去のことや家族のことを話してくれるのかもしれない。そういうことになっている私を、他でもない私が思い描けない、それが全てで、それで終わりだ。私たちは私たちのままでいけるところまではもういってしまった、という感じがした。


「あー、言いにくいならいいよ、ふと思っただけだから」

「ん……なんかごめん。国際結婚の多い家系、ということで納得してほしい。嘘ではない」

「隔世遺伝とか適当に言ってくれていいのに。律儀だなぁ。了解」


私に話してくれた理由が真実かどうかなんて、私に知れたものではないし、どうだっていい。


東京、東京、お降りのお客様は――


立ち上がった拍子に、鉄の手すりに引っ掛かっていたらしいストールの隅がほつれた。あっと思う間もなく、ぷつ、という、糸の切れる音が私にだけ聴こえた。雨音に似てる、と思った。気に入っていたストールだけど、あまりショックはなかった。だってもう、もっと繊細な、レース編みのような嘘の一端は千切ってしまったし。遠からず、もっと大切なものも、壊そうとしているし。
前に立って一歩先にホームに降りた彼が、雪になってる、と呟く。ブーツで踏むホームは暗い灰色で、高校の屋上を思い起こさせた。同じように雪の降り積んでいるであろう屋上。


「月曜、朝、屋上で会ってくれる?」


いいよ、と肩越しに少しだけ振り返って彼は答える。黒に近い紺のコートの肩先に、きれいな形の雪の結晶が落ちた。雪の結晶もそういえばレース編みに似ている、極小で精巧なレース編み。完璧で寂しくて美しいものはみんな似ている、と思いながら、融けて消えるまでそれをじっと見ていた。週明け、曇天の屋上で、少しだけ近づいていた私たちはまた他人に戻る。




31.隠す

「さみしいなにかを書くための題」という診断メーカーの、
「蒼条さんはコートに雪の結晶がついていた冬のある日、地名のちょうど変わる場所で繊細なレースが破れた瞬間を見たことについての話をしてください。」
からの着想でした。

目が青い、日本人の血が薄い理由は夢主には連載で語られます……Act.5で……超能力関連の理由なので一般人に話せなかったのです。はよ書け。

20161219
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