気に入らないのは、その眼だった。

何度「わかった?」と聞いても「うん」とは言わないその女に、今日何度目かわからない拳を振り上げた。何でこいつ、言うこと聞かないんだ? 聞いても聞かなくても、結局この女の行き着くところは同じだけれども。
「もういいよ、死ねば?」

マチは苛々していた。その苛々をどこにもぶつけることが出来ずに、更にその苛立ちを募らせる。そこにあの男がやってきて、彼女が八つ当たりをしないわけがなかった。
「何しに来たんだい」
「別に。ボクだってメンバーさ、食事でも一緒に、って思ってね」
珍しく奇術師の格好をしていないその男はくくく、と気持ちの悪い笑い声を上げ、彼女の肩に手を回そうとした。普段の彼なら彼女に触れようとなんてしない。彼女が殺気立っているのを知っていてわざとやっているのだ。楽しそうに弧を描いた目は彼女をいかに怒らせるかだけに集中しているようだった。
「しつこい。アンタと飯を食う義理はないよ。旅団は飯を一緒に食べるための集団じゃない」
「釣れないなあ。…ところで君が苛々してるのはあの女のせいかな?」
新しい玩具を見付けた子供のように嬉しそうに話す彼の質問は合っている。答えを知っていて尋ねているのだから当たり前だが。旅団がヨークシンでアジトにしている廃墟に囚われている女のことだろう。ヒソカ自身も彼女を見たことがあったし、事情も知っている。答えがわかっているテストはなんてつまらなくて、こうも面白いんだろうか。ヒソカは更にマチとの距離を詰め、「殺しちゃえばいいのに」と囁いた。
「……殺せない」
「殺したら団長が彼女の能力を使えなくなるからかい?」
「…アンタに話す義理はない」
「…あぁ、もしかして団長は彼女の能力すら奪えてないのか」
図星だったがマチは表情一つ変えず「さぁね」と答えた。今知られたところでヒソカがアジトにこのまま残れば状況は遅かれ早かれわかることだったし何も困ることはなかった。が、ここで彼に本当だと悟らせておちょくられるのは彼女のプライドが許さなかった。
決して痛いとも言わず涙も零さず、ただただ殴られ続ける女は何度言っても念能力を眼の前で見せなかった。クロロは見せることによって何かしらの誓約を破ることになるのかもしれない、と考察していたがそれよりも簡単なところに答えはある気がした。
「彼女、相当頑固なんだろうね」
ヒソカが楽しそうにきゅ、と目を細めるとマチは「もう時間がない」と苛立った声で答えた。その答えは、先程尋ねられたことの答えを言っているようなものだったが、もうヒソカはそれを誂うことはしなかった。時間がないのは十分わかっているからだった。こちらだって、彼女の能力は欲しいのだ。このまま手に入らないのであれば、殺すまでだが。
「取り敢えず、リミットは明日までだ」
「それまでに能力を奪えなければ?」
「あの女、死ぬよ」
「そう」
ヒソカは興味が無さそうに笑って言った。まあ、無くてもいい。あれば更に良いと言うだけでこれが無ければ事が為せないというわけではないのだ。しかし眼の前のマチはそれとは違う理由で焦っているようだった。
「…もしかしてだけどさ、キミ」
「なに?」
「その女、殺したくないの?」

マチは先刻ヒソカに言われた言葉を頭の中で反芻させていた。私が、あの女を殺したくない、か。今日私が彼女に能力を発動させることが出来なければ、フェイタンが拷問に掛けるらしい。拷問のせいで能力を発動することが出来なくなってももうそれは「仕方なかった」ことになる。何としてでも、マチはその事態を回避したかった。団長が能力を使うにはあの女は生きていなければならないからだ。だから。
「あんたがウンって一言でも言えば、まだ生きてられるんだ」
「…マチ、ごめん。…ありがとう」
「…見せるつもり無いの? ウチの団長に」
「ないかなあ…拷問は嫌だから、その前に舌を噛み切って死ぬかな」
「そんなことさせられない。……ねぇ、…頼むから、ウンって言って。まだ生きてよう」
「マチ」
「…ナマエ」
「もうあたし、マチの知ってるナマエじゃないよ。この念能力だってクロロを殺すために考えてたの、だから、奪われちゃ意味ないの…ごめんね。ありがとう。…もういいよ」
女の――ナマエの眼差しは真っ直ぐだった。ナマエが旅団に居たときよりも、遥かに強い意志を孕んだ眼。もうこの眼を前に自分は何も出来ないのだ、とマチは悟った。ゆっくりと眼を瞑る。私も、クロロをも、ナマエも。はじまりは同じだったのに、どこで道を違えたのだろうか。そんなのもうわからない。ただただ真っ直ぐな眼がマチを貫いた。
「…やっぱ、気に食わないね、アンタのその眼」
「ふふ…そう? その割に、マチはホッとしてる」
「馬鹿言うんじゃないよ。アイツの拷問で吐いたりしたら、軽蔑するから」
「マチの軽蔑は死より痛いよ。心して地獄に逝ってくる」
「…うん」
息の根を止めるのは自分だ、と言えたら良かったのに。そんな生温いことを考えながらマチは息を吐いた。そしてすぐにフェイタンを呼ぶ。タイム・リミットだ。ここは地獄になり、ナマエはその地獄に逝く。フェイタンだって、ほんの少しくらいは動揺しているはずだ。そんなことをおくびにも出さない彼はきっと遣り遂げるだろうけれど。
「フェイタン、手加減無しで殺れよ。そいつ――ナマエは、俺のこと殺そうとしていたらしいしな」
「わかてるよ。私マチとは違う」
「はぁ? 私が手加減したとでも言いたいわけ?」
「一番ナマエと組んでたのがマチだったってだけさ」
クロロの黒曜石の瞳は何も写さない。本当は悲しんでいるのか、怒っているのか、はたまた何も考えていないのか。これから死にゆく元仲間を見送るために、アジトには自然と人が集まってきていた。
「…ナマエ、アンタ死ぬんだよ」
「わかってる」
あぁ、死にゆくのに、その眼は変わらないんだね。

気に入らないのは、その眼だった。
昔からそうだった。訓練でも盗みの分前でも自分が譲れないと思うところは譲らない。「もういいよ」か「じゃあ勝負だ」、その言葉だけが彼女を動かせるのだ。いつだって私はその眼に反発してきたし、諦めもしてきた。でも今回ばっかりはそうもいかないのだ。
曇りのない、その眼。気に入らなかったんだ。
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