小説 | ナノ







学年の数が一つ増えただけで下級生から上級生になった。学年の枠は最初から六つと決まっていて僕達が四年と言う枠に入ってしまったという事はつまり、僕達より三つ上の学年の先輩方は六つの枠からはみ出してしまったという事だ。はみ出してしまった先輩方はもうこの学園に居座る理由がない。せめて尤もらしいお別れを望んだけれどそれさえ叶わぬまま先輩方は己の道へ、散り散りにこの学園を去っていった。皆、見送りさえ許されなかった。故に先輩がここを去る後ろ姿はただ想像する他なく、異様に手入れの行き届いた直線の黒髪が桜の下を流れる様をさも目の当たりにしたかのように瞼の裏に浮かべた。そこには少しの未練もなく先輩はここを、僕を、過去にした。
きっとそうだった。
思えば先輩とは些細な繋がりであった。他の級友達より関わりがあったのは単純に同じ委員会に所属していたからだ。きっと綾部先輩の方が余程僕より信頼されていただろうし、笹山達の方が余程僕より可愛がられていたように思う。僕はいつもその狭間にいた。どこか寂しく思う反面その距離感に安心していて、それ以上突き放されたくはなかったけどそれ以上近づくのも怖かった。
それでも一度、とても近しい距離で先輩の顔を仰いだ事がある。委員会終わりの夕方だった。授業で失敗した僕はとても落ち込んでいて、それを目敏く察した先輩から声をかけてくれたのだ。
ぽつりぽつり、とても断片的に話をした。それでも先輩は僕の言葉をきちんと拾ってくれて、励まされるような事もなかったが決して否定されるような事もなかった。
いつも完璧主義な人だった。
努力をしてる姿は想像しづらくきっと生まれつきなんだろうと思ってた。先輩自身それを自覚していただろう。「お前はもっと自信を持っていいぞ藤内」と言って口角を上げた先輩の顔はとても自信に満ちていた。

「僕はいつか、先輩のようになれるでしょうか」

先輩との距離は僕の歩幅で凡そ一歩分。手を伸ばせば届く距離だ、とても近い。少しだけ触れてみたくなって一瞬手を動かしたけれど想像以上に大きく自分の影も動いたもんだから僕は怯んでしまい、その手を元に戻してしまった。後ろからさす夕日で背中が燃えるように熱かった。
あの瞬間世界は確かに橙色をしていた。先輩も僕も空も地面も同じ色をしていた。

「私のようになりたいと思うなら、私に追い付きたいだなんて考えるな。私を追い越したいと思え」

先輩はそう言うと僕の頭にぽんと手を置いて、踵を返した。夕日に熱された背中から先輩が触れた部分に熱が移動してゆくような感覚がした。
そのまま去っていこうとする背中に、僕は一度先輩の名を呼んだ。先輩は僕の声に反応しこちらを振り向いたけれど、それ以上の言葉が見つからなかった僕は「何でもありません」と言う他なかった。先輩は「そうか」と言い気にも止めていないようにその場を去った。夕焼けに染まる事なく先輩の髪は黒いままやはりさらりと流れていた。
夕日はまるで僕と先輩の差を縮まらすように異様に僕を大きく見せて誤魔化してくれたけど同じだけ先輩の事も大きく見せて、僕はあの言葉に、追いかけて追いかけて遠いいつの日かその背中に追い付く事はできても決して追い抜けはしない事を知ったのだ。

僕の目線より高い位置にあった先輩の肩からすらっと伸びた腕が持ち上がって、僕の頭にぽんと置かれたあの手の感触を何故だかとても立体的に思い出してしまった。そこに重ねるように己の手を置いても勿論何もない、頭巾の感触が自分の皮膚に伝わっただけだ。
思いの外長時間僕は意識を過去に飛ばしていたようで、久方ぶりにのっそりと立ち上がり障子を開けばいつの間にか夕方の刻になっていた。まるであの日のようだ、と思おうとしたがどこか違う。あんな燃えるような夕焼けではない、どこか冷めている。

「立花先輩、」

その名が口から漏れたのは一種の投影だ。僕は今日を必死にあの日に重ねようとしている。それが実に無駄な行為だと言う事は気づいていた。だってそんな事をしなくても僕はあの日を、先輩を、忘れはしないもの。
あの夕焼けは僕の記憶に居座って、ジリジリと一生かけて僕の脳みそを焦がしてゆく。
大きく見えただけの、とても小さな火種だったのに。


伸びた影が長かったこと




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