日之影くんが提案した凶化合宿を生徒会がやると決めてから生じた問題があった。
 名前を聞いただけでぞっとするいわくつきの凶化合宿メンタルトレーニングを行うにあたって僕と日之影くんだけでは足りない人手を一時的にでも補えないかと考えて、ひとり、思い当たる人物がいた。
 凶化合宿は不知火理事長が着任時に廃止せざるを得なかったほど過酷な鍛錬法だけれど、フラスコ計画史上最高傑作と称された最も過酷なモルモット――鰐塚さんなら、ひょっとしたら計画の一環でやっていたかもしれない。
 その可能性に思い至ってしまったらコンタクトを取らないわけにはいかなかった。
 携帯の連絡先を開いて、わ行の欄を確認した。そこには鰐塚刀理がフルネームでぽつんと登録されていた。発信ボタンを押すと数コールの後に応答があった。

「もしもし?」
「もしもし鰐塚さん?」

 この通話が吉と出るか凶と出るかはわからなかった。

「どうしたの黒神くん。きみがかけてくるなんて珍しいね」
「凶化合宿ってやったことある?」
「凶化合宿? うーん……それってどんなの?」
「とても過酷なメンタルトレーニングだよ」

 名前だけでは思い出せないのかそれともやったことがないから知らないのか――この調子だと後者かな。そもそも理事長が鰐塚さんに凶化合宿をやらせる可能性は低い。もし仮に、フラスコ計画の大切なモルモットを壊すようなことがあれば損失は計り知れないからだ。

「ん、んー……凶化合宿……」

 スピーカー越しでも考え込んでいるのがわかった。……やっぱり当てが外れたな。

「ごめん、やっぱりやったことないよね――」
「――あ、それやったことある」
「本当かい!?」
「うん。そういえば黒神くんが抜けた後にそんなのやった」
「そっか……それなら話が早い。鰐塚さん、ちょっと協力してほしいことがあるんだけど」
「わあ、黒神くんの頼みなら聞かないわけにはいかないねえ」
「鰐塚さんにそんなに恩を売った覚えはないんだけど……?」
「え? 黒神くんは私に使う毒とか薬とか手配してくれてたじゃん。それだよ」

 そんなことに恩を感じないでほしいんだけどな、とは言えず。
 だってあれ見方によっては殺人の片棒担ぎだよ? 鰐塚さんらしいといえばらしいけど。

「それなら、凶化合宿経験者として生徒会を鍛えるために協力してほしいんだ」
「生徒会の子たちも大変だね。いいよ、手伝ってあげる」



 鰐塚さんが凶化合宿の相談役として僕たちと顔を合わせたのは、開始二日目の七月十九日からだった。初日は電話やメールで行われていたやり取りも、今日から対面での実戦形式に変わる。朝も早よから善吉くん以外のメンバーが揃った時計塔地下五階の駐車場に、彼女はストライプ柄のワンピースとサンダル姿で現れた。
 制服姿を見慣れていたから、一瞬その人物が鰐塚さんだと気づけなかった。

「……ひょっとして制服かジャージで来たほうがよかった?」

 めだかちゃんや日之影くんたちを見た彼女は、自分の服装が場にそぐわないのではないかと心配になったらしく僕に目配せした。

「いや、そんなことはないよ」
「よかった〜……じゃあ短い間だけど今日からよろしくね」

 お辞儀をするのに合わせてワンピースの裾が揺れた。
 鰐塚さんの協力によって凶化合宿の凶度が増したと気づくのにそう時間はかからなかった。



「あ、そうそう黒神くん」
 今日のノルマをひと通り終えた頃、これから病院にお見舞いに行くらしい(このところの日課だそうだ)鰐塚さんが思い出したように言う。
「どうしたんだい?」
「言い忘れてたけど二十五日は予定があるから来れないや」
「二十五日……わかった、みんなにも伝えておくよ」
「ありがとう。どうしても外せない用事なんだ」
「どこか行くのかい?」
「うん、朝からちょっと遠くまで」
「ふうん、ひとりで?」
「ううん、宗像くんと」
「……宗像くんと?」
「うん、宗像くんと」

 自分で訊いておきながら、てっきりひとりで遠出するのだろうと思っていたから同行者の名前を告げられて思わず聞き返してしまった。
 しかもそれが宗像くんときた。

「きみたち、いつの間に夏休みに一緒に遊ぶような仲になったんだい?」

 茶化すつもりはないけれど聞かずにはいられなかった。
 鰐塚さんの人間関係を考えれば当然とはいえ……殺し殺されることでしか繋がっていられないふたりだと思っていたんだけどな。

「そういうのじゃないよ。ただ、去年約束しただけ」
「約束?」

 やんわりとした否定は聞かなかったことにした(だって宗像くんが不憫過ぎる)。
 話しながら帰り仕度を終えた鰐塚さんは、コンクリートの壁に背を預けながら語る。

「去年の夏は黒神くんが抜けちゃって大変だったから私が一時的に統括まで任されることになっちゃったんだよ。知ってた?
「フラスコ計画に参加してから予定には困らない日々を送っていたけど、あの夏は予定に困らされる日々だったね。スケジュール調整が大変だったよ。統括なんてするもんじゃないなって思った。やっぱり私にはモルモットのほうが合ってる。
「あれ、凄い顔するね? あ、そっか。黒神くんは私絡みの実験を見てフラスコ計画を嫌になっちゃったんだっけ。ごめんごめん。
「でも被験者目線で言わせてもらうと黒神くんが思ってるほどの地獄じゃなかったよ。むしろ天国っていうか――ああ、こういうのがだめなんだよね。人が死ぬのってあんまり良しとされないもんね。死んだら基本的に生き返らないし。だから私は重宝されたんだけど。ほら、殺されたら生き返るってこれ以上ないくらいモルモットにうってつけの異常アブノーマルでしょ。
「話が逸れたね。
「去年の夏が終わってから、今年の夏は何も夏らしいことができなかったから来年の夏は向日葵畑に行こうって宗像くんと約束したんだ。
「ん? そうだよ、私の提案。去年の夏は本当に忙しかったんだからね。あれは忙殺だった。三年間で一番働いていた時期といっても過言じゃないよ。
「いいの、謝らないで。黒神くんにも事情があったんでしょ? それなら仕方ないよ。
「そんなこんなで去年の約束を果たそうと画策中なのです。
「向日葵畑、きっと綺麗だろうなあ。
「わあ、流石黒神くん。そうなの、向日葵畑で死んでみたくって。だって夏らしいでしょ?
「この理論だと春は桜並木で秋は紅葉、冬は雪景色になるのかな? 四季折々だね。
「うん。だから二十五日は先約せんやくを優先させてもらうね。
「それじゃあ、また明日。ばいばーい」



二十五日は予定があるから





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