小説 | ナノ




そう、いまとなって思い返してみれば、七松先輩はいつも小さな怪我をしていた。
それは、擦り傷だったり切り傷だったりと色々種類があった。けれど、それらを放っていてバイ菌が入ると大変なことになるのを伊作先輩が教えないわけない。伊作先輩には言わないんだなって想像するのは簡単だった。もしかしたらこんな傷大丈夫だと思っているのかな?七松先輩ならそう考えそうだなとは思う。でも、破傷風とか怖いですよ、なんて口には出せない。委員会も、学年も当たり前のように違うから。保健委員として注意しなきゃいけないのはわかるけど、私は1年生。6年の先輩には話しかけずらい。だから、あの時は驚いた。

だって、当番の最中に薬棚を整理しようとしたらバタンと思いっきりふすまが開いて。七松先輩が飛び込んできた。

「乱太郎!」
「は、はい!!なんでしょうか!七松先輩!」
「怪我をした!だから治してくれ!」
「……え、あ、はいっ!」

部屋の真ん中に座って、怪我人には似つかわない笑顔で七松先輩が私に言った。私の目前につき出された腕には、うっすらと血が滲んでいて、思わず悲鳴が上がりそうになった。
それを必死で飲みほして、小さく息を吐いた。それから、患部を確認する。目視で私でも治せる程度のものだ、ということが解ってほっとした。常備薬を出して、傷口を消毒して、薬を塗る。
そんな、私の様子をまじまじと七松先輩は眺めていた。消毒したときにはちょっと身じろぎしたけど、それもつかの間で、包帯を巻いている間は七松先輩の視線を一手に受けていた。珍しいことかな、と内心首を捻りながら、包帯はキツすぎず緩まぬを心掛ける。
何とかきれいに包帯が巻けてほっとした。でも、七松先輩はそれをじっと見ている。なんだろう、何か変だったのかななんて内心バクバクしているとパッと七松先輩は顔をあげた。それから、ニッコリと笑った。

「乱太郎は上手だな!決めた、今度からは乱太郎に頼む!」
「ええぇぇ、何をですか!?」

そんなの決まっているだろ?と七松先輩に肩を叩かれた。それは思いの外、痛くなかった。むしろ、優しくて少し驚いた。七松先輩の手はちょっと触れただけなのに、暖かかった。
それから、いつのまにか善法寺伊作先輩からも「小平太の治療頼んだよ、僕がやろうとすると逃げるんだよね。乱太郎なら素直に応じるみたいだし」と言われてしまって、私は七松先輩担当になってしまった。
できないことも多いけど、それでいいのだろうか。ちょっと情けないことに気持ちが潰れそうになったけれど、私が当番の時決まって七松先輩が飛び込んでくるようになるとそんな泣き言言えなくなった。擦り傷に切り傷、小さな傷ばかりたくさんこしらえてきて、そのたびに私は包帯を巻いた。

医務室に座って、くるくると巻き続ければ感心したように、先輩は声をあげる。まるで初めて見たように私の手際を誉めてくれた。

「七松先輩はいつも傷だらけですね」
「委員会で山道を行くからな!」
「少しぐらいは気を付けてください!」
「わかった!乱太郎がそういうならば気をつけよう」

それでも、小さな傷を作って、七松先輩はやって来る。そのたびに、気持ちが膨らんだ。なんで、私なんだろう。くるくる胸のうちで渦巻くそれは、手当てをする度に膨らんでいった。
そしてそれは、七松先輩が鉄球をアタックしようとして手の骨を折ったときに一番膨らんだ。珍しく、先輩は大丈夫だと言い張っていたけれど、思わずその手を掴んでしまったときに大きなしかめっ面を浮かべた。やっぱり、と添え木と共にくるくる白い包帯を巻いていく。七松先輩はなにも言わないでいた。

「七松先輩は、何故、私に治療を頼むんですか?」
「……どうしたんだ、急に?」
「伊作先輩や三反田先輩、川西先輩、それに伏木蔵だっているのに、何故毎回私に頼むんですか?」
「迷惑か?」
「……いいえ」
「なら、細かいことは気にするな!」

いつもの通りに流された。私もこれ以上突っ込んで聞けなかった。すくっと立って、出口に手を掛けた先輩は去り際に振り向いた。そして、なんだかいつもとは違う顔で笑った。

「私もお前に期待しているんだ」
「え?」
「じゃあな、いけいけどんどーん!」

ひらひらと手を降って消える七松先輩をぽかんと呆けたように見送った。私は、今。期待していると言われた。誰に?七松先輩に。
追いかけて、今の言葉の真意が知りたかったけれど、足に力が入らなかった。明日、聞こう。真っ白になった頭でそれだけを思った。







そして、七松先輩は来なかった。単純に怪我をしなかっただけ、と思った。季節は冬を折り返そうとしていた。そのあとも、七松先輩は私の前に現れることはなかった。他の6年生の先輩も見ることはなくなった。
卒業の準備をしているからなのだと、誰かから聞いた。一抹の寂しさを抱えつつも、私はなにもできず、ただ医務室に居た。訪ねようにも6年長屋は静かで、行ってしまえば卒業という言葉を実感してしまいそうで嫌だった。ただ、何ができるわけもなく、時間を流していた。その日がいつやって来るのか、誰も知らなかったからどうすることもできなかった。逢いたいなぁ、と思考の隅で考えた。

でも、その日は遠くなることなく確実にやって来る。伊作先輩が私たちの保健委員会の話し合いの時に入ってきた。
そして、一言。「卒業したよ、」と。

私たちは泣いた。お別れだということがわかったから、伊作先輩が一人一人かけてくれた言葉が嬉しかったから、色々感情がこぼれる。
そして、にこりと笑った先輩は、私の頭を撫でながら「僕は期待しているよ、乱太郎」と言った。その言葉は、七松先輩にも言われた言葉で、唐突に七松先輩に逢いたくなった。

「あ、あの、伊作先輩!」
「なんだい?」
「七松先輩は……どこにいるかわかりますか……?」
「……小平太はもう出て行っちゃったよ。『言いたいことはもう全て伝えてある』なんて言ってた」

遠い何かを思い出すように、呟かれた。何故だか、掴み損ねたのだとわかった。手を伸ばせば、あの先輩が私の何に期待しているのか聞くことができたのかな、なんて考えた。全部過ぎてしまったことだけど。

喧騒も過ぎて、夜。一人医務室に佇んでいてふと思った。
七松先輩はこれから小さな怪我をしても来ないんだ、なんて当たり前のことを改めて実感した。そして、涙が伝った。
胸のなかに渦巻いていた気持ちは消えている。でも、それが私にとって幸いなのか、判らなかった。



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