《Trick yet Treat》
以前ハロウィンの時期に、ミラーマンがタクシーにお菓子を大量に用意させた事があった。あの時は、ミラーマンにお菓子を渡す前に
タクシーがホテルの子ども達に配ってしまった為。結局ミラーマンの元にお菓子は来なかった。仕方なく、悪戯で良いと告げたミラーマンに。タクシーからまさかの
お菓子くれなきゃ悪戯するぞ、の決まり文句が飛び出して。お互いにじりじりと距離を取り合って。散々時間を無駄にした後
自分達がいかに下らない事をやっているのかと漸く気が付いて。終いには、二人揃って腹を抱えて笑い合った
あの記憶は、恐らく既にタクシーの中にはないのだろう。それでも、自分だけが覚えていればそれで良い。ミラーマンも、そう思っていた
(‥今年も、言うだけ言ってみるか)
数時間前に部屋へとやって来て。先程から、勝手に持参した食事をとっている親友のタクシーを見て、どうせ菓子等持ってはいないだろうが。
去年出来なかった悪戯をしてやる良い機会だ。と、
「タクシー」
「ん?」
「Trick or treat」
ミラーマンの言葉に、案の定困ったような表情を浮かべたタクシーが。
ふわり、とも。へらり、ともとれるように優しく微笑んで
「今はコレしかない」
そう言うと。食べかけの菓子パンをミラーマンへと差し出してきた
「‥‥は‥」
「いやだから、今はコレしかないんだって」
「‥コレって言うのは、どう見ても残り一口しかないソレの事か」
部屋にやって来てから、ひたすら何か食べ続けていると思えば。菓子パンをかじっていたのか。
そしてそれを今正に食べ終わろうとしていた所らしい。
手には、一欠片程にまで小さくなった菓子パンが。
「美味いぞ?」
それを、ミラーマンの口許へと近づけると。むぎゅ、と。押し込むように口腔内へ
「‥むぐっ」
「美味いだろ?」
無理矢理押し込まれたそれを、仕方がないと言った様子で噛み締める。
すると。ほんのりと、パンプキンの味が広がって
随分時期的にピッタリな物を食べているんだな、と。思いながら、何度か噛んで柔らかくなった菓子パンをこくんと飲み込み
「‥タクシー、」
「うん?」
「全然、足りねぇ‥」
「え?‥お、おいミラー、近‥ん‥?!」
ミラーマンが、タクシーのカッターシャツの襟元を掴んで背伸びをし。
そのまま触れ合うのは互いの柔らかい唇同士
「は、」
流石は“足りない”と。言っただけある
まるで菓子パンの味を貪るかの如く。舌が入れられ、積極的なミラーマンの行動に。受け入れるべきか、拒否するべきか
答えを出しかねていたタクシーだけれど
そのまま、ミラーマンの行動を受け入れる事に決めたらしく。タクシーの方も腰を屈めて答えるように、ぬる、と生温かい舌を絡めた
「‥ん、‥ふ」
時々、タクシーとミラーマンの親友と言う名の境界線があやふやになる。
それでも、どちらかがこれ以上相手に歩み寄る訳ではなくて。こんな事をしていても、今の行為が終わってしまえば
結局はまた、親友と言う。それ以上を望まない関係に戻るのだから。どうかしている
互いに貪り、貪られ。静かな鏡の部屋の中。甘ったるい吐息と、ぴちゃり、と。小さな水音が時折り響く
タクシーもミラーマンも。相手を想い、好き合っているにも関わらず、
付き合うにまで至らない。いや、至れない
だが。何時もなら、こんなにも長く求め合ったりしないのに
(‥止めたく、ない)
どうして今回は、まるで“これ以上の事”を望んでいるみたいに。こんなにも離れる事が出来ないのか
息が乱れて、呼吸が浅い。
なのに。それでもまだ
(足りない、)
ぼんやりと、薄い膜が張ったみたいに。思考がはっきりせず、ぐちゃぐちゃに入り乱れる
こんな事をしてはいけない。そう思う理性と、もっと欲しいと思う本能が、グラグラ揺れて、どうにもならない。
いっそこのまま、
なんて。思い始めた丁度その時、鏡の部屋に。思わぬ訪問者が
「先輩、一体何時まで待たせるんです、か‥」
あまりにも帰りが遅いタクシーを、後輩が迎えに来たのだ。
けれど、タイミングが悪い。予期せぬ訪問者が来ても、本能に勝てない
後輩が近づいてきた事に気づいていたタクシーが。被っていた帽子を脱いで、それを口許に持ってくると。後輩から見えないように。帽子を使って壁を作る
が、勿論。第三者から見れば、近すぎる二人の口許を隠した所で何をしているかわかる訳で
一瞬、タクシーがちらりと。視線を後輩へと向ければ。対して気にする様子もなく
只、気怠るそうに一言
「あー‥すいません、邪魔しました」
その言葉と共に、タクシーの後輩は部屋を後にした。
彼が居なくなって直ぐ、ミラーマンの方がビクリと跳ねる
(‥っ、舌が‥痺れ、て‥)
絡まった舌が、ピリピリとする。恐らく実際に麻痺して来ているからなのだろう。
タクシーと長い間“接触”していたせいで、彼の体内電気に感電したらしい。
小さく震えるミラーマンを、
「‥は、」
「‥ふ、‥は、‥はぁ‥」
タクシーが解放してやると。潤んだ瞳で、肩を小さく上下に動かして。必死に酸素を取り入れるミラーマンの姿
「‥ごめん」
「‥謝ん、な」
散々キスをしたくせに、服の袖口で離れたそばからゴシゴシと唇を拭うミラーマンに。嫌われたかなぁ、と
ぼんやりした様子で眺めていたタクシーに。
恥ずかしさからか、目線を合わせる事が出来ずに。少し伏し目がちになりながら
「‥‥悪い気は、しなかった」
そう、小さな声で。言うものだから
「‥ミラー」
「何だ」
「Trick yet Treat」
「‥菓子は良いから悪戯させろだと?は、一体何処で覚えたんだよそんな言葉。この、悪餓鬼め」
くつくつと笑うミラーマンがまた、背伸びをした。
(この返事はキスだけで、きっと十分に事足りるだろうから)