いつかこの細い首を、圧し折ってしまうのではないかと怯えていた。細い枝に小さな蕾をつけるあの花のように、彼女は笑う。いつまでも、いつまでも。


「私ね、結婚するんだ」
へらへらと笑いながら彼女は言う。知っていた、知っていたから、俺は「ふーん」と可愛くない返事をする。不満げに「寂しくないの?」と尋ねる彼女を盗み見る。寂しい? じゃあ、寂しいって言えばナマエは結婚しないで、ここにいてくれんの。そんな意地悪を心のなかで押し殺して俺は笑う。ナマエも笑う。俺たちは、どうしてこんなにも嘘つきなんだろう。

ナマエに会ったのはもう随分昔のことだったと思う。盗みに入った家で、見たこともない大きな木の下でぼんやりその木が咲かせる薄ピンクの花を見ていた少女こそ、ナマエだった。殺し屋の家でもなんでもなく、ただの、上流階級の娘。触れただけで消し去ってしまいそうで、手を引けば彼女の腕は折れてしまいそうだと思った。笑った顔はいつも何故か泣きそうで俺ははじめて人に見惚れてしまった。
「ねえ、家にあるもの全部あげるから、私と遊んでよ」
いたずらっぽく彼女が笑う。返事をする間もなく人の気配がして逃げたっけ。そのあと偶然小遣い稼ぎでやっていた家庭教師の配属先があの家になって、俺はナマエと話すようになった。
平凡な日々を過ごすお嬢様。お金にも時間にも困っていないけれど、退屈で死にそうだ、と。勉強の合間に巷ではやっている遊びや玩具を見せてやればナマエは目を輝かせていた。ナマエは可愛かったし、年頃の少年少女が同じ部屋で何時間も二人きりだと何となく、そういう雰囲気になることもあった。だけれど、決して俺はナマエに好きだとは言わなかったし、その唇に触れることはなかった。
ナマエだって、そんなこと言おうとしなかっただろ。触れてさえ来なかった、だろう。なのにどうして急に、そんなこと言い出すんだよ。
「シャルは、一度でも私のこと好きだなって思ってくれたことある?」
「……何それ。俺、ナマエのこと好きだよ」
「……そういんじゃなくって」
ナマエが言いたいこと、俺わかるよ。女の子として、私のことどう思ってるのってことでしょ。俺がここで本当のことを言ってしまえばどうなるのかなんてわかりきってる。潤んだ瞳に、少しだけ赤い頬。やったね、俺たち両思いだ。
でも、こんなの誰も望んでいない。
「好きだよ。ナマエのこと。女の子として。キスしたいし抱きしめたい。出来る事なら、一生隣りにいてほしい」
「……シャル」
目を見開いてナマエは俺の顔を見た。今まで見たこともないくらい綺麗なナマエを俺は目に焼き付けながら微笑む。ねえ、どうしてもっと早く言ってくれなかったの。震えた声で涙を零すナマエの肩にそっと触れた。
真っ白なベールの向こう側で俺の好きな人が泣いている。ああ、愛してるよ。大好きだ。

昔から思っていた。触れたら壊れてしまいそうだと。細くて白い首に、何度痕をつける想像をしたことか。そのたびにナマエの首を折ってしまうのではないかと思っていたことも、遂に恐れていたことは起こらなくなってしまった。一度も触れたことのない唇にそっと触れる。好きだよ。溢れ出してしまいそうな気持ちを抑え込んで、顔を近づける。なあ、ナマエ何やってんだよ。お前今から人の奥さんになるんだぞ。拒まなきゃだめだろ。そう思いながらもだんだんと近づいていくナマエの美しい顔をじっと見つめる。もうきっと最後だから、俺は焼き付けなければならない。
「シャル……」
「ナマエ」
ベール越しに触れた唇は知らない感触だった。あつくて、柔らかくて、きっと直接触れていたなら俺は止まらなかっただろう。
化粧が崩れるからそんなに泣いちゃだめだよ、あやすように話してもナマエは聞かない。首を振ってわんわん泣いている。だめだ、だめだよ。そんなに泣いてももう俺はナマエを慰めてあげられない。今からナマエは、別の誰かにその涙を拭ってもらって、そして一生守ってもらうんだ。
「幸せに、なってね」
俺じゃない、別の誰かと。
ああ、愛してるよ! ずっと。
いつか自分がナマエの首を圧し折ってしまうのではないかと怯えていた未来は永劫に閉ざされて、細い首には誰か別の男が優しく触れるのだろう。ああ、それでいい。ナマエ、どうか俺を忘れないで。いつまでも思い出せばいい、そして泣いてしまえばいい。酷い男だろ? 笑ってしまうよな。それじゃあまた何処かで笑っていて。いつまでも。
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