百年目のガーネット
※三上亮33歳の誕生日を祝う話です。
ねつ造家族夢でこどもの名前も出てきますのでご注意ください。
時計の針もぼちぼちてっぺんを回ろうかという時刻。眠気もそろそろ限界を迎えようという頃に、ふとテーブルの上でスマホがぶーぶーと鳴った。当然どうしようもないあの人からの連絡かと思い目を細めながら画面を見てみると、そこには予想外の人物からのラインのメッセージが映し出されている。
―三上、もう帰ってるか?
短いメッセージの送り主は、学生時代の友人である渋沢だった。私の同級生でもあり、未だ帰ってきていない旦那の親友でもある。
彼からのメッセージを見て、なるほど今日はサッカー部OBの飲み会だったわけかと合点して、手短にまだ帰っていないことを返信した。数時間前、飲んでくるから遅くなる、とだけ連絡をよこして未だ帰らない亭主のことを思い、私は短く溜息を吐いた。
―ちゃんと終電には間に合うように帰したんだが
真面目な渋沢らしい文面の後に、かわいいクマが汗をかいて困っているようなスタンプが押され、思わず吹き出してしまった。画面の向こう側で、どんな顔をしてこのスタンプを選んだのだろうと思うと可笑しくてたまらない。
―ありがとう、そのうち帰ってくるでしょ、大丈夫だよ
ともあれ、わざわざ彼がこんなラインをくれるほどに、うちの旦那はすっかり出来上がって帰ってくるらしい。先ほどまで起きていた息子も寝かたばかりだというのに、また騒がしくなりそうだ。
―怒らないでやってくれ
亮め。みんなに私のことをどんなふうに話しているというのだろう。渋沢にもとんだ鬼嫁だと思われているのだろうか。そんな苦々しい気分になりながらも、私はOKのスタンプを一つ送った。
それから十五分ほどして、玄関の扉ががちゃりとやけにゆっくり開く音が聞こえてきた。それまで読んでいた雑誌を閉じてリビングの扉を開くと、そこにはなんともばつの悪そうな顔をしている亮の姿。先ほどの渋沢からの連絡のおかげで大方の事情は把握出来ていたから、私の気分は正味そこまで悪くはない。
「た、ただいま…」
が、そんなこと知る由もないであろう亮は、おずおずと私の顔色を窺っている様子だ。なんだかそれがとても可笑しくて、思わず噴き出して笑うと、彼はますます困ったような表情をした。
「遅くなった。悪い」
「おかえり、楽しかった?」
「ん、あー、ああ」
煙草や料理の混ざった居酒屋独特のにおいを吸ったコートを受け取りながら、彼の顔をふと見上げると、まだほんのりと頬には酔いの赤みが差していた。
「渋沢たちと飲んでたんでしょ? なに、亮のお誕生日会?」
「そうだけど…そんなんじゃねえよ」
「照れちゃって」
「照れてねえ」
この人のそばには、昔からいつも良い友人が集まった。彼自身が大げさに喜んだり騒いだりするのが苦手な分、周りの明るい友達がそれを代弁してくれるのだ。けれどこの天邪鬼は、本当は嬉しいくせにわざとうるさがって見せて、そういう素直じゃないところが以前と少しも変わっていなくて、私はそれがたまらなく好きだった。
「ひかるもう寝た?」
「もう十一時過ぎよ。とっくに寝ました」
「顔見てくる」
「だめ、起こすでしょ」
「見るだけ」
「だーめ、そうやってアンタいつも起こしちゃうんだから」
お酒のにおいを振りまきながら、子ども部屋へと歩み寄ろうとする亮の行く手を通せんぼうで阻むと、終いには観念したらしい彼がぐったりと私の肩にもたれ掛かり深く溜息を吐いた。決して悲観的なものではなくて、どこか鼻歌でも歌い出しそうなほどの明るい空気を孕んだ吐息。
ご機嫌ね。そういうと、亮はとても満足そうにふふんと笑う。
先ほどまで目をしょぼしょぼさせながらも好きなアニメの録画を繰り返し見て、何とかパパの帰りを待とうと奮闘していた息子のことを思うと、なんだかすこし抜け駆けしているような気分で気が引けた。内緒で準備していた小さな誕生日ケーキも我慢できずに先に食べてしまったけれど、チョコのプレートと一番大きないちごだけは、彼のために残してくれている。
心優しい子になったなあ、私たちの子なのにね。亮とは、時折冗談めかしてそんな事を話すのだった。
「さっきまで頑張って起きてたのに、ひかるも」
「一歩遅かったか」
「明日の朝一緒にケーキ食べてあげて」
何のケーキかと聞くのでイチゴのショートケーキだと答えると、生クリームが苦手だとかなんとかぶつぶつ文句を言いながらも、どうにもその頬はだらしなく微笑んでいるように見えた。
「ね、少し私にも付き合ってよ」
一緒に飲もうと冷やしていたシャンパンも、ちょっといいスーパーで買った美味しいチーズも、まだ手つかずで冷蔵庫の中だった。
あともう数分もすれば、特別だった今日という日が終わってしまう。長年こうして連れ添って、傍にいることががあまりに当たり前になりすぎている存在。好きもありがとうも、なんだか照れくさくて言えなくなって、もう結構な月日が過ぎた。そんな私と、これからも一緒にいてくれますか?あと数分、一年でたった一日しかない、ほんの少しだけ素直になれるという別な時間。
一緒にリビングに戻りながら、ピカピカのシャンパングラスとボトルを携え食卓に置くと、彼は「もう飲めねえ」と言いながら苦笑いを浮かべた。けれど、言葉と裏腹に律儀に席に着いてくれるところは、いつもながら本当に優しい男だと思う。
いろいろな時間をともにして、ゆっくり二人で年を取って、これからは家族で生きていく。
こんなありふれた奇跡を、私はとても幸せに思う。
「ねえ亮」
「うん?」
「誕生日、おめでとう」
ありがとう。そう言って彼がくしゃっと笑って見せた時、丁度時計が零時を告げた。
2017.01.22 HBD三上(33)
2017.03.29 掲