小説 | ナノ






六年生の先輩方が学園を去る日、僕はひたすら泣いていた。できることなら自制したかったけれどそれもできず、ただただ、ひいひいとしゃくりあげているだけだった。



体育委員の三人の先輩はもう七松先輩と最後の挨拶を交わした。後は僕だけ。四人が僕の言葉を待っているという状態で。なのに口を開いてもおかしな呼吸が邪魔をして別れの言葉を言えないのだ。





「泣くなよ、金吾」





上からでは無くとても近くから聞こえてきたその声。涙を拭う手の甲をずらせば、目の前に七松先輩の顔があった。その顔は少しの困惑を混じらせて笑っている。頭に乗せられた手に力強く撫でられた。その手に安心して、同時にそれがじきに離れていくことに気付いてしまって、また目の奥がじわりと熱くなるのが分かった。早く別れの言葉を言わないといけないのに。情けなくて下を向く。歪んだ視界の端に見えた手の甲はひどく濡れていた。





「どうしたら泣きやんでくれるんだ?」





その問いに対する答えを、悲しさでぐちゃぐちゃになっている幼い頭では冷静に考えることなどできず、思考を介さず心で思ったままの言葉をはいた。おかしな呼吸とともに。





「またっ、会いにきてくれるって約束、してください!」





七松先輩の黒目が一瞬揺れた気がした。その後ろにいた滝夜叉丸先輩の目は確かに見開かれていた。





「…いつ?」





「僕がっ、卒業する、日に、」





溢れてきそうになる涙をこらえようと唇を強く噛む。湿気る視界の中心に、いつもの豪快な笑顔を捉えた。





「分かった、約束する。だからもう泣きやめ!」





頭を強く撫でて、鮮やかに先輩は笑っている。了承の返事が嬉しくて、僕もしゃくりあげながら笑い返した。それに満足したらしい先輩は立ち上がり、そのまま開いた門の向こうへと消えていった。











あの日から一年、また一年と、密度の濃い月日が遅からず早からずに流れていった。周りも成長して、それに負けず僕も身体的にも精神的にも成長していった。それとともに学年が一つずつ上がっていき、そして体育委員会の先輩方も一人ずつここを去っていった。先輩方が学園を去る季節になると、僕が七松先輩に言ったあの言葉をいつも思い出した。あれは幼い一年生だったからこそ言えたものだ。あんなおこがましいこと、上級生が言えるはずがない。思い出していささか恥ずかしい思いに駆られると同時に、





(…先輩は本当にきてくれるのかな)





そう期待してしまう自分がいて、頭を振った。くるはずがない。あれは僕を泣きやませるための、その場しのぎの返事だったんだ。ああでも言わなければ僕はなおさら泣いただろう。そう自分に言い聞かせた。



そんな七松先輩との約束を、春の迫った時期だけではなく常日頃から頭の片隅で考えているようになったのは、あの時の先輩と同じ学年になって、卒業という文字がちらつき始めた頃からだ。ぼやけてきた先輩の笑顔とともにあの言葉が浮かんで、期待する。それを必死に否定する。その繰り返しだった。そんな無駄な行為に嫌気が差して、あの約束を忘れてしまおうとひたすら剣を振ったこともあった。けれど、心中では期待が徐々に膨らんでしまっているのがうっすらと分かっていた。





そうしてついに僕自身がこの学園を去る日になった。五年前のこの日は海のような青空が広がっていた記憶があるが、残念なことに僕たちの代は淀んだ雲の下だった。



は組の皆やお世話になった先生方、体育委員会の後輩たちとも別れの言葉を交わした。昔の僕のように、一年生の後輩が泣きべそをかいてくれていたのがどこか嬉しかった。二年生以上は引き締まった表情を作り、こちらを見ていた。その表情に苦笑する。





(我慢してるなぁ)





僕も二年生になってからは泣きたい気持ちを必死に抑えて、堂々と先輩を見送ったものだ。泣くのは一年生の役目で、それ以上の学年は静かにこれまでの礼を述べるのみだ。





「きんごー、」





「ん、なに?」





「何か探してるの?ずっときょろきょろしてるみたいだけど」





門を出る手前で喜三太にそう言われて、今度はそんな自分に苦笑を零した。不思議そうな表情でこちらを見る喜三太の前で僕は門をくぐった。敷地の外へ。体を屈め、門の向こうにいる喜三太を見た。





「いいんだ、もう諦めたから」





口をぽかんと開けている喜三太に、僕は笑って手を振った。そして歩き出した。学園内とは違う、外の匂いが鼻を掠った。







やはり、七松先輩はこなかった。覚悟していた現実なのに、意識が遠のく感覚。足はそれを無視してひたすら歩を進めていく。





(きっと、先輩は最初からこないつもりだったんだろう)





五年前を思い出す。僕の言ったことに先輩はおそらく「それは無理だ」と考えたと思う。五年という先の約束など、これから忍になる者が守れるかどうかなんて分からない。生きていないことだって十分にあり得る。だから先の約束などしない。それでも先輩が分かったと言ってくれたのは、自分のために泣き続ける一年生への、あの豪快な先輩なりの優しさだったんだと思う。





目の奥がじわりと熱くなった。歩を止めると、頬に冷たいものが当たった。周囲の葉が音を立てる。粒の大きな雨が、緩慢な動作で落ち始めていた。





「…ああ、もう、情けない」





あれからもう五年が経ったというのに、泣いてしまいそうだ。顔を俯けて地面を見つめる。





「泣くなよ、金吾」





脳内で、当時のままの七松先輩が笑って言った。それはぼやけ始めていた。輪郭が、先輩を形作る線が、少しずつ分からなくなっていく。それがどうしようもなく悲しくて。だから僕は今の先輩に会って、記憶を新しく塗り替えたかった。ずっと会いたかった。





でも、僕はもうあの時の泣き虫な一年生ではない。だから精一杯の強がりを、脳内の消えかけた先輩に向かって言ってやった。





「これは涙じゃない、雨粒ですよ」






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