星に願いを
映画後設定
レミー×元バーニッシュ
人類が最初に火を手にした瞬間の話を聞いたことがある。俺が生まれた土地より海を挟んで遠く遠く、正義感に満ち溢れた奇特な男神が、飢えや寒さに苦しむ人間のために分け与えたものが『火』であったそうだ。闇を照らす灯りとなった火はひとの魂を救済し、冬を越えるためのぬくもりをもたらした火は、ひとの命を育んだ。元来、俺たち『人』と『火』は、そうしてその歩みを共にし始めた。おとぎ話よりも出来すぎた、浅い眠りの中見る都合の良い夢のようだ。
涼しい夜風がふいて、最近少し伸びてしまった前髪が目にかかる。頭上を見上げると、つい最近まではお目に掛かれなかったような見事な星空が広がっていた。何度もこの夜空を見上げ、そのたび己の生きてきた世界の本当さを測り兼ね、すっかり様相を変えた地上の世界を見てはため息をついている。もうこんな日常が、当たり前になって久しい。
――プロメアおよび、バーニッシュたちの消滅。約三十年もの間、世界が背中合わせに過ごしてきた脅威との決別は、あまりにも唐突に、そして劇的に訪れた。
あれから月日は少しだけ流れ、およそふた月が過ぎた。
『我々の地球が、戻ってきた』
年かさの兄たちや、親たち、それ以上の人間たちが口々に言うのを、俺はいまいち腹落ちしない気持ちで聞いていた。
先の騒動のせいで、世界中のありとあらゆる場所の地殻が変動し、いくつもの都市が壊滅的なダメージを受けている。それまで当たり前にあったインフラはことごとくその機能を停止した。今まで意識もせずに日々享受していた新聞やテレビといった情報も、当然ながら当座の生活の中からは消えた。今の、この混迷を極める世界で有力な情報源は、祖父や祖母の世代が愛してやまなかったラジオというなんともレトロな機械だけだった。音だけの情報源。そこからは、世界の人々が懸命に前を向き今日を生きているということ、もうバーニッシュの炎に怯える日常が無いということ、そして、小気味のいいギターのジャズなんかが日がな一日流れていた。生きることに向き合って、人と人が手を取って、ただ明日がより良くなるための努力を重ねる時間は、慣れれば案外悪くはないものだ。我々の地球。三十年前のあの世界同時炎上を皮切りに、時代は一度昔≠ニ今≠ノ別れ、そして今一度、かつて今≠セったものが昔≠ヨと退化する。しかして迎えた新しい今≠フことをこそ、年を重ねた人々たちは『我々の地球』とよぶのだろうか。
「レミー隊長」
ばさりと布のはためく音にハッとして後ろを振り返ると、雨風ですっかり汚れた野営のテントの入り口から、仲間の一人がその姿をのぞかせていた。静かだが良く通る、穏やかなアルト。ちゃんと声を聴かせてくれるようになったのは、思えばまだ二週間ほど前のことだ。
華奢な身に似合わない、だぼついたオレンジの繋ぎ姿。仕事を終え一息ついた今の彼女は、繋ぎの上を腰で巻き、上半身はさらりと薄手の白いTシャツ一枚という、ずいぶんリラックスした格好をしていた。
「そろそろお休みになっては?」
そそ、とテントから滑り出し、足元のがれきを踏まないよう器用にこちらへと歩み寄る様は、まるで夜にひっそり紛れる猫のようにも見えた。
「お前も、今日は疲れたろうに。気にせず寝ててもいいんだぞ」
「大丈夫です」
月が中天に上っている。もう夜もとっぷりと更けた。
こんな風に、夜には身体を休めようと、当たり前に言い合えるようになっただけ、だいぶ世界は平穏を取り戻しているのだなと思う。
そよそよと夜風が頬を撫ぜる感触を目を閉じ甘受していると、隣にたたずむ彼女も静かに俺に倣うのが分かる。みなまで目で見なくても、隣にいるその気配で、たいていのことは分かるようになった。これもひとえに、長いようで短いこの極限の日々を、ともに過ごしたおかげなのだろう。
新しい仲間たちを従えて、隊長だなんだと仰ぎ見られても、こうして心通ずる相手がいるといないでは自分の足元の固さに明確な違いがあった。
「今日もとても、世界は素晴らしいですね」
▲▼▲▼
ひと月前の、未曽有の大災害のころを思い出す。
クレイ・フォーサイトの目論んだ他惑星への離脱は達成されず、ガロとリオの共闘の果てに、人類は三十年にわたるプロメアとの縁を断ち切ることが出来た。燃え尽きた炎の魂たちはあるべき場所へと還り、かつてバーニッシュと呼ばれた人々は正しい人の有りようを手に入れることが出来たのだ。
何もかもがめちゃくちゃに壊れた世界の中で、人類はバーニッシュの火炎に怯える日々を手放した。そしてその安堵は、むしろかつてバーニッシュであった人々にこそ、ひとしおであったに違いない。
イグニス隊長のもとに集い、バーニングレスキューとして人事を尽くしていた俺たちは、各々が新たな隊長となり、一隊を率いる身となった。もう、バーニングレスキューの肩書はおろし、俺たちはただのレスキューになったのだ。そこからは、命あるものを等しく救うに徹する、本当の意味での救助者としての職務が待っていた。
世界中がそうであるように、ここプロメポリスの被害も甚大だった。元バーニングレスキューや、軍部の頭数をもってしても、圧倒的に人手が足りていない。そんな折、自分たちにやらせてくれと立ち上がったのは、かつて呪いの炎を身体に燻らせて、恐れられ迫害され踏みにじられた過去を持つ、ほかでもない元バーニッシュの人々だったのだ。
俺たちイグニス隊は、そんな志を共にする新しい仲間たちと手を取り合い、この町の再建に乗り出した。そして俺のもとにやってきた元バーニッシュの少女、それが彼女だ。
出会った当時、彼女は声を失っていた。外傷ではなく、心の傷による、失語症だったらしい。その不安定な心を映すように、入隊当初の彼女は夜中に一人テントを這い出しては声もなく星の下でよく泣いていた。
守られていたいだろうに、隠れていたいだろうに、それでも戦うことを選んだ強い子だ。年は俺よりずっと下で、まだ少女のあどけなささえ残る顔をしているくせに、助けを求める人を見れば、誰より懸命にレスキューとしての職務を全うした。
「好きなものの話をしよう」「これからやりたいことの話をしよう」
これは全て、声もなく泣いた彼女に投げかけた言葉だった。声を忘れた彼女にたいして、話をしよう、だなんて、残酷かもしれない。ただ、言うたび彼女が嬉しそうに俺の顔を見上げてこくこくと一生懸命頷くから、本当は俺の方こそ、日々に荒みそうになる心をひどく救われていたのだ。
「隊長、世界はとても、素晴らしいですね」
そんな夜を重ねることひと月半ほどがたったある晩、彼女の優しい声を、俺は初めて耳にした。
▲▼▲▼
「今日もとても、世界は素晴らしいですね」
宝石を散りばめたような満天の星空を見上げながら、彼女がたっぷりと息を吸い、それはそれは嬉しそうな顔で言った。その声を聴くと、いつだって俺は初めて聞いた彼女の声を思い出し、微かに目頭が痛むのだった。
「そうだな」
眼鏡の位置をくっと正しつつ、いつも同じ返事を返す俺に、彼女は決まってたいそう嬉しそうな笑顔を向けてくれる。
世界は確かに変わろうとしている。全ての形あるものが傍若無人に壊れ果て、かつての豊かな繁栄を思わせる風景は何もかもが失われてしまったが、彼女のこの満足げな笑顔だけが、これから始まる今≠フ幕開けなのだ。
「なあ」
「はい、隊長」
さあ、次は何の話をしよう。
願わくば、君に満天の幸福が訪れることを。
2019/06/09