黒神くんに頼まれた凶化合宿の相談役という役割は、ぶっちゃけ困ったときに相談ができればいいみたいなところがある(めだかちゃんに言ったら確実に怒られる)ので今日は適当なところで切り上げて、困ったときは電話かメールしてね! 方式を採用した。阿久根くんはなんでもそつなく熟せるタイプみたいだから私がいなくても困らないし、喜界島ちゃんも優秀だから黒神くんと日之影くんに師事していれば問題ない。やっぱり私いなくても大丈夫じゃない?
そういうわけで、めだかちゃんの注意が他の人に向いている隙を狙って地上に出た。吹く風は心地いいのに、お昼時の太陽は容赦ない眩しさで降り注いで体感温度を上げていく。
こんな日は冷たいものが恋しい。アイスもいいし、ソフトクリームもいいなあ。かき氷はそこまで好きじゃないけど夏らしいとは思う。でも最近のかき氷って凄いらしいから、食べたら掌を返しちゃうかもしれない。それ以外だと、そうめんとかひやむぎとかもいいなあ。ざる蕎麦も美味しいよね。お腹が空いてきちゃうな。お昼ご飯は何にしよう。今日はお弁当作って来てないから……また病院のレストランかな。他のとこでもいいんだけど、行くのが決まっているんだから病院でいい。それに確かあそこにはざる蕎麦があったはずだ。
『あれ? 鰐塚さん?』
「あらー……球磨川くん」
病院に行く途中、涼を求めて立ち寄った本屋さんで過負荷と鉢合わせるなんて、運が良いのか悪いのか。まあ良くはないかな。
休日だというのに、球磨川くんは相変わらず以前在籍していた水槽学園の制服を着ている。
うーん、私の中で先日の件が少なからず尾を引いているのもあってなかなかに気まずいぞ。声をかけられてしまったからには応じる他ないけど。
『こんなところで会うなんて奇遇だね』
まるで「奇遇」の例文みたいな会話の切り出しだなあ。
言ったら螺子が飛んできそう。球磨川くんは私を殺さないだろうから言うだけ損。
「そうだね。まさか球磨川くんがいるなんて思ってなかったよ」
昨日も似たようなことを言った気がする。思ってなかったことばかりの毎日だ。
『鰐塚さんも本を買いに来たの?』
そう言った球磨川くんの手には週刊少年ジャンプ今週号。うん、漫画も本に含まれるね。
「ううん、ちょっと寄ってみただけ」
『そうなんだ。会計済ませてくるから、もしまだだったら一緒にご飯食べようよ』
言うだけ言って球磨川くんは答えも聞かずにカウンターへ歩いて行った。
多分、今の私が言うべき言葉は「どの面下げて言ってるの?」だと思う。
いたぶられたのに殺されなかったことをまだちょっと根に持っているけれど、宗像くんが殺してくれたからちょっとで済んでいる。宗像くん、今日も殺してくれるかな。
球磨川くんを待つ義理もないし一緒にご飯を食べる仲でもないから戻ってくる前に本屋さんを後にした。
ああ、もしこれから仲良くなれたらそのときはもう一度誘ってね。
病院に着く頃には額が汗ばんでいた。こんなことなら帽子を被って来ればよかったと思いながらハンカチで汗を拭いた。
正面玄関から少し進んだところにあるエスカレーターで二階に上がって、案内板の通りに進むとすぐにレストランが見えた。入り口のショーケースに並べられている食品サンプルでメニューをチェックすると、ハンバーグ定食やカレーに混ざって配置されたざる蕎麦を発見。券売機で買った食券を店員さんに渡してから二人掛けテーブルの壁側の席に座った。バッグから携帯を取り出してマナーモードに切り替えて、それから思い出してメールを打った。
――レストランでご飯食べてから行くね。
ここ数日は凶化合宿もあってお見舞いの時間がまちまちになっているから、宗像くんには事前にメールで連絡するようになった。些細な報告を送信すると、あまり時間を置かずに「わかった」と一言だけ返ってくる。愛想がないというか簡潔というか……両方かな。見た感じ宗像くんより球磨川くんのほうがよっぽど愛想良いよ。
運ばれてきたざる蕎麦を食べ始めようとしたら携帯のサブディスプレイが光った。そこにはメール受信:黒神真黒と表示されている。内容を確認するまでもなく、凶化合宿についてだろうなあ。さっと目を通すとやっぱりそうだった。文面でも説明できる内容だったから、そのまま返信を選択して求められた答えを打ち込んだ。送信完了画面を確認してから改めて箸を持った。病院のレストランと侮るなかれ、ざる蕎麦は美味しかった。
今更だけど入院メンバーのほとんどが個室だ。宗像くんの場合は殺人衝動への配慮で個室が宛てがわれているのだけれど、高千穂くんや雲仙くんの場合はただ単に個室のほうが同室の相手に配慮しなくていいからという理由で当初の四人部屋から個室に変えてもらったらしい。ちなみにふたりは最初、高千穂くん、雲仙くん、糸島くん、百町くんの四人部屋だった。ふたりが個室に移った後、別室だった鶴御崎くんが糸島くんと百町くんのところに移動した。あの三人はわりと仲良しだからそのまま一緒の病室で療養生活を送っている。
なんで急に病室事情の話をしたかって? 個室のありがたみを感じたからかなあ。
だってほら、ドアを閉めてさえいれば中で何が起こっていても外には見えないでしょう。今みたいに宗像くんが私をペティナイフで刺していても、誰にも見えない。見えないから、この前の高千穂くんは迂闊にドアを開けてびっくりしちゃったんだけど、それはタイミングが悪かったってことで。
そう、現在進行形でナイフが胸に刺さっている。
しかも宗像くんによって絶妙に死ねないように刺された。焦らすなんてずるい。死ねない刺され方をしているのに出血は続いているから、意識がふわふわしてきた。刺された拍子にへたり込んでしまった身体を起こしてベッドに縋りついた。気絶する前に殺してほしいのに、宗像くんは手を止めて静観している。じっと見下ろすばかりで次の行動を起こさない。
「むなかたくん……?」
不安になって名前を呼んだ。早く殺してほしいのに、宗像くんは動いてくれない。
ねえ早く。早くして。焦らさないで。こういう風に焦らされるのが一番苦しいってきみが一番よく知ってるでしょう……?
「ころして、ねえ、はやく……」
熱に浮かされたみたいに頭が上手く回らなくなってきた。
宗像くんに殺されたい。それしかわからない。
朦朧とする意識の中、胸に刺さったままのナイフを力任せに引き抜いて、宗像くんの手に握らせた。そこまでしてようやく、宗像くんが口を開いた。
「――刀理、」
それなのに、そこから先が聞き取れない。何か短い言葉だった。ねえ、なんて言ったの?
聞き返す前にナイフが心臓に刺さり、私の意識はそこで途切れた。
生き返るとベッドに寝かされていた。首だけ動かして周りを見ると、パイプ椅子に座っている宗像くんと目が合う。
「おはよう」
うたた寝していた相手にかけるような言葉だと思った。
「おはよう……?」
まだ思考が上手くまとまらない。言われた言葉を復唱した。宗像くんはどこか穏やかな顔をしているようにも、いつもと変わらない仏頂面のようにも見えた。殺したら生き返るまで待っていてくれる宗像くんの優しい配慮が、いつもありがたかった。
「ねえ宗像くん、さっきなんて言ったの?」
殺される前に呟かれた言葉を知りたかった。言い終わるまで二秒もかからない短い言葉を知りたかった。けれど宗像くんは表情そのままに、
「秘密」
と呟くだけだった。
早く殺してほしいのに