仄暗い闇の中に赤や青の火花が散り、二人の男の荒い息遣いが聞こえる。
一人は赤い具足を身に纏った真田幸村。
そしてもう一人は青い陣羽織に身を包んだ伊達政宗。
両者とも互いに譲らず、激しい剣劇を繰り返していること二刻ほど。
瀬戸際の攻防に終焉の兆しが見えてきた。
政宗は幸村の繰り出す凄まじい突きを刀で受け流す。
ーはずだった。
僅かに力の差が出たのか、手元にある最後の景秀が乾いた音をたてて政宗の手から弾き飛ばされる。
「勝負・・・ありましたな。政宗殿。」
突きの構えのまま、目の前の政宗を見据える。
兜で影になり、表情を伺う事はできない。
「貴殿の御首級頂戴いたす。」
槍を下ろし、政宗に歩みを進める。
すると弦月がゆらゆらと揺れ・・・いや、政宗自身が揺れている。
やがて地面に膝を着き、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
辺りに水飛沫が飛ぶ。
「ま、政宗殿っ?!」
突然の出来事に幸村は槍を放り投げ、急いで政宗に駆け寄る。
どこかに致命傷を負っているのだろうか。そのような手応えは無かったはずだ。
俯せに倒れている政宗をなんとか抱き起こし、簡単ではあるが出血している箇所はないかと調べる。
それらしい所は無い。
しかし、顔は死人のように蒼白だった。唇も血色を失っている。
「これは・・・・・」
もしや、と思い、首元にそっと手をあてた。
案の定、脈は弱くなっている。
どうやら外傷ではなく、体の内部がなんらかの異常をきたしているようだった。
強い雨に打たれ、政宗の体温が徐々に奪われていく。
「ここではまずいな・・・。」
どこか雨を凌げられる場所はないかと辺りを見回す。
しかし、この豪雨の中では視界が悪くよく見えない。
が、目の前にはぼんやりと大きくそびえる山がうっすらと見える。
あそこに入れば洞窟か何かあるかもしれない。
幸村はそう思い、意識のない政宗を担ぐ。
そして自分の二槍と政宗の刀を拾い上げ、幸村は山に向かって歩き出した。
運がいい事に、山に入ってすぐ粗末な小屋を見つけた。
おそらく猟師が使っているのであろう。
立て付けの悪い戸を乱暴に開く。
長らく使用していなかったのか、黴臭い匂いが鼻についた。
おぶった政宗をそっと下ろし、自分はその横にどっと倒れ込む。
大の大人と双方の武器を持って山を登ってきたのだ。
それでなくとも政宗との戦いで大分体力を消耗しており、すでに限界だった。
しばらくその状態で休息を取る。
少し回復したところで政宗の様子を伺った。
苦しげに呼吸を繰り返し、相変わらず顔色が悪い。
兜を外し額に手をあてると驚くほど熱を持っていた。
「暖めねば・・・」
部屋の中央を見ると小さな囲炉裏がある。
幸い薪が残っており、それに手をかざした。
すると見る間に紅蓮が囲炉裏に広がる。
やがてぱちぱちと音を立て湿気た薪に火が点いた。
意識のない政宗を見る。
いつも目を奪われる鮮やかな陣羽織が、今は雨に濡れ、鉄紺に染まっていた。
「このままでは火をつけた意味がないな。」
濡れた衣服に手を掛けるが・・・躊躇う。
邪な気持ちがないと言えば嘘になる。
しかし濡れたままだと病状は悪化するばかりだ。
幸村は意を決して陣羽織に手を掛けた。
外は相変わらずの土砂降りであった。
小屋の天井からはいくつもの滴がぽつぽつと床に落ちる。
その音に集中しながら政宗の身に付けているものを取っていく。
そうでもしないと自分が何かおかしくなりそうだった。
決して寒さからではない震えを押さえながら最後の着物を取り去る。
政宗の肌は目を見張る程白く、美しかった。
思わず目を奪われる。
−ごくり。
生唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。
「い、いかん!何を考えておるのだ!!」
目をぎゅっと瞑り、急いで部屋の壁まで後ずさる。
心臓が張り裂けそうな程どくどくと波打っていた。
政宗の体が少し身じろぎ、か細いうめき声を上げる。
「・・・・・・・ぅ・・・・」
「?!政宗殿っ!」
幸村は急いで政宗の元へ駆け寄った。
苦しげにつぶられていた隻眼がうっすらと開く。
ゆっくり辺りを確認するように動き、やがて傍らに座る幸村に焦点が合う。
「気が付かれましたか?」
できるだけ声を抑え、政宗に声を掛けた。
「・・・・・・俺は・・・・死んだ・・のか・・・?」
「いいえ、心配召されるな。ちゃんとこの世におりますぞ。」
幸村の答えに政宗は数回瞬きをし、視線を天井に戻す。
「・・・・・そうか。俺は・・・アンタに負けたはずだが・・。」
先程の勝負は確かに幸村が勝った。
だが、意識のない政宗に止めを刺す気は起きなかった。
「無礼とは思いましたが・・・、今回は引き分けでござる。」
幸村に視線を戻し、隻眼を細める。
「・・・・・甘ぇな、アンタ。そんなんじゃすぐにおっ死ぬぜ。」
「某を討つのは政宗殿以外おりませぬ。」
強い意志を含ませた声色で幸村は答えた。
その様子に政宗は少し目を見開いた。
そして無言のまま、また視線を逸らす。
「加減は如何か?」
おずおずと聞いてくる幸村に「最悪だ」と返した。
頭は割れるように痛く熱いのに、体のほうは寒くてしょうがない。
体を丸めようにも節々が悲鳴を上げ、とてもそんな事ができる状態ではなかった。
そしてまた意識が遠のいていく。
「・・・・・・寒ぃ・・・・」
目を閉じ、小さく呟いた。
「政宗殿?」
幸村が声を掛けるが、すでに意識を手放した政宗からの返答は無かった。
は、は、と呼吸が荒い。
額に手をあてると、先程よりも更に悪化しているように思えた。
「何か身を包める物はあればいいのだが・・・。」
小屋の中を探してもそんな気の利いたものは置いていない。
かといってこのままにしておくのは非常にまずい。
そう思いながら、以前佐助が言っていた事を不意に思い出した。
−人肌が一番暖かい。−
確かそう言っていた。
「そうか!某が政宗殿を暖めー・・・っ?!」
そこで言葉に詰まった。
人肌。つまり肌と肌を合わせる、という事になる。
(なんと破廉恥な事かっ!!!)
自分がしようとした事を想像してしまい、思わず政宗から離れた。
「・・・・・・・」
膝を抱え、横たわる政宗をじっと見つめる。
やはりこのままでは病状は悪化するばかりだ。
幸い今自分は寒くない。寧ろ熱が籠もっているように思える。
意を決した幸村は、濡れた上着を脱ぎ政宗に近付いた。
雪のように白い肌が眩しい。
「し、失礼・・・いたす。」
聞こえてはないだろうが一応了承を伺い、横になった。
できるだけ政宗を見ないように体の下に手を入れ、ぎこちなく抱き締める。
心臓がどくどくと鳴り、爆発しそうだ。
「・・・ん・・・・」
胸元で政宗の声が聞こえる。
そして自分の体にそっと触れる手の感触。
それにびくんと大きく反応してしまった。
慌てて様子を伺おうと政宗の顔を見ると、幾分表情が和らいでいるように見えた。
つい数刻前まで命のやり取りをしていた相手と今こうしているのは不思議な感じがする。
そんな事をつらつらと考えていると次第に瞼が重くなり始めた。
今、夜を迎えた頃だろうか。
格子の外を見ると一層薄暗くなっている。
「政宗殿・・・早く・・良くなってくだされ・・・。」
幸村は襲い来る睡魔に抗えず、意識を手放した。
何かが唇に触れる感触に、閉じていた瞼をうっすら開ける。
まばゆい光が壁の穴からいくつも差し込み、幸村を照らしていた。
眩しさに目をしかませ、辺りを見回す。
そして自分の腕の中にあるものに止まる。
「Good morning.真田幸村。」
綺麗な灰色の瞳がこちらを向いている。
「あ、まさむねどの・・・・・・って、ええぇぇぇぇぇ!!??」
自分が抱いていたのはあられもない姿の政宗だった。
驚いて大声を上げる幸村に耳を押さえ、あからさまに不機嫌そうな顔をする。
「Shit!今さらぎゃあぎゃあ喚くんじゃねぇ。アンタが俺をひん剥いて抱いたんだろうが。」
そう言われ昨夜の事を思い出す。
政宗を暖めるとはいえ、自分はなんという事をしていたのか・・・。
とてつもない後悔と羞恥が同時に押し寄せてくる。
「ももも申し訳ござらん!!今すぐ・・・・?!」
「wait!wait!ちょっと待て!!」
慌てて離れようとする幸村を政宗は腰をがっしり掴み、それを阻止しようとしていた。
「政宗殿っ?!」
「・・・・」
離れようとしない政宗の意図が分からず困惑する。。
無言で見つめてくる政宗に次第に体温が上がってくるのを感じた。
その状態に耐えきれなくなり、幸村は口を開く。
「ど、どうなされたので・・・?」
「・・・・・・Thanks・・・・.」
「え・・・?」
「ぶっ倒れた俺をここまで連れてきてくれたんだろう?おまけに介抱まで・・・。だから・・・感謝してるんだよ・・。」
少し目元を染めながら、政宗はそう呟いた。
「政宗殿・・・。」
「しかし・・・アンタ本当に甘いな。俺を討ち取る絶好のchanceだったのによぉ。」
「それは万全の政宗殿でなければ意味がありませぬ。」
そう言った幸村の瞳の奥底には、静かに燃える焔を政宗は見たような気がした。
「hum・・・言うじゃねぇか。その言葉・・・後悔すんなよ。」
「無論。承知しております。」
幸村の返事に政宗は微笑した。
「して、もうお加減はよろしいので?」
「ああ。万全とまではいかねぇが大分いい。」
「それは安心いたしました。」
「アンタの身を挺した看病のお陰だな。」
不意打ちの発言に幸村の顔がまた赤く染まるのを面白そうに眺めた。
「さて、と。そろそろ服を着ようぜ。喉も渇いたし。」
「っ・・・そ、そうでござるな。」
そっと二人は離れる。
少し名残惜しいと感じていたが、口には出さなかった。
すっかり乾いた着物を着ながら、政宗は思い出したように言う。
「そういやぁ・・・アンタ、意外と唇が柔らけぇんだな。」
「??」
幸村は政宗の言った事がいまいち分からず、きょとんとした顔を向けた。
「なんだよ。俺のkiss・・・口付けで目ぇ覚ましたんじゃねぇのか。」
脳が政宗の言葉を理解するのに時間が掛かり、しばし二人の間に沈黙が広がる。
やがてやっと事の内容が分かったのか、真っ赤な顔をして幸村は叫んだ。
「ざざざざ戯れ言を申されるなぁっ!!某に・・・く・・く・・・ううぅ!!!」
喚き立てる幸村のお陰で小屋の温度が一、二度上がったのではないかと思う。
この狼狽えようでは相当な初心だと政宗の中で確信した。
ここからstep upするのは中々骨が折れそうだ。
「覚えてねぇならいいか。」
引き戸の側に立て掛けていた刀を一振り腰の鞘にしまう。
「じゃあな、真田幸村。」
「も、もう行かれるので?!」
すっかり身支度を整えた政宗は引き戸を開け、少し柔らかな表情で幸村を見ていた。
「ああ、早く帰らねぇと皆が心配してるからな。あ、それと・・・」
出口から出ていた足を一旦引き戻し、幸村の側に寄った。
幸村の耳の近くまで顔を近付け、こう囁く。
「一月後にまたここで戦ろうぜ。その時に勝負が着かなかったら今回の貸りを返す。」
「え・・・?」
間近で両者の視線がぶつかり合う。
「アンタの知らない事を色々・・・な。」
そう呟いた政宗の顔はどんな美女よりも妖艶に見えた。
呆気に取られている幸村から離れ、小屋の外に出る。
外は清々しいほどに晴れ渡っていた。
「忘れるなよ。今度はもっと楽しいdanceを踊ろうぜ。」
「こ、心得申した!」
幸村の返事にニヤリと笑うと、青い陣羽織をはためかせながら政宗は奥州に向けて帰って行った。
一人残った幸村は己の唇にそっと触れてみる。
眠りから覚醒する前、確かに何らかの感触があったのを覚えていた。
よもやそれが政宗の唇とは思っていなかったが、先程の言動からどうもそうらしい。
耳元で囁かれた後のあの顔を思い出す。
幸村の五感すべてが奪われる程に魅力的だった。
唇をきゅっと噛みしめる。
「独眼竜・・・・不適なり・・・・」
眩しい光が差し込む小屋の中で、一人そう呟いた。