「中山さん」


呼び止められて驚いた。何に驚いたのか瞬間考え、彼が私の名前を正しく覚えていたことだとわかった。普段は、と思い返そうとする。ない。呼ばれたことがない。ねぇ、とか、そこの、とかも、ない。まぁそんな呼び方されたら、私の中の彼の好感度は地に堕ちていただろうけど。


「バレンタインはどうも。つまらないものですが」


今度は私が帰ろうとしていたところだった。ソファから立って歩み寄り、細長い紙袋を差し出す。お花かな、と思って受け取ったら重かった。ぐんっと床の方に引っ張られる手に、彼がとっさに手を添えてくれようとする。瓶だった。最初から瓶と思って持てば重いものではない。


「お酒が飲める方だと聞いたので。ロゼワインを」


誰から? などとわかりきったことはわざわざ訊かない。紙袋の口からは、ピンクと赤紫で描かれたモダンな花柄のラベルが見えている。お洒落だ。


「わぁ、ありがとうございます、すごく綺麗。毎日発泡酒ばっかり飲んでるのに、なんだかもったいなくて飾っちゃいそうです」

「ああ、うん……喜んでもらえてよかった」


せっかく柄にもなくテンションを上げて、自虐的な笑いも誘って、それはなくないだろうか。飾らないで飲んでよ、くらい言ってほしい。まぁスベった私が悪いのだけど、空気がいたたまれないので、予定通り帰らせてもらうことにする。

私も彼も、それぞれ朝からバレンタイン、ホワイトデーの贈り物を持って支部にいたのに。帰り際にしか渡さないのはこの、あげたりもらったり、という空気を引きずりたくないからなのだろう。明日にはまた職場では話もしないし目も合わさない、他人だ。お中元や年賀状の習慣はないので、多分来年のバレンタインまで。それを寂しいとも思わない。


「中山さん」


では、と踵を返そうとしたとき、躊躇いがちに声をかけられる。彼に向き直ってからも、まだ迷うように視線を泳がす。


「誤解してるかもしれないけど、俺は君が嫌いなわけじゃない」

「それは通らないと思います」


苦笑いが漏れる。先月、この人は私を嫌っているというより、どうしていいかわからないのかもしれない、と思いはしたものの、でもそれは結局私の人となりを苦手としてるってことだな、嫌われているのと大差ないな、と鼻白んだのだ。


「そうだな。まぁ君のことは確かに苦手なんだけど」


言葉を選ぶように、あるいはこの期に及んで語るか迷うように下唇に触れる。言葉を待ち、ぼんやりと久賀原さんを見ながら、バレンタインは彼の傷んだ毛先が光って見えて、それがなんだか綺麗に思えた、ということを思い出した。傷んだ毛先を整えてしまったのか、真冬のあの頃着ていたのとは違う、グレージュのコートを着ているせいか、もうキラキラしているとは思わなかった。
私もそろそろ髪を切ろう。黒のロングで落ち着いているから、長さもほぼ変えないし色も入れないけれど、切ろう、と思うだけで少し頭が軽くなるようだった。


「私、子供が嫌いなんですよ」


嫌いというか、罪悪感や忌避感、というレベルのものなのだが、それは今はいい。え、ああ、そう、と当惑したように彼は言う。多分私の方が彼より常識的だと自負しているのに、私はこの人を当惑させてばかりいる、というのがなんとなくおかしい。


「そう、ああそう、程度のことでしょう。何かを嫌いだなんて」

「それはまた違う話だと思うけど」

「そうかな。そんな大層な理由もなく、嫌いにくらいなったっていいんですよ」


だからそんな顔してまで、話してくれようとしなくていいんです。

というのは、言わなかったが、伝わっただろう。彼が恐らく、「自分は貴方を苦手としているがそれは貴方のせいではなくこちらの事情によるものだ」、というようなことを話そうとしたのでは、と、私が悟ったように。


「ありがとうございました」

「いや。お返しだしね」


彼は彼の事情を、もっと大切にする人に、もっとわかりたがっている人に、話したらいい。私は、そんな事情がある中で、してくれたことに感謝するだけだ。調べてまで、好きな物を贈ろうとしてくれたこと。紙袋を落としそうになったら、自然と手を出してくれたこと。彼には恐らく、当たり前ではなかったこと。


「いえ、本当に。ありがとうございました」


思えば日も長くなった。17時過ぎの今も、一見真昼と変わらないような明るさがガラスの向こうには溢れている。同じような時間に、もうとっぷりと暮れていた真冬のことを、もはやうまく思い出せない。
かわいくて飲めない、飾りたい、というのは通りいっぺんの褒め言葉の1つとして言っただけだけれども、帰ったら本当にしばらく飾ろう、このボトル、と思う。キャビネットの上、アクセサリトレイの横。きっと花が咲いたように明るくなるだろう。昨日と同じようで、少しだけ春めく部屋のなか。



その花の最初の一片


夢主はきっとその事情を聞こうとするだろうけど、別にどっちが正しいわけでもないよな……と思って。
やはり本編進んでないから意味不明だよね、という危惧しかない。ごめんなさい。

お互いに恋愛感情どころか好意もない2人の、完全に義理な贈り物ってそれはそれでとてもセクシーだなぁ、という萌えで選ばれた2人でした。本編ではほぼ絡みません。

20170212
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