それは、秘密 | ナノ


 51


珍しいことに、赤井さんからメールが一件届いていた。


曰く、何を企んでいる?と。


普段は電話をしてくることがほとんどなので、メールのみで用件を伝えてきたり、質問をしてくることは珍しいなと思った。けれどこれで、少なくとも赤井さんは哀ちゃんの身辺に盗聴器を付けていることが分かった。


「まったく、デリカシーのない男ねえ」


そう呟いて小さく笑うと、ちらりと向けられた視線。その視線を受けて、今の状況を思い出す。


「……ああ、ごめんなさいね」


今日この日に連絡をしてきたということは、何かを察しているのか、いないのか。それは分からないけれど、一歩遅かったわね。


「さあ、話を始めましょうか―――哀ちゃん」
「……ええ」


緊張した面持ちの哀ちゃんに、緊張するなとは言えないけれど、少しはリラックスをしてくれたらいいのだけれどと思う。あらかじめ、哀ちゃんが来たら部屋へ届けてもらえるように頼んであったコーヒーが、ゆるりと芳醇な香りを漂わせている。緊張しているのか、警戒しているのか、それに口をつけようとしない哀ちゃんの様子に苦笑する。


「クスリでも入っていないか、心配かしら。だったら、私のものと取り換えるけれど?」
「いいえ、その必要はないわ」


私の問いに、首を横に振る哀ちゃん。飲む気がもともとないのかもしれない。コーヒーが美味しい店であるのだけれど、警戒して口を付けることができないという気持ちも分からなくはない。

しょうがないか、と交換を断られたコーヒーに口を付ける。うん、美味しい。


「どこから話した方が良いのか、ちょっと悩むのだけれど……簡単に話をするから、質問があればその都度言ってもらえるかしら。答えられないこともあると思うから、それだけはあらかじめ断っておくわね」


そう断りはしたが、実際答えることができない質問の方が多くなってしまうだろうと思う。けれど、少しでも答えてあげられることは答えてあげたいと思う。


「とりあえず、そうねえ……哀ちゃん―――いえ、志保さんと呼んでもいいかしら?」


警戒心をあらわにした哀ちゃん―――志保さんは、鋭い視線をこちらに向けながらも頷きを返してくれた。

組織で呼ばれていたシェリーではなく、本名で呼ばれることに疑問を抱いているのだろうことが、容易に想像される。個人的にはどちらで呼んでも構わないのだけれど、今日志保さんの話す内容のことを思うと、やはり本名の志保さんと呼んでおきたいと思う。


「志保さんがどこまで掴んでいるのか分からないから、伝えたい情報を簡単に伝えさせてもらうわね」


そう前置きして。


「ミステリートレインで接触があった、バーボン。彼はNOCで、日本の公安警察官よ。これはコナンくん―――いえ、工藤くんから聞いているかしら」
「彼が、工藤新一だということを知っているの?!」


あら、やっぱり降谷さんのことは工藤くんから聞いていたみたい。それよりも、私にコナンくんの正体が工藤くんであることを知られていることに驚いているようだ。


「私がコナンくんの正体に気付いていることは、ボウヤも知っているわ。私のことを探ろうとしてきたから―――ちょっとした仕返しよ」


ふふ、と小さく笑うと、志保さんは私の言葉を聞いて身を堅くした。ああ、少し悪い顔をしていたかもしれない。けれど、悪いのはボウヤなのだから、仕方がないと思ってくれるとありがたいのだけれど。


「それに、貴女のお姉さんを騙して組織に入り、最終的にキールに始末された赤井秀一。彼は生きているわ」
「そんな、どうして……?!」


その質問に答えることはできない。まだ、沖矢昴として身を隠す赤井さんの不利になるだろうことはし辛い。

ストーカーのようなことをしながらも志保さんの身辺を守ってくれているようだし、ここで正体を明かすことはしないでおこうと思う。まあ、いつか知ることにはなるだろうと思うけれど。


「ショックかもしれないけれど、事実よ。そして、志保さんのことを影から見守っているみたいね。貴女のお姉さん―――明美さんと、約束したみたいなの」


ごめんなさいね、それ以上は私の口からは話せないわ。そう断ると、動揺を隠せない表情のまま口を噤んだ志保さん。

影から見守っている、は少し余計な情報だったかもしれない。それほどよく知りもしない男から陰で見守られていたって、正直気持ち悪いとしか思えないだろう。それに、志保さんにとって赤井さんは姉を窮地に追いやった人間だという認識であると思う。だから、そんな人間に守られなくたって、と思ってもしょうがないだろうしね。


「ふふ、そんなことは私にとってどうでもいいことなのだけれど。今日、一番話したかったことはね―――」


そう、降谷さんのことも、赤井さんのことも、ついでに言うならばボウヤのことも。この三人のことは知っておいてくれた方が都合がいいかもしれないから伝えただけのことであって、本題ではない。

志保さんに、渡さなければいけないものがあるから。知ってもらいたいことがあるから。

カサリ、と乾いた音を立てて私の鞄から引き抜かれた真っ白の封筒に、志保さんの視線が移った。


「―――宮野明美さんからよ」
「――――――うそ、」


信じられない、と言いたげな表情で私の手の中にある封筒を見つめる志保さん。もう既に亡くなっていると思っている人から手紙が届いたら、驚くだろうとは思う。けれど、それ以上に驚くべきことは、これは遺書なんかではないということだ。

恐る恐る、その封筒に手を伸ばす志保さんに、明美さんからの手紙を手渡した。志保さんの手が、疑いと希望の感情によって震えていた。


「……お姉ちゃんの字、」


封筒に書かれた、志保へ、の文字を震える指でなぞる。


「ある程度の内容は明美さんから聞いているから知っているけれど、読んだわけではないので詳しい内容は知らないのよね」


肩を竦めてそう言うと、志保さんが封筒から視線をこちらへと寄越して。


「……ここで読んでもいいのかしら?」
「ええ、どうぞ」


志保さんの言葉にそう返すと、志保さんは震える手でゆっくりと封筒を開いた。中の手紙を破らないようにするためだろう、慎重に封を開ける志保さんの様子を見ていると、こちらまで緊張しているような感覚を覚える。

ゆっくりと、そして丁寧に開かれた手紙は、たったの一枚。ちらりと垣間見えた感じだと、その一枚は端から端までびっしりと文字が書かれているようだったけれども。

ここに書けることが少なかったからかしらね、と内心苦笑した。それに明美さんは慎重だから、念のため自身のことについて詳しくは書かなかったのだろう。それこそ、本当に私に言った内容くらいしか自分のことは書いていないのではないかと思う。きっとその文章のほとんどは、志保さんのことを気遣う内容なのだろうなと思った。

大切な姉によって書かれた文字を、丁寧に読み込む志保さんの表情を眺めた。ひどく真剣な表情なのに、時折少し困ったように微笑む志保さんはきっと、志保さんのことばかり心配している明美さんの優しさを想ってのそれなのだろうと思う。


真剣な表情で明美からの手紙に目を通す志保さんの表情が、驚きに変わった。きっと、最後の一文に書かれていたのだろう一言が、志保さんの表情を変えたのだろうと思う。


「どういう、ことなの?」


手紙から顔を上げないまま、志保さんは呟くように言った。独り言だろうかとも思ったが、すぐに顔を上げた志保さんの瞳が涙で潤んでいた。

零れ落ちないその涙は、期待を孕んでいて。


「どういうこと、とは?」


白々しく私がそう答えると、志保さんはまどろっこしそうに表情を歪ませた。ああ、意地悪してごめんなさいね。


「ふざけないで!書かれていること、知っているのでしょう?!お姉ちゃんは―――死んでなんて、いないの?」


キッ、と睨むように私を見つめる志保さんに、ああやっぱり志保さんと明美さんは姉妹なのだなと、どうでもいいことを思った。外見的にはそれほど似ていると思ったことはなかったけれど、情熱的な部分を持っているのは志保さんも明美さんも同じなのだなと思う。

鋭くこちらを睨みつける志保さんの瞳に湛えられた透明な涙が、今にも零れんとばかりに溢れていた。

素敵な人だ、と思った。志保さんも、明美さんも。


「―――明美さんは、生きているわ」


志保さんの瞳を見つめ返して、ゆっくりと真実を伝えた。驚きに見開かれる志保さんの瞳を、とても美しいと思った。

そして。

湛えられていた涙が、志保さんの瞳から一筋、零れ落ちた。






(貴女は独りじゃない)
(だからどうか、一人で泣かないで)



2020/8/15


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