(主に夢主と佐伯)
どうしよう、と呟いた。通話を終えホーム画面に戻る、支部長の仕事用スマフォを見る。出たこと自身に全く問題はない、デスクに置いていったときは積極的に出てほしい、と言われているので。
「どうしたの」
「なんか、今朝出した給与のフロッピー? の、カクチョウシ? がおかしいんだって。りっちゃんわかる?」
「ごめんなさい。額を出すまでならわかるけれど、それ以降は全く」
「3時までに直して出さないと、お給料週明けにしか出ないって……」
壁の時計を見る。午後1時を少し回ったところで、当の本人である支部長はというと、寝ている。体調不良ではなく夜中まで給与計算をしていたからだ。3時間したら起きます……と死にそうな声で言って仮眠室に消えていった。心苦しい。心苦しいのだけれども。
「お、起こすしかないかな」
「やめとけば? 幸いこの規模だし、全員給与の遅れに同意できればそれでいい」
「困るんだ……水道代と電気代が落ちるんだ……」
「すぐ止まるわけじゃないわよ。再引き落としの日があるわ」
「というか余裕を持って口座に入れておきなよ……貸そうか?」
「いや、仲間内でお金の貸し借りとかよくないよ。滞納もよくないよ。縁くんも恐縮するだろうし、元凶をなくせる可能性がまだあるんだし、頑張るべき」
「それもそうね。前日ギリギリまでやってるのも悪いわ」
「まぁ、一理あるし、止めはしないけどね」
なんだか含みのある言葉が気になりながらも、仮眠室へ向かった。仮眠室といってもただの部屋にカーペットを敷き2段ベッドが置いてあるだけなのだが、ほぼ住み込みの縁くんにとってはホームグラウンドである。愛しのマイベッドである。お布団との蜜月を邪魔しにいくのだ。
革靴が脱いである横にパンプスを脱ぐ。冷房も暖房もいらない時期で、開け放した窓からは初秋の爽やかな風が入ってくる。ハシゴを上った。俯せで、組んだ腕の上に顔を伏せる、ほふく前進の途中で力尽きたような姿勢で彼は眠っていた。息苦しそうだし腕が痺れそうな寝方だが、気持ちよさげな寝息が聞こえる。寝顔見たかったのになぁ、と思いながら、しばし耳を澄ませる。親しい人の安らかな寝息、たまにブラインドがカラカラ鳴る音。世界で一番安らかな景色、を、私は今この手で壊そうとしている。
「縁くん」
布団に包まれた肩をそっと叩いた。ノーリアクションだった。起きて、とちょっと強めに揺すっても、んん、と悩ましげな声が出るだけだ。後ろ頭が揺れ、銀髪がさらさら揺れる。髪の間から覗く耳も白く、彼は目を閉じていると奇妙に無彩色だな、ということに気づく。なんとなく不安になる光景だ。
「縁くん、起きてって」
「もうちょっと……」
「ごめん、ダメなの、急ぎなの」
おねがい。
舌足らずに囁き、ようやく薄く開いた、朦朧とした青い瞳に見られて、一瞬固まる。私を見ているようで見ていないような、距離感のない目に時が止まる。その目が閉じていくのを見て我に返る。
「ダ、ダメ、そんな声だしてもダメ」
「そんなこと言わないで……」
「あぶなっ」
首に腕を回されてバランスを崩しかけ、ベッドの外枠を掴む。寝ていたからだろうか、うなじに感じる腕が熱い。シャツ越しでもわかるほどに。とにかくハシゴの上では危ない、降りるか上がるか迷って、ベッドの上に上り膝立ちに、
「うわ、」
なろうとしたところで、抱き上げるようにして抱きすくめられていた。混乱して瞬きを繰り返す視界には、白い喉元、鎖骨や喉仏が映る。首の後ろに回されたままの腕が、額のぶつかっている首元の皮膚が、熱い。シーツの中でこもった熱も感じる、私の体温も上がっている気がする、心臓がうるさい。
「寝ぼけてる、よね……?」
なぜか声を潜めてしまう。起こさなきゃ、起こしに来たのに、わかっているのに、この腕の中の空間を壊したくなくて。起きて、一応言って、肩のあたりをそっと押した。もはや囁くような声に、力もこもってない手に、彼の意識が醒めるはずもなかった。
押したり揺すったりしていた手を、諦めて首に触れたままにする。頸動脈が脈打つのを手のひらに感じる。静脈の目立つ白い首元に頬を寄せたら、自分のものとは違う、どこかざらりとした男の人の肌に触れた。寝起きで体温の高い肌と、熱い私の頬の感触が混じって、境が溶けるようにわからなくなる。曖昧に溶けた熱の中で、2つの脈が鳴っている。再び聴こえ始めた寝息が、つむじあたりの髪を揺らした。私の鼓動とは裏腹な、安らかなそれが切なかった。
「ねぇ、」
誰と間違えてるの。
44.眠るこのあとめちゃくちゃ土下座された。色男目クズ科低血圧属、佐伯縁。
前半の会話を書くのが意外と楽しかった。日常。神崎もされたことがあるので止めているのです。
20170314