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 次は 箱庭病院前



 車内前方の料金パネルに表示された行先と金額を確認しながら、宗像はデジャブを感じていた。帰りの交通手段として選んだバスは運良くあまり乗客のいない時間帯だったのか、多少の乗り降りはあったものの宗像と刀理のように長距離を移動する者は稀なようだ。刀理はというと、遠出の疲れが出たのか宗像の隣で眠りこけている。でもそろそろ起こさなくては。

「刀理」

 一度目の呼びかけでかすかに睫毛が震えた。

「刀理起きて」

 二度目の呼びかけでおもむろに目蓋が開いた。

「おはよう。もうすぐ着くよ」

 それから、とろんとした寝惚け眼のまま頷いた。





――どうしたものか。とは、駅構内の壁に掲示された時刻表を前にした宗像の心中である。
 乗る予定だった電車をすんでのところで逃してしまい、途方に暮れかけている。田舎の電車は本数が少ない。一時間に一本あればまだいいが、時刻表によると次の電車は二時間後だ。時間を潰そうにも周辺には民家がぽつんとあるくらいで店なんかは見当たらない。そういう場所を選んだのだから仕方ないとはいえ、あと二時間もどうしろと?

「帰りはバスにしよう」とは、駅構内の壁に掲示された時刻表を前にした刀理の発言である。

 名案でしょう? と宗像を見詰める目は口ほどに物を言う。きっと電車に乗り遅れたことなんてこれっぽっちも気にしていないのだろう。この状況に焦る様子は見られない。

「そうだね。とりあえずバス停に行ってみよう」

 宗像は向日葵畑に向かう道すがら見かけたバス停を思い出していた。学園前に設置されたそれとは違い、傍らに木造の屋根とベンチだけが設けられた簡素なものだった。
 外に出ると先程よりも強い日差しが容赦なく降り注ぎ、暑いねえ、と刀理が零す。持ってきた麦茶は既に空になってしまっていた。この先に自販機はあっただろうか。ひとつくらいならありそうな気もするのだけれど。

「帽子……んー……日傘持ってくればよかった。そしたらふたりで使えたのになあ」

 そこでようやく、電車を逃したことよりもこっちのほうが一大事だとでも言わんばかりに刀理は困ったような顔をする。それでも、表情には笑みが付随していた。この殺されたがりが笑わないなんてことは珍しいのだ。そんなのは殺されなかったときくらいだ。
 余談だが、生理的な涙は別として、宗像は刀理が泣く姿を見たことがない。刀理が球磨川に殺してもらえなかったことは知っていても、泣かされたことは知らずにいる。宗像が思い描く刀理はいつもにこにこしている。それだから球磨川が刀理を泣かせたと知ったら一悶着起こるのは自明であり、実際に一悶着あることをこのときはまだ誰も知らない。



 バス停の時刻表を確認すると十五分ほどで次のバスが来るらしく、ひとまず安心だ。

「飲み物買おうか」少し先に行ったところにある自販機を指差して宗像が言った。

 刀理が頷くのを確認してから、片道三分もかからない距離を歩いて自販機まで辿り着くと、それぞれ適当に飲み物を買った。宗像が麦茶で刀理がメロンソーダ。人工的な真緑色をしたそれは宗像も幼い頃に何度か飲んだ覚えがある。刀理がキャップを開けると炭酸飲料特有の音がした。夏空に抜けていくような、そんな軽い音だった。





「宗像くん、取り忘れてる」

 一番奥の座席に向かおうとしていた宗像の服の裾が不意に引かれ、振り向くと刀理がバスの乗車券を差し出していた。取り忘れていたそれを受け取りながらお礼を言うまでの数瞬、宗像の視線は乗車券よりも刀理の指先に注がれていた。いつも血色のいい爪が今日は薄い青に塗られている。些細な変化が少しだけ気になった。
 窓際に詰めて座った宗像の隣に刀理が腰を落ち着けると、バスがゆっくりと発進し始めた。車内に他の乗客はおらず、運転手のアナウンスもどこか空しく聞こえる。寂寞じゃくまくとした空間だ。
 乗車券を財布にしまった宗像が刀理のほうを向くと、ややあってから「どうしたの?」と視線だけが問いかけた。なんでもないよ、と首を振って応えても変わらない。やがてそれは宗像を通り越して窓の外へと移ろった。その視線を宗像も追うと、遠くに向日葵畑が見えた。背の高い向日葵畑はここからでもその色彩が見て取れた。時折吹く風に揺れながら、向日葵は太陽に向かってまっすぐに伸びている。景色に気を取られた宗像は刀理の囁いた呼びかけに気づけないでいた。それをたいして気に留めず、刀理は宗像の耳に顔を寄せる。
――ねえ、宗像くん。

「また今日みたいにお出かけしてくれる?」

 内緒話をするみたいに密やかな声だ。言い終えて座り直すと宗像の反応を窺うように小首を傾げた。だめかな?
 今日みたいに、ということはただ出かけるだけで済むはずがないんだろうなということをこれまでの経験から察せない宗像ではない。
 また今日みたいにお出かけして――殺して――くれる?
 間違いなくこれが正解だ。もしそうじゃないのなら宗像は浮かれて身仕度をするだろう。刀理との殺人が付随しないお出かけなんてそんなのまるで普通のデートじゃないか。しかし現実は甘くない。殺人はお出かけのおまけではなく本題なのだ。

「……次はどこに行きたいの」

 だからあえて肯定も否定もしない。デートじゃなくてもいいから、一緒に出かける口実が欲しかった。殺すにせよ殺さないにせよ、先に場所だけ決めておこう。
 そうしたら約束するから。
「んー……そう言われると悩むな……宗像くんはどこがいい?」
「刀理の行きたいところ」

 桜並木でも紅葉回廊でも雪景色でも、刀理の行きたいところなら宗像は付き合うつもりだ。
 自分の行きたいところと言われてからしばらく悩んでいた刀理が、ふと、思い当たる場所があったらしく「あ」と声を漏らした。それからひとしきりあーだのうーだの唸ってから、意を決した様子で答えを告げた。なぜそんなに返答に困っていたのかはすぐにわかった。

「……遊園地がいいな。行ったことないの」

 遊園地。
 観覧車やジェットコースターをイメージするよりも先に宗像の脳裏に浮かんだのは人、人、人の人混みだ。想像するだけで殺意が湧きそうになる。無意識に握り締めた手の中でペットボトルが音を立ててひしゃげた。向日葵畑とは比べるまでもなく人で溢れた場所だ。刀理が言いづらそうにしていたのも頷ける。
 けれども、宗像が逡巡してから出した答えは至ってシンプルなものだった。
 遊園地に行ったことがないのは宗像も同じで、行ってみたいと思っていることも事実だ。だからまあ、面倒なあれこれについては後で考えることにした。

「――いいよ、行こう」

 刀理が行きたいなら、どこへだって付き合うよ。



どこへだって付き合うよ





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