嵐
今更ながら、なんだかえらいことになってきたぞ。と思う。
一度、CIDのテクノロジー班に解析を依頼するとのことで、私のプライベート携帯はあのままアイダン警部補の手に預けられた。少し中を見ていけばどうだ、という有難いのかなんなのか測り兼ねるお心遣いにより、今に至る。リシさんは、アイダン警部補の提案を「それはいい」と手を打って喜びながら、警察署内のめぼしいところを嬉々として案内してくれたのだった。
そうこうしているうちにあっという間に昼時を迎え、私たちは少し早めのランチにきている。
だが……
まあリラックスして、とリシさんに案内されたのは、先の警察HQの敷地内にある警官専用と思しき食堂だった。こんなところでリラックスできる一般人がどこにいるというのだ? 彼の正気を一瞬疑ってしまうが、まあ、彼にとってみれば本当にただの親切心なのだろう。それが分かってしまうので、私はじろじろと制服姿の屈強な警官たちから浴びせられる視線にも黙って耐えた。
「なににしますか? 意外とどれも美味しいですよ」
「えと、じゃあ、ホッケンミーを……」
「了解。では、ここに座って待っていてください」
ああいやだ、心細い……。ふらりとキッチンの方へ向かっていくリシさんの背中を目で追いつつ、自分の背中に突き刺さる何本もの視線に気づかないふりをする。確かに私の姿は異様に見えるだろう。急な身内のテリトリーにずかずか踏み込んできた、明らかに外部の人間だ。一般企業であってもそんな存在がいれば訝しんで見られるだろうという想像は難くないというのに、ましてやここは警察署。何かにつけてルールだ罰金だと禁則事項が多いこの国で、なにか粗相でもして目をつけられてしまっては今後の生活に関わるというものだ。私は、なるべく気配を殺しつつ、ただただリシさんの帰りを待った。
「あれ、君は……」
「!!」
目立たないように気づかれないようにと気配を潜めていたというのに、そんな努力の甲斐もむなしく、私は何者かに背後からポン! と肩をたたかれた。力強い手だ。とても分厚く、手の平の硬さをブラウスの布越しにも感じた。
ひっ、と声にならない悲鳴を上げ、恐る恐る振り返ると、そこには真っ白な歯を惜しげもなく見せてニッコリとほほ笑む男性警官の姿。肌が黒く、きれいな並びの歯列や大きな目の白目の部分がくっきりと浮かぶような、印象的な顔。
あれ……、私、この人をどこかで……。
「やっぱりだ! この前のマンション強盗の時の! 覚えてない?」
「え…………あ!」
マンション強盗、と言われて思いつくのは、たった一つしかない。その時の記憶を、丹念にさかのぼってみると、確かに私は彼のことを知っていた。彼は、最初の通報で駆けつけてくれた、リシさんの同僚の人だ。あのとき、不安と恐怖で気が動転する私に「リシさんがいれば安心ですよ」とこんな笑顔を向けてくれた彼に、間違いなかった。
「あの時の! ああ、あの時は、どうもありがとうございました」
「元気そうで安心しましたよ」
豪胆に笑う彼が、自分のランチのトレーを携えたままどかりと私の隣の席に着いた。え、ここで食べるの……? と思わないでもなかったのだけれど、一人でぽつねんと座っているよりは幾分か居心地が良い。私は名前もなにも知らない、ただ顔を一度合わせたことのあるだけの彼と、なぜだか同じテーブルを囲むことになった。
「結局、何も盗られていなかったらしいですね? よかったよかった。あれ、じゃあなんでこんなところに? それより、ここは部外者は利用できないはずなんだけど……」
「えっと…………」
大盛りのチキンライスをバクバクと口に運びながらも、その端々で放たれるマシンガントークがとどまることを知らない。いくつも質問を重ねられた私は、なにからどのように答えていけばいいのか全くまとまらず、まるで言葉を忘れてしまったかのようにあうあうと言いよどむばかりだった。そんな私の様子を見て彼はまた、おいおい大丈夫かと大層楽しそうに笑う。
「レスリー、彼女困ってるじゃないか……」
「おお! リシ! 珍しい、こんなところで会うなんて!」
「それはお互い様だろう」
まるで竜巻のような彼のおしゃべりに巻き込まれながら踏ん張っていたところに、折よくリシさんが二人分のトレーを携えて席へと戻ってきてくれた。先ほどまでの心細さが一瞬にして吹き飛んでいるあたり、もうだいぶ慣らされたような感覚がして少しくすぐったく思う。
リシさんが、レスリーと呼んだ男性は、立ち上がると優に190センチほどもあろうかという長身だった。制服からぬっと突き出た腕や背中のシルエットからも、程よく筋肉がついていることが分かる。すらりとした痩身のリシさんと並ぶと、どうにも大きく見えた。なるほど、リシさんの幼く見える理由はその体格にもあるのか? と新たな発見をしつつ、しばし彼らの会話の行方に耳を傾けた。ずいぶんと仲がよさそうな、けれどもリシさんが少しいなしているような、そんな雰囲気の会話だ。まるで黒い大型犬とその飼い主のよう。そんな風に思って二人を眺めてみると、レスリーさんの尻からふさふさのしっぽが生えているように見えてくるのが可笑しかった。
「ああ、紹介が遅れてすみません。こいつは、僕と同じNPCオフィスに勤めているレスリー。僕の昔からの友人でもあります」
「そんなそっけない紹介なんてあんまりだなー! 俺たち親友だろ!」
「仲がいいんですね、ふたりは」
私のその答えには、二人正反対のリアクションをとった。そうなんだそうなんだと大げさに喜んで見せるレスリーさんと、心なしかうんざりとして見えるリシさん。そうか、リシさんはこんな表情もするんだなと、第三者の出現によりまた新たな発見をする。
「なんだか騒がしくてすみません。それよりお昼、お待たせしました。どうぞ」
「あ、お金……」
「いいんですよ、ここは外に比べてうんと安いですし。僕のおごりです」
「あ、はい。……いただきます」
エビ特有の香ばしい出汁の香りが、鼻腔をくすぐる。汁気の多い焼きそばのような見た目が最初はどうにも好きになれなかったメニューだが、食べ慣れた今ではにおいをかいだだけでも舌がその味を思い出してしまうほど、好きなローカルフードのうちの一つだ。
いただきます、と、小さく呟き手を合わせると、レスリーさんが横からじっと私のことを見つめているのが分かった。
「それは日本式のお祈り?」
「そうですね……そんなに意識して言うわけではないんですけど、食事の前には言いますね。『命を頂きます』という意味だったと思います」
「へえ、それは素敵だ。僕たちと同じですね」
いつの間にか、あんなにてんこ盛りによそわれていたはずのチキンライスはほとんどなくなっていて、その脅威の食べるスピードに一瞬驚いてしまった。ただ、私の返事を、ふんふんと興味深そうに頷いて聞いてくれる彼のことは、なんだか少しかわいらしいと思う。
「レスリー」
「イエッサー?」
「彼女のことは、君には追々きちんと話す。今度、オフィスで」
「……! イエッサー」
急に静かなトーンで、リシさんがレスリーさんに向かって言うのを、私は黙って聞いた。彼女のこと、というのは、私のことだろうか。いったい何の話を? と気になってしまうところだが、私はあえて聞こえないふりをしながら、熱々のホッケンミーをすすった。
「……イエッサーなんて、本当にあなたの部下なんですね」
「まあ彼の場合は、半分ふざけていますけどね」
あえてずらした会話で、お茶を濁す。日本語での会話は分からないようで、レスリーさんがまん丸い目を無邪気に細めながら、私たち二人を交互に見ていた。
それからほんの五分ほど、レスリーさんはリシさんにあれこれいろいろなことを話したのち、来た時と同じようにどたばたと騒がしく食堂を後にした。嵐が去ったようだ。と、思っていたのは私だけではないらしく、リシさんも、彼が出ていったばかりの食堂のドアの方を見つめながら「ふう」と小さくため息を漏らしていた。
「元気な方ですね」
「それだけが取り柄の幼馴染ですよ」
「幼馴染ですか、いいですね。私にはそんな関係の友人はいませんよ。ほんとに仲がよさそうで……」
「まあ、子供のころからずっと、僕の後ろをついて回っている弟のような存在でしたから」
「え、年下?」
「そうですよ、二つも下です」
「へえ…………」
「今、またなにか考えましたか?」
「いえ、別に」
じろ、と薄目を開けたリシさんの鋭い視線が私を射抜く。ばれている。
気まずさを、はは、と乾いた笑い声とともにそっと払いのけ、私はまたもくもくと食事に向き合った。案の定、存外早食いなのだと今朝分かったばかりの彼のプレートはとっくの昔に空だった。
そうして、署内で待つことさらに一時間。ふたたび先ほどの会議室に呼ばれた私とリシさんは、アイダン警部補から今の進捗状況を聞いた。履歴の番号などから、どうにか逆探知を試みているとのことだったが、先の着信時にロケーションが警察署であったことで、向こう側も守りを固めているらしく、容易には尻尾がつかめない、とのことだ。まあ、細かい話は正直全く分からない。とにかく、もう何日かの間、携帯電話を拝借したいという、調査班からの強い申し出があったため今日は携帯を返せそうにない、というのが此度の話の趣旨である。申し訳ない、と肩を落とすアイダン警部補に、私は五回も六回も「気にしないで」と言わなければならなかった。
「ところで、リシ」
「はい」
「このヤマ、手伝えるかい? 出来ればすぐにでも」
急に、ぴり、と空気が張り詰め、先ほどまで温厚な雰囲気を醸し出していた警部補の目に、ぎらりと真剣みを帯びた光が走る。呼応するように、リシさんの表情も、ぴっと引き締まるのを目の当たりにした私は、漠然と彼らと私の間にある明確な距離を理解してしまった。どこまでいっても、どこまで親しくなろうとも、彼らの職務は守ること、そして私の本懐は彼らに守ってもらうことなのだ。きっと、先ほど食堂で出会った彼だってそうだ。
「あ、えっと……はい、ただ」
少し、リシさんが返答を言いよどみながら、ちらと横目で私のことを見た。足を引っ張っている形になるのだろうと一瞬で理解出来てしまったため、私は急に恥ずかしくなった。なんで、こんなところにいるのだろう。なんで、彼はこんなにも必死に、私のことを助けてくれるのだろう。
「分かってる。彼女を無事送り届けてからでいい」
「はい、なるべく早く戻ります」
アイダン警部補の言葉を聞いたリシさんは、カタンと勢いよく立ち上がって力強い笑顔を見せた。
この人はきっと、この仕事に心底誇りを持っているのだろう。そんな風に思わせる笑顔だった。
本当はあまり邪魔をしたくない気持ちもあったのだけれど、ここで下手に遠慮などしてしまえば、今度は彼の『私を守る』という責任に支障をきたしかねない。そう思った私は、おとなしくリシさんの後を追った。
2019/05/27