寝る前に甘いものを食べないだとか、食事中に歌を歌ってはならないだとか、そういう大人としてのルールを小さい頃から少しずつ自分の人生に組み込まれていくような感じで、その男は私の人生に少しずつではあるが、確実に、爪痕を残す。「今日も楽しかった」とあまり楽しそうではない表情で男は言うと、す、と手を挙げる。丁度空席のタクシーが彼の目の前に止まり、彼はゆっくりと車に乗り込んだ。
「今日くらい、どうだ」
「良い。ご馳走になったし」
「そうか。じゃあ、またな」
「うん、またね」
バタン、とタクシーの扉が閉まり、暫しの間絡まっていた視線は車が発進するのと同時に解けていく。ふう、と息をついて私はゆっくりとガードレールに腰掛けるとまだうるさい心臓を落ち着かせるために深呼吸をした。

彼は詩人だと自分のことを言っていた。有名ではないけれど、自分のお金で詩集を作ってカフェやバーなどに置かせてもらっている、そんな話を確かされたことを思い出しながら、まだどくんどくんと脈打つ心臓に手をやる。
彼の熱烈なラブコールに負けてデートに行ったのはこれで三回目だ。恐らく今日くらい、と言うのはきっと夜のお誘いでもあったのだろうが、私はどうしても彼に抱かれたいとは思えなかった。
素敵な男だとは思う。年の割に幼く見える笑顔や、初めて見たときはぎょっとした額のタトゥー。大振りなイヤリング。全てが初めての男で、私は心地の良い関係を築けていると思った。そう、友人としては完璧な男だった。彼は趣味も合うし、中々に良いやつだ。私が価値のあると思ったものを同じように評価し、同じように愉しめる、そんな友人だと思っていた彼に、「結婚を前提に」付き合ってほしいと言われたのはいつだったか。
収まる気配のない動悸に少し休もう、と蹲る。気分が悪くて、吐きそうだった。飲みすぎたのかな、と思いながらも彼に貰った腕時計をちらりと見る。まだ十一時だった。息が詰まりそうになりながらも、とある約束のために私は帰路を急ぐ。彼が日付が変わる前に帰っていてほしい、と言っていたのだ。大方長電話でもするつもりなのだろう、そう思いながらも進まない足を無理やり引きずる。
ああ、どうしてだろう。息が苦しくて、死んでしまいそうだ。

クロロはタクシーの中から見える夜景をぼんやり眺めつつ、今頃彼女はどうなっているかを想像していた。彼は、かの有名な幻影旅団の団長である。が、それを隠して彼女とは会っていた。私は人殺しで、盗みを生業としています。なんて言って付いてきてくれる女なんて居ないのはわかっているし、彼女が繊細な仕事の人間が好きだというのも知っていた。俯いたときに見えた長い睫毛の、その奥にある不思議な瞳がほしいと思った、その日から、クロロはただの売れない詩人になったのである。
彼女の瞳に映る自分は本当に美しいと思った。「時を止めてずっと見つめていたい」その言葉に顔を赤くする彼女に好青年の笑顔を貼り付けてクロロは言う。「好きなんだ」
ついさっき、手癖で盗んでしまった時計をあげた夜、彼女から電話が来た。これはチャンスだと言わんばかりの甘い声で受話器を取れば、彼女は時計のお礼がどうたらとかで、また俺と飯が食いたい、と。どうせそのディナーもそこらへんの男のケツのポッケの財布で賄うのだから構わないのだけれど、クロロはうっすらと本当にこの女は俺が欲しいものなのか?と疑問に思い出していた。
クロロが用意したディナーは恐ろしく美しかった。そして、彼女は目を輝かせてそれを口に運ぶ。止めようと思わなかった。その瞳が色を失おうが、彼は、どうでもいいことに気づいてしまった。そうか、そうか俺はこの女は別にいらないのか。そう自覚してからはつまらなくなってしまった時間を潰すために、自身も同じものを味わう。はやく時がすぎればいいのに、と思えば思うほど長くなる一秒間についに痺れを切らして、やっと店を出た。
顔色の悪い彼女に少しだけ興奮しつつ、最後に犯すのもありかもしれないとタクシーに乗り込みながら思う。しかし彼女の瞳に映るのは、ステイタスのために目の前の俺を使う邪な女の魂胆だけだった。呆れつつも俺はしっかり口説くことを忘れない。絶望しろ、絶望してお前は今夜絶命する。ほくそ笑みながら「じゃあ、また」なんて言うと、女は嬉しそうに微笑んで手を降った。
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