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期待していなかったどころか、今日が何の日か意識してもいなかったのだから、もらえただけありがたいと思うべきだし、実際嬉しくないわけではない。嬉しい……はず。うん。
(日本においては主に女の子が)好きな人に物を贈る日、意中の女の子に差しだされたのはタッパーだった。チャプチャプ音がする。うっすらコンブだしの匂いもする。

「ハッピーバレンタイン。いつもありがとう」

うん。間違いようなく、ギリというやつだね。


NEVER FEED ME ANY PICKLES.


華やかな結び目のフロシキを解かせてもらった。予想通りというか、いや予想の遥か斜め上ではあるんだけど、タッパーの中には大量のスライスされたキュウリが泳いでいる。シュール。


「なに? これ」

「浅漬け」

「あさづけ……」

「日本のピクルスよ。ご飯にのせて食べることが多いわ」

「いや。何っていうのはそういうことじゃなくて」


聞きたいのはWhatでなくむしろWhyだった。日本のバレンタイン事情に詳しくはないが、普通チョコレート、もしくはそれに準ずる菓子類(しばしば手作り)を贈る、のが、一般的だと解釈していた。なんでチョコレートなんだろう、と思いはしたものの、年に一度、女の子の方から思いを伝える小道具として確かにかわいらしくはある。腑に落ちる。だからこそ、甘みの欠片もない、塩気のきいた、ご飯のすすむものを贈られた僕の戸惑いを考えてほしい。彼女は小首を傾げる。


「贈ると思うけど、塩味のもの。部活に手作りお弁当を差し入れたり」


それはいいね。かわいらしいね。でも今僕は部活動中でもないし、特にキュウリが好きと言った覚えもないね。今争点にしたいのは、普通菓子類を贈るものだという慣習を打ち破ってまで、アサヅケ? だっけ? に辿りついた論拠ね。


「佐伯君がね」

出た。どうせそういう感じだろうと思った。

「甘いもの食べられないっていうから。鴻上君も好きではないそうだし」

「訊かれもしなかったけど、僕は甘いものがとても好きだよ……」

「ええ知ってるわ。でも浅漬けが食べられないわけではないじゃない?」


だから今回は最大公約数的幸福を追うことにしたのよ。しれっと彼女は言う。微妙に意味が違う。確かに対象3人の多数決で、アサヅケに2票入れば残りの1人には訊く必要もない。それはわかるんだけど。


「それにうちオーブンもないし。手作りお菓子は厳しいの」

「オーブンが必ずしも要るの? 融かして固めるんじゃないの?」

「……ふうん。融かして固めるだけと思ってるわけね。基本そうだろうけど、凝ったものを作ろうと思ったら要るわよ、ブラウニーとかフォンダンショコラとか」


いいなぁ。ブラウニーとかフォンダンショコラとか。聞くだけでおいしそう。現実を知らしめるように、手の中で無意識に傾けたタッパーがチャポ、と鳴る。薄緑の欠片が揺れる。淡い緑とふちの濃い緑、コントラストも鮮やかな新鮮そうなキュウリ。素直においしそうだし、事実おいしいのだろうし、別においしくなかろうと彼女が手ずから作ってくれたものだし、文句のつけどころがない。本来なら。


「なんで彼らの意見を先に訊いたの?」

「訊いたんじゃないわ、話の流れでなんとなく知ったの」


ふうん。鼻を鳴らしたら何よその顔、と言われた。どんな顔してるかなんて知らないし知りたくもない。まだ何か言おうとする彼女の前で、軽く手を振って遮る。


「いつだっけ、お返しする日。なんか決まってるんだよね」

「ホワイトデーのことなら来月よ」

「そうそれ。あまり期待せずに待ってて」


ジンはともかく、支部長はどうせ一般的な女子の好みとか流行とか価格や実用性や、そういうのをうまく押さえたものを贈るんだろうし、僕はピントを外すだろう。女心なんかわからないし。つまり結局彼らだけが、バレンタイン絡みの一連のイベントで、真に欲しいものを贈りあうわけだ。まるで恋人みたいだね。贅沢を承知で言うと、もらえないよりもこの状況はなんだか、虚しい。かもしれない。

別にね。しょっぱいものをもらったからイヤなわけじゃなくてね。結局、自分の好みより他の男の好みを優先させられたんだなぁとか、3人でやる多数決において僕は完全に他の男子陣と平等な重みなんだなぁとか、そういうことがまぁなんというか面白くなかっただけで、だから結局僕は、彼女にとって自分が多少、多少は特別な異性であるだろうとかなんとか、


「そりゃあ貴方の意見ひとつ訊かなかった私に非があるわよ」


前髪をぐしゃぐしゃしながら羞恥に苛まれていると、押し殺したような低音が聞こえた。そういえばちょっと前から、机を爪でコツコツやる音(彼女が苛立ち始めにやる癖)がしていた。ような。彼女の、というか女の子全般の地雷はよくわからないけど、今回自分が悪いのは明白だった。


「それでもね、笑ってありがとうくらい言うものだと思わない?」

「うん、ごめん。ちょっと意外だったから戸惑っただけで、嬉しいよ、ありが」

「私だってね、」

言わせてもらえなかった。言えって言ったのに。

「甘くて可愛らしいもの贈りたいわよ。どう考えてもチョコレート作ってくる女の子の方が可愛いじゃない、何よ浅漬けって、田舎のおばあちゃんじゃないのよ」


いや、かわいいと思うよ、反射的に言いかけたが明らかに嘘に聞こえそうなのでやめた。燃えあがったら鎮火方法はわからない、というか、ない。口を挟もうと黙っていようと怒りに油を注ぐ。諦めた。ただひとついいことに、


「でも1人にだけ、甘いものを贈るって、なんだか本命感がすごいの! 重いの! 皆はタッパーなのに1個だけ淡い色の包みになっちゃうし、並べてみたら引いちゃうくらい本気っぽかったの!」


怒っている彼女はより美人だ、と思う。なんというか生命力があって。吊った目尻や紅潮する頬、奥で何か燃えるようにきらめく瞳。手にとった書類を机に戻し、真剣に怒り顔を眺めるべく頬杖をついて体を傾けかけて、えっ今なんて?


「え、作ったの?」

「作ったわ。トリュフ」

「……それを今からもらうわけにはいかないのかな」

「食べたの。悩んでたら急激に腹立たしくなったから」

「あ、そう……」

「それにどうせ融かして固めただけのトリュフだものね。ええそうよ固めるだけよ、仰るとおりよ。贈らなくてよかったわ」


もう一度神妙な顔でごめん、と口にする。本当に申し訳ない。自分の知らない分野のことを軽い気持ちで口にするものじゃない。でもひとつ言わせてもらえば、


「オーブンがないからって、妥協したものなんて贈りたくないわよ。誰だって、開けてすごいって言ってもらいたいじゃない。見るからに手の込んだ、時間のかかったもの作りたかったわ、私だって」


何を作ったかなんて問題じゃないことを、君だって全くわかってないよ。

一通り言って落ち着いたのか、きつく眉を寄せて黙り込んだ。彼女の怒り方は大体こういう感じだ。ある程度言い募ったら、口を閉じて言ったことを反芻する。離れて聴かないようにしてるけど、側にいたなら、またこんな言い方しちゃってかわいくない、という自己嫌悪だとか、そもそもかわいい女の子になりたいわけじゃない、という苛立ち混じりの開き直りだとかがよく聴こえることだろう。

深夜の台所で、渡せるかどうかもわからないチョコレートを躊躇いながら作る彼女を思った。ローテーブルにチョコの包みとタッパーとを並べ、真剣に考える彼女を思った。突然机をごつっと殴って包みを破ってトリュフを次々食べる彼女を思った。反感を買いそうで言いにくいけれども女の子のヒステリックな怒りは五指に入るほど苦手で、それでもこんなふうに怒る彼女を、怒った後唇を歪めて黙ってしまうこの女の子が、もう。

君は全然わかってない。何を贈るかなんて問題じゃない。信じないだろうけど、チョコレート作ってようがピクルス作ってようが人肉ソーセージ作ってようが君はかわいい。盲目ってそういうことだから。僕だってわかってなかった、贅沢を承知でなんて言いながら全然わかってなかった。

僕はこんなにかわいい人に、バレンタインの贈り物をもらったんだな。

腕を伸ばした。落ちた髪を一筋掬い、耳に掛ける。びくっと彼女の肩が震える。露わになった顔の中で、瞳は驚くほど無防備に揺れた。まだ指が触れたままの耳が、熱く紅く染まってゆく。本当に、こんなにかわいい人に、もう一度思った。覗きこんで、誠意をこめて、ありがとうと囁いた。


「何だっけ……ホワイトデー?」

「え?」

「あげるものが決まったよ」


彼らの好みなんて覚えなくていいし考慮しなくていい。いかにも本命だとか、どう見られたってどうでもいい、人目をはばかるなんて君らしくもない。君の本気、楽しみにしてる。

“pickles”には「困った立場」という意味があるそうです。

ホワイトデーにオーブン贈っちゃう系男子。愛が重い(物理)。

20140301
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