「お祭り、行きましょ」

笑顔で言われ、佐伯縁は大いに当惑した。

「誰が? 誰とですか?」

「イヤね。2人しかいないじゃない?」

白い指がついついと動くのを眺めた。佐伯君と、私よ。声とともに指は彼女自身の笑顔を指し、彼の胸元を指す。しばしの沈黙を、遠くからごく微かに届いてくる、楽しげな喧噪が埋める。

確かに今日は、近所の神社の祭礼であった。神色は薄く、ささやかながら花火も上がる、娯楽に乏しいここらの若者はこぞって出かける催し。しっかり者の経理といえど彼女は19の女の子なので、それに行きたがること自体は驚くことでもない。が。

「中山さんが? 俺と?」

間抜けたように繰り返したのは頭に1人の男の存在があったからだ。無駄なお節介焼きにはなりたくないが、この狭い職場、彼女の恋心は誰もが知るところであるし。知った以上、妨げになることはしたくないものであるし。

なんで神崎さんと行かないんです?

思いきり疑問を目に込めて見つめたが、なぁに? と言わんばかりに小首を傾げられてしまった。いやいや。かわいいけども。

「お願い」

いつになく頼りなげな、縋るような声が煮え切らない佐伯の鼓膜を揺らす。

「どうしても行きたいの」

なんかもうどうでもよくなってきた。中山が健全な19歳女子なら彼も健全な18歳男子なので。
どうせ人込みがどうのとか、屋台の食べ物は不衛生でどうのとか言ったんだろう、神崎さん。もともと行く予定のなかった夏祭りに、女性(浴衣でないのが惜しいが、美貌の大和撫子)の側から、2人きりでと誘われている。乗らない方が失礼にさえ思えてくる。夏祭りに行きたい、でも1人では行きにくい、そんなかわいらしい願いも叶えてやれない男とのことは知らん。

結構あっさり陥落した彼が席を立つと、いいのっ? と腕をとられた。夏の生温い空気にムスクの香りが混じる、だるい匂いが艶かしい。

「まぁ、誰でもいいなら」

心外そうに目を大きくしてから、ふふ、と幸せそうに微笑み、

「佐伯君がいいのよ」

と言われたときはさすがに、なんかおかしくないか? と彼も思った。



夏夕ラピッドファイア



「さぁ、張り切っていきましょう」

「……ああ、そういうことですか」


結論から言えば、本能の警告に従うべきであった。年上大和撫子のハニートラップを決然と退けるべきであった。
祭り会場に着くや否や、慎ましく添えてられていた腕はグワシと拘束するものに変わり、夜店を冷やかすこともなく一直線に連れてこられたのは一軒の出店だった。派手派手しい幕に書いてある字。ずばり「射的」。

彼女、19歳の女の子であるがしっかり者の経理である彼女、「誰とでもいいから夏祭りに来たかった」などと淡くかわいらしい動機で動いてなどいなかった。想い人神崎と来たかったわけでさえなかった。

射撃の名手と、来たかったのである。


「狙いはわかるわね」

一等の景品=エアコン。日本支部のエアコン=骨董品。ほぼ温い空気を吐き出すだけのファン。

「アレとって♪ みたいな方が男はやる気が出るんですが」

「いつまで遊び気分でいるの? 的はわかるかと訊いているのよ」

「あっハイすみませんでした。わかります」


縁日って遊びじゃないの? という言葉は飲み込んだ。祭り初日の早い時間に一等を落としていいものかとか、そもそも実銃射撃ができるから射的もできるとは限らないのではとか、割と常識人な彼は思わなくもなかったが、身の安全のためにそれも飲み込んだ。


「5発は様子を見てもいいわ。10発で仕留める公算なの」

「俺の知らないところで……善処はします」


エアコンは実物を的にできないので、「一等」と書かれた木片に当てるらしい。まぁとりあえずやってはみるか、と台の上で伏射姿勢をとった。ガチすぎる姿勢に隣のカップルが引いているのがわかる。えっなに……? 外人じゃん米兵……? という囁きが聴こえる。モデルとかじゃなく米兵と言われたのは初めてだった。早く終わらせて帰りたい、という一心で引き金を引く。

1発。2発。一応当たりはするのだが、


「厳しいですね。木片の重さじゃない、錘入れてるみたいです」

「当たってるのに倒れていないものね。ちょっとダーティね」

「ちょっ……!?」

ねぇお兄さん、当たり前のように店番に声をかけようとするのを必死で止めた。

「やめましょう!! 恐い人出てきます!!」

「でも、当たっても倒れないようにしている射的なんて、当たりを入れていないクジと同じよ。詐欺だわ。出るとこ出れば勝てるわよ」

「先にどこにも出られない顔にされますよ!! わかりました、倒します、倒しますから」

「できるの?」

「ダブルタップすれば多分……引き金の戻りが遅いので難しいですけど、」

「理屈はいいわ。できるなら見せて。無理なら私が話す」


以上よ、と言い放ち、猶予を与えるように数歩後ろに下がる。大和撫子と夏祭りに来たはずが女マフィアになっていた。そして女マフィアがイチャモンをつけかけたせいか店番が増えた。スウェットの若い男1人だったのに、鯉口シャツで眉に傷のある人が増えた。明らかにランクが上がってる。悪夢にも程がある。
弾を2連射するのは別にルール違反ではないですよね? ね? というおもねるような笑みを店番たちに送りつつ、初めて触る銃でダブルタップを成功させる。胃酸がせり上がってくるのを感じながらも佐伯は頑張った。かつてない集中力を見せた。


「……一等、エアコンね」

木片が台から弾け跳んだのを見て、鯉口の男が苦虫顔で言う。スウェットが段ボールに持ち手をつけてくれる。賞品用意してあったんだ、と佐伯はこっそり思った。一般人の射撃スキルで落とせるものではなかったので。ともあれこれで任務は完了、めでたしめでたし、戦利品を持ち上げた彼の耳に、


「じゃあ次は扇風機ね」


信じがたい言葉が聞こえる。え? 何言ってんのこの人?

「……扇風機はあるじゃないですか」

「いつ壊れるかわからないわ」

「壊れてから買いに行きましょう! アンダー1万ですよあんなの!」

「そう、1万弱のものが、佐伯君の頑張りによっては数百円で手に入るのよ」


夢のようよね? まったく後ろめたさの嗅ぎとれない、清らかな笑みで彼女は言う。もうずっと真夏の悪い夢である。佐伯にとって。


「扇風機ほしいなら俺のポケットマネーで買いますから……」

「わかってないわね。最小の投資で最大の対価を得ることに意義があるの」

「めっちゃ睨まれてるじゃないですかお願いだから帰りましょう……」

「どうして? 私たちは彼らの定めたルールに則って報酬を得たのよ。想定以上に相手の腕が立ったから文句つけようだなんて、任侠って言葉を1度辞書で引いてみるといいわね」


えっ相手がヤのつく人とわかってて言ってるの? すごく煽りスキル高くない? ていうか8月半ばの熱帯夜なのにすごく寒くない? 俺だけ? 何が恐ろしいって一等エアコンが落とせた彼には三等扇風機など難なく落とせてしまう、ということである。わざと外そうと目論んでもバレバレだということである。エアコンを地面に置き、中山に渡された500円を台に置いた。


「景気ええやないか、兄ちゃん……自分やで? わかっとるやろ」


内臓が縮み上がった。冷たい汗がじんわりとシャツの背を濡らす。胸から喉の辺りにかけて千の言葉が渦を巻く。わかってます。これ以上なくわかってます俺は。わかってないのはこのお姉さんです。普段フェミニストかつジェントルマンな彼であるが、もはや彼女をかばう気もない。許されるなら彼女を置いて自分だけでも帰りたい。


「なかやまさん……」

「どうしたの佐伯君? 気後れするようなこと何もないわよ? ここに並べているということは、二束三文でクーラーから冷蔵庫から洗濯機まで持っていっても異存ありませんってことだもの」


艶やかな黒髪を払い、佐伯の背後の男を流し目で見さえする。二等は冷蔵庫なのね、冷蔵庫もいいわね、などと聞こえよがしの鼻歌混じりに言うのが聞こえる。なんで? なんで恐くないの? 人目があるから最悪でも手荒なことはされないだろう、と思っていたが、異様な雰囲気を悟ったか、この夜店周辺だけ誰もいなかった。ラストダンジョン並みの禍々しさだけがここにある。のろのろと銃を取る、震えて普通に外しそうな気がするが、それはそれで後日柔道黒帯中山律に何をされるかわからない。


「わかっとんのぉ……兄ちゃん」

「わかってるわよね? 佐伯君」


前門には鬼経理兼格闘家。後門には任侠。神はなぜかのような試練を、台の上で伏射姿勢で硬直する彼の頬を、冷たい汗がただつうっと滑ってゆく。
Q.なんでヤクザ事務所に討ち入るのは平気なのにこれは恐いの?

A.仕事とプライベートは別物だから。

アサハカ佐伯くんと守銭奴中山さん。

20160902
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