お弁当箱
900mlの大きな二段のお弁当箱を購入する私をみて、真帆はすぐにピンときたらしい。あんたねえ。と、何か言いたげに、レジに並んだ私をどこか呆れたような目で見ていた。もぐもぐと、私の作った玉子焼きをおとなしく食べていた彼の顔が忘れられないのだ、仕方ないじゃないか。もう一度見たいと思ってしまうのも、しょうがないじゃないか。
「はい、これ」
「…弁当?」
今日も同じように、校舎前での待ち合わせをして学食へと向かった。合流するやいなや、挨拶もそこそこにさっさと歩き出す牛島についていくのに精いっぱいで、私はなんとなくこの紙袋の中のお弁当の存在を言いだすタイミングを逸してしまっていた。そしてとうとうお披露目をするに至ったのは、混み合う学食の中で、運よく窓際のカウンターを二席取れたとき。
「作ってみたんだけど、食べてくれない?」
牛島は財布を手に持って、まさに食券を買いに立とうとした体勢のまま、目を丸くして私の差し出した青いお弁当の包みを見つめている。そんなに沈黙されると途端に恥ずかしさがこみ上げる。よく考えれば可笑しな話か。まだ付き合っているのかも微妙な関係で、甲斐甲斐しく手作り弁当を持参するなんて、相手が相手ならば引かれてしまってもおかしくない状況だ。
「いいのか?」
「うん。牛島は、もっと色々食べた方がいいと思う」
「何か足りてないと思うか?」
「う、ん。野菜は、少し足りないんじゃないかな」
「そうか」
財布をリュックのポケットにしまいながら、カタンと音を立てて、彼は再び席に着いた。彼は、私の言葉を“足りない栄養があるからもっと色々食べた方がいい”という意味で捉えたらしい。言葉って難しい。私はもっと、人間らしさというか、もう少しフランクな意味合いで言ったつもりだったのだけれど。だが、栄養士志望の学生である私の言葉は、意図しない形であってもきちんと彼の気に留まっているようで、その点は結果オーライだったのかもしれない。牛島は、大きな手で、遠慮がちにお弁当の包みを開く。その動作があまりにも恐々して見えたので、私は彼にばれないように少し笑った。
「スポーツマン仕様だよ、安心して食べて」
二段弁当を開いて、牛島はまたぼーっとその内容を眺めていた。初めて見る表情だ。こういう、間の抜けたような緩んだ表情もするのだなあ、なんて感慨深くなりつつも、固まる彼にそう声を掛けた。牛島は小さく、「いただきます」と言い、昨日おいしいと褒めてくれた玉子焼きから箸をつけていた。
「…どう?」
「美味い」
「よかった」
それからは二人ともいつもに増して無言になった。というよりも、いつも私の方から一方的に話しかけ、牛島はそれにまっすぐ返事をするという格好のため、私の口数が一段と少ないというのが正しい表現だ。黙々とご飯を口に運んでいる彼の横顔を、気づかれないように何度もちらちらと確認してしまった。
それから牛島は、私がその約半分の大きさのお弁当を8割ほど食べ終わったころにはもう、ぺろりとすべてを平らげていた。作り手としては、それだけで何とも幸せな気分になるもので、気づけば牛島に「ありがとう」なんて言葉をかけていた。彼はまた、解せないというように不思議そうな表情を浮かべる。彼にとっては少し、理解しがたい感情の機微だったろうか、確かに自分でも、理路整然と今の気持ちを述べることは少し難しい。重ねて「ごめん、なんでもない」などと言ったから、牛島はいよいよ訳が分からないというような表情を見せたけれど、それもほんの一瞬だった。
「また、吾妻の弁当が食いたい。作ってきてもらえるか」
「も、もちろん」
「毎日でなくていい」
「うん、分かった」
突然のように牛島にそんなことを言われ、私は思わずあっけにとられてしまった。ご馳走様の一言くらいはもらえるだろうか、などと思っていたのが、いい方向でとんだ大誤算。牛島が不器用に、食べ終わった弁当を包み直しているのを眺めながら、彼が自分から「食べたい」などと言ってくれるとは思ってもみなかったので、じわじわと心が満ちていく感覚にくすぐったくなった。
それからというもの、二日に一度くらいのペースで、牛島の分もお弁当を作って持参した。何度かそんな日が続くと、彼は校舎前で合流したところでちらと私の手にお弁当の袋が下げられていないかを確認するようになった。そんな様子が少し可愛くて、本当は毎日作ってもいいのだけれど、わざと数日に一度、というペースを崩さずにいるのは、ささやかな私の意地悪かもしれない。
「そういえばさ」
「なんだ」
「牛島は、夜ごはん何食べてるの?」
ぽかぽかと気持ちのいい陽気の中、外のベンチにお弁当を広げて食べる。ふとそんなことを聞くと、牛島は少し考えてから、チェーンの牛丼屋やら弁当屋やらの名前を挙げた。昼食の栄養バランスなど気にする彼のこと、きっとマシンのように毎日せっせと同じ燃料を最低限補給して眠りにつくのだろうと予想していた私にとって、その解答はとても意外なものだった。
「牛島って、料理しないんだね」
「全く」
「できないの?」
「ああ、したことがない」
「そっか。作りに行ってあげようか」
そして、また目を丸くした牛島と目が合った。すぐにはっとして、なんてことを言っているのかと、自分の発言に対しての恥ずかしさがこみ上げる。ちょっとまって、なし、今のなし。慌てて手をぶんぶんと振って見せる。どんな恋人面だ。真帆はこの人のことを理解しがたい変人のように見ているけれど、実は隠れたファンが多くいることを私は知っていた。かつての春高のスター、バシバシと決まるスパイクとその屈強な体躯に魅せられる女子は多い。大学対抗の試合の時にも、どこからともなく牛島の名前を呼ぶ黄色い声だってある。当の本人はそんなこと露ほども気にしていない様子だけれど、きっと私の何倍も強く牛島のことを想っている女の子は何人もいるに違いない。こんな、軽はずみに彼女面をするなんて、良いはずがない。
「ああ、来てくれ」
「ご、ごめん、今の冗談」
「自分から言いだしておいて。駄目なのか?」
「駄目では、無いんですけど…」
「じゃあ、決まりだな」
珍しい、私が会話でこの人にペースを持っていかれることなど未だかつてあっただろうか。牛島は、最後の一口をもぐもぐとゆっくり噛んでから飲み込んだ。ずぶずぶと深みにはまるような、そんな心もとない気分になりながら、彼の食べ終わったお弁当の包みを受け取った。
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20150929