小説 | ナノ
それは今よりも前のはなし。確か今から数えて二年ほど前だったように思う。
その頃の私は今の私から見れば笑えるほどに幼稚で小さくて、世界を見ようとしなかった。そのくせ今と変わらず自己主張は強く周りから疎まれていた。
いまでこそその視線や対応に心を痛ませることはなくなったが、当時の私には幾分厳しいものだった。
世間一般から言えば私の実力は優等生と言えるレベルであった。また容姿もいい方だと。それは自負していたしそのことに対して鼻にかけるのは当たり前だと思っていた。
『容姿端麗成績優秀な私にかかればこのぐらい……』自分の思った通りのことを口に出した。素直なのが一番だと母上に教えられていたからだ。うそつきはいけない、と。
とはいっても忍者を目指すのだから無理な話だったが。
だけど、私が素直に思ったことを口にすればするほど、周りとの距離は遠くなっていった。
話で引き寄せられないなら実技で、と一生懸命に頑張ればまた口で自慢をする。それでも周りが離れていくならまた頑張る。そんな悪循環、そんなことは気づいていた。このままじゃ取り返しのつかないことになる、と。
そんな日が何年も続いた。ある日のこと課外授業ということで私たちは外で授業を行っていて、学園へと帰ったのは夕食の時間も過ぎた夜のことだった。本当であれば昼ごろには帰れたのだが、色々と不備が重なったせいでこの時間になったのだ。
こんな時間であれば食堂に行ってもおばちゃんに迷惑がかかるな…。そう思った私は夕食を諦めて風呂へ入ろうと着る物を部屋へ取りに行くことにした。長屋の廊下が僅かにギシギシと音を立てる、そのところどころに釘の打たれた跡があり用具委員会の苦労が目に見えて苦笑した。多くあるその跡を一つ二つと目で追っていると中でもひときわ真新しい木が板の間を繕う様にして繋がれているのが見えた。
ああ、確かこれは一昨日七松先輩が『バレー大会をしよう!』といきなり体育委員会の活動を変えられたときに打ったボールが直撃したところだったはずだ。物音を聞きつけた用具委員長の食満先輩にはたいそう愚痴愚痴と叱られたが、どうやら彼は嫌そうな表情をしながらもちゃんと直してくれたらしい。
いつも目つきは鋭いが後輩の面倒見がよいと言われる先輩のことだ、本当にありがたい。また何かお礼をしなくてはな…。
その壁を右手で撫でながら私は笑みをこぼした。
そのときふと、何処ともなく話声が聞こえた。あまり気にならないような声であったし私自身そういうことには興味はなかった。話に聞き耳を立てるような女染みたことを好まないからだ。自室へ戻ろうと足を動かそうとした時、ある一言に私は立ち止った。
『四年い組に居た、確か―――』
平滝夜叉丸だっけ?
ああ居たな、そんな奴。
たしかあの自意識過剰な奴だろ。
……なんだ、私のはなしをしていたのか。ならばそんなにこそこそと隠れて話すんじゃなくて、大っぴらに話してくれればいいのに。悪口だって、気にしない、と思うから。
そこまで私の心が丈夫かと問われればそうではないのだけど。私は話の続きが気になって立ち止ってしまった。まるで盗み聞きをするかのように戸に耳を当て体制を低くした。
『アイツってさ〜確かに本人が言う様に容姿は整ってるよな』
『そうか〜?俺あんまり話した事ねえしなあ』
『でもさ、話してみると最悪。本当に性格ブス!』
『ぶっ、マジで?お前が言うとか相当だな』
『まじまじ、てかあんなに最低な奴がいると思わなかったし!』
げらげらと笑う声がする。どうやら話していたのは五年の先輩らしい。それも私の知らない人ばかり…とはいえど知っている五年生の先輩は五人しかおられないのだが。
ふと私の悪口を言っているのは私と話したことのない他人だったのかと、僅かに腹立たしく思えた。しかしそれと同時に、言いようのない悲しさに満たされた。
言われるのはしょうがない、気にしないでおけ滝夜叉丸、お前は平家を背負う人間だぞ?ここで負けるな。
…そう自分に言い聞かせるには少し限界を感じた。それでも誰も助けてくれないのだから、こうでもしないと耐えられなかった。
頑張れ、頑張れ、もっと鍛錬するんだ。そうすればいつか誰かが認めてくれる。いつか、誰かが…いつか?
“容姿端麗成績優秀の私が、この、わたしが――――”
この私が、この私が……。
いったい誰に褒められた?いったい何時認められた?
『まるで牡丹みたいだよなー。』
『牡丹?なんでまた』
『ほら、よく言うじゃん。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花って、容姿だけとればそうだけど中身は最悪。牡丹って咲いてるのを見るのは綺麗だけど、刈り取ったら価値がないからな』
『あー遠くで見るのが一番って感じだしな〜』
部屋の中で続く話し声にふと手の力が強くなって戸を力強く握ってしまっていた。そのことにハッとして気がつき、手を離そうとした時僅かにギシっと音を立ててしまった。
その途端部屋の中に居た先輩方が、誰だ!と声を張り上げてこっちに近づいてこられるのがわかった。咄嗟のことであたふたとする私は何処に隠れれば…!と動けずにいた、がいきなり腕を強く後方に引っ張られ、戸が開いた時には誰も廊下にはいないようになっていた。
『あれ、気のせいか』
『猫でも居たんじゃねえのか?』
『…だな。』
戸が再度閉められた音を私は遠くで聞いた。ホッとしていると私を覆いかぶさるようにして隠してくれていた人が、私の体を強く抱きしめた。
そのことに、もう大丈夫ですから離してくださいと声をかけようとしていた私の言葉は、相手の言葉によって遮られてしまった。
「あの先輩、もう大じょ―――」
「滝夜叉丸、私はすごく今怒っている。…なんでか分かるか?」
はて、と首をかしげた。
月明かりしかないこの状態では相手の顔を見るなんてことはできるはずないため怒っているかどうかは確認できない、それに先輩―――七松先輩の声はそれほど怒りを含んだものではなかったし。むしろなにも感じ取ることができないほどである。
「私はな…体育委員会委員長として、他人に滝夜叉丸の悪口を、何も知らに奴がお前の悪口を言ったことに腹を立てているんだ。」
日ごろから委員会を家族の集まりとして可愛がっている先輩らしいと、思えたがそれでもこんなに抱きしめられるのはどうかと思った。
「しかし、それは」
「それにあいつらが言っていたことは合ってない!」
「え?」
いきなり大声を上げられた先輩に、これじゃ隠れている意味がないと慌ててたしなめようとするが先輩は止まらない。
「滝ちゃんは確かに自意識過剰だし、」
「…先輩、分かりましたから」
半ば投げやりに私が七松先輩の頭をなでなでした。
「性格がいいとは言えないし、」
「……先輩」
もはや悪口ではないか。私は泣きたい気持ちになりながら必死に先輩を止めようと落ち着かせようと頭をなで続ける。
「容姿だけしか良いところはないけど、」
「…先輩っ、もういいですから!」
「委員会の時の滝夜叉丸はいつだって一生懸命だ!自分の外見なんか実力なんか気にせず、いつも、本気で、頑張ってる!!」
そんなことも知らない奴が私の滝夜叉丸のことを語る資格なんて、ない!!
「……。」
「なあ、滝夜叉丸」
言いたいことを言い終わってすっきりとした顔をされた七松先輩に対して私は呆れたような顔をしていた。そんな最中先輩に話しかけられた。
「もし、滝夜叉丸が牡丹のように折れてしまったら、その時は――――私のもとへおいで。」
きっと私は馬鹿だから、花の価値なんてわからない。でもだからこそ私は見捨てずに居るだろう。
牡丹が折れても、なにも変わるわけじゃない。どうせは一つのたとえ話なのだから。
そう言ってやればよかったのに、私は何も言えなかった。話しておられた先輩の声が、あまりにも真剣だったからかもしれない。
「…先輩、先輩はそんな意味のない花をもらってどうする気ですか?先輩は花などに興味はないはずなのに…」
私がそう聞いたときふと雲に隠れていた月が顔を出して私たちを照らした。そのときふと先輩が私を抱きしめるのを止めていきなり立ち上がられた。そしてこちらを見、いつものように太陽の如く笑われてから言われた。
「私をそこから見上げてみろ、お前がこの私の高さになったとき、そのときに大切な物の価値は外見ではないときっと気付けるだろう。」
大切な物の価値。
それはもしかしたら作った人の思いの分だけ高くなるかもしれない。
また、使う人の気持ちにもよるかもしれない。
はたまた周りの評価によるものかもしれない。
でも、それは私にとってはどれも違う
誰かが認めてくれるから価値が高い、んじゃなくて
そこにたどり着くまでの思いが沢山あったからだ。
そう教えてくれたのは、七松先輩だった。
「“また、私はあなたの背に達するほどに成長いたしました。ですからまた遊びに来てください。体育委員会のみんなが喜びますので。では、またお会いしましょう。六年い組、平滝夜叉丸より。”…よし、これでいい」
「ん〜何してるの滝ちゃん」
「ああ喜八郎か。」
「何…七松先輩にまた手紙書いてる。なんでまた」
「さあな。―――もしかしたら今でも卒業されたあとを追えないのが悔しいのかもしれないな。」
「…大丈夫だよ、滝ちゃんはきっと追いつけるから。」
喜八郎に励まされるなんて初めてで、何とも言えない感じがした。
そんな春の日のこと。
明日は大きな桜が満開に咲くそうだ。