蝉がひっきりなしに鳴いている蒸し暑い日だった。
 差し入れでもらったペットボトルの麦茶も早々に一本飲み終えて、病室備え付けの小さい冷蔵庫から新しいのを取り出すかどうか迷っていたけれど、麦茶はあと数本ストックがあるし刀理が来たらまた増えるだろうと思って手をつけることにした。氷を入れたコップで飲んだらもっと美味しいんだろうな。冷蔵庫の中には他に水羊羹や葛饅頭が入っている。これも刀理からの差し入れで、雲仙くんのところはプリンばかりらしい。ちなみにフルーツの盛り合わせは全員がもらっていて、それぞれ食べたいものや苦手なものをトレードするのが少し流行った。メロンなんかは一人では食べきれないから、複数人で消費するのが常だった。この時期はスイカも食べたくなるね、なんて話をした次の日に誰かからそれを聞いた刀理がスイカを持ってきて、ちょっとしたパーティーみたいになったのは四日前のことだ。
 心の傷が完全に癒えたわけではないけれど、それでもこの一週間ちょっとは刀理のお陰で思っていたよりも楽しい入院生活を送れている。
――だから殺す。恩義に報いて殺す。僕が刀理にしてあげられることは人殺しこれくらいだから。人は恋で人を故意に殺せる。好きな子の望みを叶えてあげたいと思うのは誰だってそうだ。恋は盲目という言葉があるけれど、恋をして理性や常識を失うのなら僕は最初から恋をしていることになる。理性も常識も刀理の前では最初からなかったからだ。
 あのときカッターでころしたのが全ての始まりだった。


「知ってるよ、宗像くん。きみが殺したがりだってこと。きみは私を殺していいんだよ。罪悪感なんてこれっぽっちも感じなくていいの。後悔なんてするだけ意味ないから」


 そう言って、血濡れた指で自らの制服に刺殺箇所めじるしのハートを描いた刀理の姿が、今際の際でさえ嬉しそうに笑っていた顔が、今でも忘れられない。あれは僕にとっての革命だった。
 殺されると生き返るなんて神様みたいな荒唐無稽さは、どうしたって殺したがりの免罪符になってしまう。犯した罪を省みる暇を与えるどころか、その罪さえ刀理は覆してしまう。生命倫理を嘲笑うかのように生き返る彼女を見て、殺さずにいられるほうがよっぽど難しいぞ。そう思うのは僕が殺したがりだからなのかもしれない。
 リセットボタンを何度でも押せる人生を得てしまった彼女の異常性が殺されたがりなのも、でき過ぎといえばでき過ぎだけど。
 まあ、そんなことを考えていても仕方がない。僕が考えるべきは、今日の刀理の殺害方法だ。
 先日の反省を踏まえて銃殺はなしだ。昨日の今日で毒殺もなし。縛りがあるのは厄介だし、この病室じゃ窓から突き落とすこともできない。できたとしても静かに殺すことが前提である以上、選べない殺り方だ。加えて毒も選べないとなると、やっぱり刺すか斬るか絞めるか、だ。どれにするかは刀理が来てから決めよう。きっとどれを選んでも喜んでくれると思う。



 刀理の私服がワンピースばかりだと気づいたのは、夏休みに入って刀理が制服で見舞いに来るのをやめてからだ。衣装持ちなのか、毎日違うワンピースを着てくるのだからどうしたって気づく。ワンピースが好きなのかと思って訊いたら、刀理は「楽だから」と答えた。どうやら、上下の組み合わせを考える手間がかからないとか、一枚着るだけで済むとか、そういう利便性で選んでいるらしい。今日は紺地に白い花柄のワンピースを着ている。

「そういえば明日の外出許可って取った?」

 差し入れの袋を机に置きながら刀理が言った。ちらっと見えた二本のペットボトルのうち一本は刀理が自分で飲むために買ったのだろう。麦茶じゃなくて紅茶が入っている。

「……明日はこっそり行こうか」
「……取ってないんだね?」

 取ってないんじゃなくて許可が下りなかったんだとは言わないでおこう。雲仙くんだってよく抜け出しているんだから僕も一日くらいはいいだろう。最速機動で抜け出してしまえば追いつかれずに駅まで行けるはずだ。

「夜までには戻ってくるんだから大丈夫だよ」
「うーん……帰ってきたら一緒に叱られてあげるね」
「別にいいのに」

 刀理用と思しき紅茶は除けて袋ごと冷蔵庫に入れて、そのついでに近くに立てかけていたパイプ椅子を定位置にセットした。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして」

 ワンピースの裾を整えながら座る刀理を横目に、さっき開けた麦茶をひとくち飲んだ。中身は既に半分ほど減っている。窓の外では相変わらず蝉が鳴いていて、聞いているだけで暑さを助長するようだ。これには刀理も暑いねとぼやいた。相槌を打ちながら、せめてエアコンがあればなと思った。扇風機でもいい。でも言ったら持ってきそうだから言わない。そこまで尽くしてほしいわけじゃないんだ。いつもみたいに、ただ話したり殺したりするだけでいい。僕にとってはそれだけで充分だし、刀理にとってもそうだと思う。
 まだ殺害方法は決まらない。どうやって殺そう。
 飲み物を飲んで一息ついたところで、刀理が鞄からこの前見せてくれた時刻表を取り出した。机の上に広げられたそれは何度も見返したのか、だいぶ端がよれている。

「最終確認するね」

 蛍光マーカーで引かれた目印を指でなぞりながら言う。
 何時に駅で待ち合わせてどの電車に乗るかを改めて確認して、時間が時間だから朝ご飯はコンビニで適当に買って道中で済ませようってことになった。
 いよいよ明日か。遠足前夜の小学生の気持ちが今なら少しわかるかもしれない。

「刀理、ちょっと立って」
「? うん」

 基本的に刀理は僕に言われたことを断らない。もし僕が「三回まわってワンって言って」と言えばその通りにするだろうし、「自分の手で首を斬れ」とナイフを差し出せば間違いなく実行する。危ういくらい御しやすくて殺しやすい。それはひとえに僕が刀理を殺すからだ。この殺したがりは、自分を殺してくれる存在につくづく甘い。それに甘えて殺し続けてしまう自分に反吐が出そうだ。殺したいけど殺したくないという僕の矛盾が刀理の前では機能せず、僕はただの人殺しになってしまう。こんなのおかしいってわかってるけど殺意が止まらない。
 殺しても生き返る刀理だから、矛盾を無視して殺してしまうのだろうか。……わからない。
 それでも――せめて刀理が望んでいるうちは、きみだけの殺人鬼でいたい。
 これだけは嘘偽りのない本当だ。

「宗像くん……? わわっ!」

 立った刀理の手を引いて身体をベッドの上に横たえた。咄嗟に受け身を取った刀理の顔の横に手をついて見下ろすと、驚きと期待の入り混じった目に見上げられた。これから殺されるとわかったときの、欲が滲んだ目をしている。さて、どうしたものか。このまま刺してもいいし絞めてもいいし――選択肢は少ないのに、今日はなかなか決められない日だな。

「ねえ、どうやって殺されたい?」

 だから選択を委ねることにした。丸い目が見開かれて、それからすっと細まった。子供が新しいおもちゃを買い与えられたときみたいに顔をほころばせながら、刀理が僕の手を取った。

「これがいいな……

 そうして無邪気と恍惚を顔に浮かべながら、自らの首元に手を導いて上から重ね合わせた。彼女は扼殺をお望みのようだ。座ったままだと殺しづらいからベッドの上で馬乗りになった。
 細い首に指を這わせると期待からか唾を飲み込むのがわかった。
 手の位置を調整して、じわじわと圧迫を強めていくと、徐々に可愛げのない呻き声が漏れ始める。

「あ゛っ、は、ゃく、ぐぅっ……!」
「あんまり急かさないで」

 苦しさにもがきながらも、抵抗らしい抵抗を全くしないのは流石としか言いようがない。

「――大丈夫、ちゃんと殺すよ」

 言い聞かせるように呟いた。



 事切れて動かなくなった刀理のサンダルを脱がし、ベッドに寝かせてから髪と服も整えて生き返るのを待っている間、パイプ椅子に座りながら何気なく机の上の時刻表を手に取った。始発から二番目のところに引かれた蛍光イエローが少し目に痛い。人混みを避けるための行程を胸の内で繰り返し辿った。上手くいくといいのだけれど。
 ……ああ、そろそろ生き返る頃合いかな。
 視線を時刻表からベッドの上へ移すと、図ったようなタイミングで刀理が目を開けた。
 まだ意識がはっきりしないのか、ぼんやりと虚空を見詰めている。

「おはよう」
「……おはよ〜……」
「しばらく横になってていいよ」
「そうする……」
「なんかいつもよりぐったりしてるね」
「んー……あっついからかな……?」
「麦茶飲む?」
「んーん、紅茶飲む。取って〜」

 机のほうに手を伸ばしながら間延びした声で刀理が言う。

「はい」
「ありがと」

 まだ冷えているペットボトルを受け取った刀理は、腹這いになってからキャップを開けた。長いひとくちを飲み下すと、ペットボトルを床頭台に置いて、それから再び横になった。

「ねえ、宗像くん。頑張ればここで溺死も夢じゃないと思わない?」
「飲みながら考えてたの?」
「うん。乾性溺水なら紅茶でも麦茶でもできるよ」
「……まさかそのために?」

 はたと気づく。

「あ、違うよ。普通に差し入れと自分用」

 ……あくまでもただの飲み物として買ったらしい。

「でも乾性溺水それだと時間がかかるよ」
「そうなんだよね〜。そこが難点」

 わざわざここじゃなくても、溺死ならもっと適した場所があるのに。

「明日、どこに行くのか忘れたわけじゃないんだろう?」
「勿論。忘れるわけないよ」

――海辺の向日葵畑。溺死にはお誂え向きだ。

「宗像くん、明日寝坊しないでね」
「ああ、きみこそ気をつけてくれよ。駅でひとり待ちぼうけなんてたまったもんじゃない」
「それは……絶対寝坊できない……」

 自分が寝坊した場合に起こり得る事態を想像したらしい刀理が手で顔を覆った。
 無差別殺人を起こすつもりはないから、そこまで心配しなくてもいいのに大仰だな。

「む、迎えにこようか……?」
「大丈夫だよ」
「ほんとに? 大丈夫?」
「うん。心配しないで」
「……わかった。私も絶対に待ち合わせ遅れないから」

 そう言うと、刀理は横になるのをやめてベッドに座り直した。脱がしておいたサンダルを足でつっかけてそのまま履き直そうとしたものの、ストラップのボタンはどうにもならないようで最終的に手で留めた。
 ……あ、そうか。明日は病衣で行くわけにはいかないな。一応着替えとして用意したのがあるから、その中から適当に選んで着よう。
 そしてこれは僕の予想なんだけれど、刀理は明日もワンピースを着てくる。賭けてもいい。
 まあ、答えがわかりきってるから賭けにもならないか。



危ういくらい御しやすくて





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