ファーストキスはレモンの味というけれど実際はそんなことはない。
 ふにふにとした柔らかい感触とぬるい温度を感じるだけで至って無味。私のファーストキスは無味。安心院(あじむ)ちゃんは味がないねと言ったら刀理ちゃんは情緒がないねと返されてしまった。
 安心院ちゃんがいなくなった教室はいつにも増してがらんとした雰囲気で、私は何をするわけでもなくだらんと椅子に座ってただただ青から橙へと移り行く空を眺めた。
 あ、そういえば、最近宗像くんに殺されてないなあ。球磨川くんのせいで殺人衝動消えちゃったんだっけ? 宗像くんは、もう私を殺してくれないのかな。





 鋭く伸びた爪が皮膚を抉る感触を忘れられない。球磨川くんを殺してから数日経ったのに今でも右手が赤く染まったままのように感じてしまうのはあれほど望んでいた殺人を今になって忌避しているからだろうか。何度洗っても地肌にこびりついて離れないあのときの血潮の温もりに生理的嫌悪すら覚える始末だ。
――おかしい。だって今まで散々刀理を殺してきたじゃないか――刺殺斬殺撲殺銃殺絞殺圧殺毒殺薬殺扼殺惨殺――色んなやり方で殺してきたじゃないか。なんで今更こんなことになるんだ? 刀理を殺しても殺人衝動が消えなかったのは、殺したら死ぬ人間たちの中で刀理が唯一、殺したら生き返る存在だったから? 誰もいない屋上で一人、色んな可能性を考えるものの答えは出ない。頬を撫でる風が今日はやけに生ぬるく思えた。
 ああ、そういえば、この頃刀理を殺してない。会ってもいない。果たして今の僕は刀理を目の前にしても殺人衝動を覚えることはないのだろうか。確かめてみるのもいいかもしれない。刀理は今どこにいるだろうと考えるより先に、僕の足は自分の教室を目指していた。





 殺人衝動を失う前の僕なら挨拶代わりに刀理の白く細い首にナイフの一つでも突き立てていたかもしれない。もしくはこめかみにコルト・パイソンの銃口を押し付けて間髪入れずに引き金を引いていたかもしれない。今の僕は何も取り出す気にならず、かといってこのまま戻るのもそれはそれで癪だったから、机に突っ伏してすやすやと眠る刀理の隣の席に腰掛けた。
 今まで幾度となく僕に殺されてきた刀理は、これからは誰にそれを懇願するんだろう。ふと、そんなことを思った。天才を作るために鰐塚刀理を殺し続けてきたフラスコ計画も黒神めだかによって凍結されてしまったのだから、彼女を殺す存在はもうどこにもいない。
 殺されたがりを殺す殺したがりも、もういない。
 でも、刀理に殺してほしいと頼まれたら断り切れる自信も今の僕にはない。
――殺すほど、好きなのだから。

「きっと後にも先にもきみだけだよ。僕に殺されたいなんて言ったのは」

 さらさらと刀理の背中に流れる髪を少し手に取る。殺す過程で乱暴に引っ張ったことも何度かあるが、そんな真似は恐らくもう二度とできない。そんなことを思っていたとき、刀理の身体が微かに動いた。刀理が起きる気配に僕は咄嗟に髪から手を離す。

「……あれ、宗像くん……?」
「起こしてごめんね。おはよう、刀理」

 刀理は身体を起こして眠たげに目を擦り、ぱちぱちと数回瞬きした。彼女の葡萄色の瞳に映るのは僕がここにいることに対する驚きと――喜び、だろうか。固まった身体をほぐすように、刀理は指を組んだまま手のひらを天井に向かってぐっと伸ばし、骨が鳴ったのを確認するとだらんと手を下ろした。

「なんか久しぶりだね……。宗像くんは、私を殺しにきてくれたの? それとも……もう、殺せなくなっちゃった?」
「……知ってるんだね。僕の殺人衝動が消えたこと」
「たまたま知ってたけどさ、今の宗像くん、いつもみたいにナイフで刺したり銃で撃ったりしてこないんだもん。知らなかったとしてもすぐわかったと思うよ――ねえ、殺人衝動が消えた今でも宗像くんは私を殺せる? もう殺してくれないの? 愛(ころ)してくれないの?」

 答えて、と刀理が僕に向き直した途端に空気が重くなった気がした。
 ああ、そうか。刀理にとって殺されることは愛されることであり、僕が刀理を愛するためには彼女を殺さなければならないのか。この殺されたがりが求めるものは、なんて惨くて歪な愛のかたちなんだろう。
 いつもはこれでもかと服の下に仕込まれている暗器も、今日に限ってはひとつだけ。
 焦らされるのが嫌いなきみは数ある中でもこれを特に好んでいたと思う。刀理には見えないように、聞こえないように、撃鉄を下ろし引き金に指をかける――どうやら、僕はきみのためならきみを殺し続けられるみたいだ。
 生を失った肢体が崩れ落ちるより先に、赤く染まった弾丸が壁に消えない傷をつけた。



だって今まで散々





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