柊ヒトヒラ
部活かユースか、どちらで生きていくのが正解だったのかというような話は、今更考えてみたところでなにも意味の無いことだ。ジュニアのころからユースという枠の中でサッカーをしていた自分にとって、中学や高校の部活というものは全く想像もつかないものだった。
普段体育の授業を受ける校庭で、色んな部活とひしめき合いながらサッカーをする。面倒が多そうだと思う傍らで、あの独特の“唯一無二”感はすこし、羨ましいと思う瞬間がこんな俺にもあった。
「惜しかったねー最後の。絶対入ったと思ったんだけどねー」
てくてくと、前を歩いていく後ろ姿を眺めながら、後ろをゆっくりとついていく。
ジーンズにTシャツ、スニーカーにじんわり日焼けした肌。髪だけは、この半年ほどでずいぶんと女らしく伸ばしている幼馴染に、ようやく違和感を感じなくなったのは本当にここ最近の話だった。
「うん」
提げているスポーツバッグが重たくて、肩にぎしっと食い込んでいる。よっこいしょと一度それを担ぎ直しながら、ついでのような返事をすると、彼女はなんだか不満そうな顔でくるりと俺を振り返った。なんだよ。声には出さず、目だけでそう告げてみれば、いつものように「だって」といってますます不服そうな色を濃くしている。
「なんで。平馬。悔しくないの?」
なんでお前がムキになっているんだ、という気持ちは、おそらく言っても平行線を辿り続けるに違いないので、あえて口にはしないでおいた。言いたいことは、だいたい分かる。
「最後だったんでしょう、今日の試合が」
「まあ、ユースでは」
「最後ってことはさ、もう次は無いんだよ?」
「うん」
「だから…」
言わんとするところは、分かるのだ。けれど、この幼馴染と俺との間には、決定的な感性の違いがあって、小中高とおよそ十二年間で培われたお互いの常識感覚は、きっと相見えることは無いのだと思う。
「私はさ、もう終わりだったからさ、本当に悔しくてさ」
「うん」
「今あんたが悔しくないわけ無いっておもってるんだよね」
「うん」
ずいぶんと切なそうな顔で、ぽつりぽつりと言う彼女の睫毛が、夕焼けに照らされながらちらちら動く。
半年前、今まで多くの時間を捧げてきたバドミントンで、全国大会目前で最後の夏を終えた彼女が、堪えきれずに泣いていた顔を思い出して心臓がぎゅぎゅっと痛む。部長だから、キャプテンだから、という気負いがあったのかもしれない。試合会場では気丈に振る舞っていたくせに、電車を降りてふたり家路を歩いているところで、「今日は来てくれてありがとう」なんて言葉とともにこぼし始めたのは、見たことも無いほど大粒の涙だった。
そのときに抱いたものは、そういうものか、というかなり漠然としつつも真理に近い感覚だった。そのとき、とても彼女のことを羨ましいと思ったのを、よく覚えている。
期間限定の爆発的なエネルギーに満ち溢れていた彼女は、いつだって魅力的だった。そして、それが無くなったいま、どこか憑き物が落ちたような穏やかで寂しそうな表情を浮かべていることに、心の奥底が忙しなく震えている。まるで、夢から覚めたようだ。きっと彼女に言えば、腹を立てるのだろうと思うので、決して言うつもりはないけれど。
「別に、俺はサッカーやめるわけじゃないし…」
「そうだけどさ」
今日の試合は、ユースとして参加する最後の試合だった。怪我やスランプで、大分出遅れてしまったが、来季からはようやくトップチームでプレーすることに内定している。いよいよ、プロのピッチだ。何人ものライバルに先を越されているという現状において、確かに負けることは耐え難い苦しみであるけれど、正直今はこの一戦の負けよりも、この先に待ついくつもの勝利に意識の矛先は向き始めている。怒るだろうか。こんなに一生懸命に俺の負けを嘆いてくれる人が、自分以外の人間であることがとても不思議であると同時に、狂おしい程に救われているのだというこの気持ちを、どう表現すればいいのだろう。俺の乏しいボキャブラリーでは到底伝えられそうもない。
「なんかさ、呪われてるね、平馬は」
「は?」
「うん…いや、ごめん」
「べつに、怒ってないけど」
思ってもみないことを言われ、思わず間の抜けた声が出てしまった。気まずそうに、言葉を選び直そうと考えている様子の彼女を見ながら、なんだかあと少しでひとつの答えをそこに見出せそうなもどかしい感覚が身体中をぐずぐずと駆け巡っている。
変化に流され年月とともに変わっていく彼女と、振り落とされないようにいつまでも同じ道を走り続ける俺。たしかに、どちらが呪われているかと言えば確実に俺の方だ。
「じゃあさ、ずっと見てて」
「なに?」
「その呪い、解けないように、お前がそばで見てて」
潮の匂いを孕んだ冷たい風が吹いていた。ここからすこし歩けば海に出る。
彼女は、俺の言葉をきいて、何度かゆったりとまばたきを繰り返した。自分でも、消化不良のまま吐き出した言葉だ。こんな訳のわからないものをぶつけていることに一抹の不安はありつつも、それでもいつだって隣を歩いていた彼女にならば、伝わるのではないかという身勝手な希望があった。
まっすぐにひかれた、隣り合った道。どこまでも交ることのない道だ。
「なにそれ、口説いてんの?」
少し考えたあと、彼女は弾けるように笑いながら言った。なんだかとても、安心する笑顔だった。
「んー…違うと思う」
「そう。よかった」
からっといいながら、先程までの不服や寂しさをにじませた表情はすっかり引っ込んでいるようだ。くるっと、彼女が背を向けて再び歩き出す。手を後ろで組みながら、なんだか足取りはとても軽い。
「いいよー。平馬が呪い殺されたら、私が骨拾ってあげる」
「縁起わりいこと言うなよ」
そして俺は、けらけらと満足そうに笑いながら歩いていく彼女のいる光景を見ながら、再び足をすすめていく。脳裏に、彼女の言葉を借りれば、同じく呪われた仲間たちの影がちらつき、なんとなく優越感に浸る。朽ちても果てても、俺のことを忘れない存在がここにいるようなのだ。こんなに心強いことが、ほかにあるものか。
「早く帰ろ」
「うん」
夕焼けはいつの間にかその火を消して、空はオレンジから紫のグラデーションへと移ろっていた。繰り返す時間の、一節が今日も終わろうとしているらしい。
2016.06.14