※生理ネタ

下着を下ろして、ああ、と思った。ここ数日腰が重かったのに、どうしてこんな淡い色の下着を着けてしまっただろう。落ちるだろうか。顔を上げたら目眩がした。いかにも血が足りないように頭が重い。白く清らけき朝の光の中で、血はアンバランスに鮮烈に赤い。


That's Blue Wednesday



「おはよう」

おはようございます、という返事は途中で途切れた。彼は何か言いたげな顔で私を見ている。顔色をなんとかしようと濃くしたファンデもチークも、やっぱり変だったのかも、羞恥心がこみ上げてきたが努めてクールに尋ねた。


「なにか変?」

「変というか。貧血では?」


佐伯君は化粧の色が浮いていることから、恐らく月のものによる貧血、という推理が働く人だったらしい。女きょうだいでもいるのかもしれない。家族構成を話したことはない。
なんだ、こんなにすぐバレるならメイク頑張らなければよかった、というか、休めばよかった。そもそも。一気に脱力して、膝からがくっと座り込みたくなる。


「辛いですか」

「そうでもなかったんだけど。バレちゃったら気が緩んで、ちょっと……フラフラするかも」


休んで下さればいいのに、と何とも言いがたい表情で言う。歯痒いような怒っているような。自分は体調不良を訴えでにくい上司なのだろうか、と悩むのだろう、そういう人だ。しんどい性格だ。
違うの、私が出勤したのは休みを切り出しにくかったからだけじゃなくて、今日中にしたい仕事があったのも事実なのよ、だからそんな顔する必要ないの、そう言いたかったけれど、話すのもなんだかだるかった。脳に血が巡っていない。


「来た意味がないけれど、仮眠室に行くわ。日差しが陰ったら帰る。もう、こんな日に、無理に出勤したりしない。これでいい?」

「そうして下さい」


階段を上がって、仮眠室に向かった。シーツを汚すかも、と思ったけれどもう耐えられない。腰が重い、膝はがくがくする。どれだけ鍛えたって体の中はどうしようもない、という事実が本当に苛立たしい。もはや忌々しい。呪わしい。ぶつけたり切ったりの痛みと比べて、生理のキリキリするような痛みはなんともいやらしい感じがする。子供を作る気なんてないのに、女であることに何の意味があるんだろう。
無為な思考を断ち切るようにシーツに包まる。横向きはズレそうで嫌だけれど、どうしてもこの、はっきり形がわかるくらい痛みを主張する子宮を包んで宥めたい。鎮痛剤はどんどん効かなくなるのに、副作用の眠気だけは忠実だ。薄い膜を隔てるように、五感が遠くなって、ふっと意識を失った。



「……ちょっと、空けなきゃいけないんですよ。非番って……あれだけ休んでおいて?」


階下からの途切れ途切れの声が、少し意識を浮上させた。


「施錠はしますけど、起きたときに独りきりって心細いでしょう……いや独り暮らしですけど、そういうことじゃなくて」


来客かと思ったが、会話の内容を聞くに電話らしい。置いて行ってくれていいわよ、そう叫ぼうとしたけれど、階下に届く大声どころか普通の声さえ出なかった。体が弱っているのは確かだ。多分、心も。置いていかれたくない。本当は。何言ってるんだろう。


「誰って、本当に人の話聞いてくれませんね……俺と貴方じゃなければ中山さんに決まってるじゃないですか……」


眠い。早く意識を飛ばして痛みから逃げろと、体が求める。佐伯君の声が、頭の中で意味がとれなくなる。自分の名前を出されているのに、それがすなわちどういう意味なのかわからない。何と言ったのだろう、誰に言っているのだろう、ああ、それはわかっている、


「いきなり来る気になりましたね」


ここに従業員は3人しかいない、私でも佐伯君でもないなら、


「……ですね」


彼しか。

もう眠気が限界だった。重い目蓋を閉じると、ゆらゆらと生まれる暗闇のなかに、朝焼けのような、薄い琥珀のような、やわらかな金色が揺らめく気がした。







薄く開いた目を、ブラインド越しの縞々の光が刺す。灰がかった橙のそれさえ寝起きの目には眩しくて、反射的にぎゅっと閉じた。薄緑の残像が揺れる。橙? 夕暮れ? 何時間経った?
身を跳ね起きさせかけて、腰の鈍痛に喉の奥で微かな呻きが漏れる。忘れていた。私の動きに驚いたように、ベッドの傍らでも何か動いた。眠りに落ちる寸前、目蓋の裏に見た、やわらかな金。

夢かもしれない。寝て起きたとき誰か傍にいてくれたら――そしてそれが彼だったら――そんなことを思うがゆえの。夢うつつのままで、手を伸ばした。なだらかに丸い後頭部と、指の股を柔らかに流れる金髪の感触が確かにあった。


「夢じゃないよ」


パサ、と本を閉じる静かな音がする。私に髪を掴まれたまま、彼がこちらを向く。夕闇が満ちる部屋では、表情はよく見えない。


「おはよう」


こんなところにいちゃダメじゃない。今来客があったらどうするの。

おはよう、を返すより先に頭に浮かんだのがそんな小言で悲しくなった。言わなかったけど彼には聴こえている。診ていてくれてありがとう、と言うのが先だろうに、どうしてこうなのだろう。用があるなら大声で呼ぶよ、いつになく優しい声で言われるから泣きたくなった。
彼がゆるく首を振り、指先から髪の感触が去る。名残惜しくゆるく握ったままの指に、冷たいものを握らされる。紙パックのジュース。プルーンとFeの字が躍るそれをぼうっと眺めていると、手に力が入らないと思ったのか、もう1度手に取り直してストローを差して渡してくれた。


「血が薄い貧血とは違うから、意味がないんだけど。気休め」


背中支えた方がいい? 遠慮がちに尋ねられて我に返った。上体を起こして飲む。甘さに耳の下が痛んだけど、薬で荒れてしまった胃にもじわりと染み入る。栄養が体にゆきわたる感じがする。


「薬のんだ?」

「のんだわ。そんなに効かないの」

「合ってないんじゃない……何か他のを買ってこようか」

「いい。今は」


人の髪を引っ掴むなんて、と頭のどこかで思っているのに、手が伸びる。絹糸のような金髪をまた撫でた。互いの息遣いさえ聴こえそうな部屋に、くしゃ、と柔らかい音が響く。戸惑った顔をさせているのがわかるのに、柔らかな髪から手を離せない。頭が働いていない。浮かぶ言葉を、脳内で検閲しないで口走ってしまう。


「今はここにいて」


彼がちょっと驚いたようにこっちを見るのがわかった。自分が何を言ってるんだかよくわからなかった。ここで見ていてくれたからって痛みがどうにかなるわけでなし、下に行って自分の仕事をしてくれたらいい。普段ならそう言っていたし、今だってそう思ってはいるのに、もう、何かわい子ぶってるんだか、気持ち悪い。ジュースを傍らに置き、ばふっとまたベッドに倒れこんだ。目を閉じた。きつく眉が寄っているのがわかった。


「女の子って大変だね」


冷たい柔らかい指がそっと眉間に触れるのを感じた。皺を伸ばすように眉間に指先が触れる。頬を撫でるように手の甲が触れる。つめたい。冷たいのに、触れられたところから、じんわりと熱をもってゆく。血の気がなく、死んだようになっていた細胞が息づく。


「手冷たくない?」

「冷たい。でも、もうちょっと、」


チークが手に付くわ、そう言おうとしたのに、その手に擦り寄るように頬を寄せてしまう。面食らったような気配を感じて恥ずかしくなる。


「……本当にいつもと違うね、今日」

「もう、ダメなの、変なの今日は。こんなか弱い女の子みたいなこと言いたくないのに、不本意だわ、もう……明日になったら忘れて」


無茶を言う、と苦笑混じりに彼が呟いた。だからもう何を言っているんだかわからないのだ。手で目を覆った。言いたくないことばかり言って、彼にありがとうひとつ言ってない。強がるくせに労わられて喜んじゃって、弱音は吐くのに素直じゃない、扱いづらい痛い女だ。一番なりたくないものに、一番なりたくない人の前でなっている。


「僕はさ」


また皺を作っているのであろう眉間に触れながら、彼が呟く。独り言のように。


「君の顔を見ても、体調が悪いことになんて気づけないんだろうな」


目の上に置いていた手に、そっと細い指が絡む。いつもどおり冷たい、湿っても乾いてもいない指だ。薄く目を開けた。気づいたらもう、橙はとうに去った夜の闇で、電灯も点けない部屋ではやはり彼の表情は見えない。薄闇の中で、白い長い指が動くのは、花が開くのを見ているようだった。


「別にいいじゃない。佐伯君には気づかれるんだから同じだし、不覚だわ」

「……うん。そうなんだろうけど。ね」


ふ、と溜め息のように零す息が、組んだ指に落ちた。笑っているようで、どこか寂しげな。


「まぁ、誰にでももどかしいことはある、という話だよ」


もうちょっと寝たら。支部長が帰ってきたら車で送ってくれる。
早口に言い切り、組んだ指と反対の手で、そっと前髪を何度か撫ぜる。くすぐったくて笑いが漏れた。触れるか触れないかの、ささやかな力で撫でられると、自分が壊れやすいものになったみたいな気持ちになる。こんなことを喜ぶなんて、とまたとっさに腹立たしくなり、でももう面倒くさくなった。もう、いい。来月から生理の時は休むようにするし、もうこんな姿を見せるのは最初で最後だ、こんな弱い姿を見せるのは、見せていいのは。


「僕にはいつだって君は、」


何か呟いたように聞こえたのは、今度こそ都合のいい夢だと思う。
クサいことを言う男たち。

甘えたり甘えさせたりが下手な人たちの三者三様にブルーな水曜日。みたいな。タイトルでした。文法がひどいのは仕様です。
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