※夢主が僕っ娘です
僕の知るかぎり、辻ちゃんは彼女でもない女子に突然プレゼントを贈るような子じゃない。というか、女子にプレゼントを贈る辻ちゃんとかレア中のレアだ。
僕が忘れているだけで今日は何かのイベントだっけ?
それらしい理由づけがあれば納得できないこともないけれど、わざわざ冬島隊の作戦室に赴いて綺麗にラッピングされたプレゼントを差し出した辻ちゃんを横目に盗み見たカレンダーは休み明けの月曜日。なんてことないまっさらな平日。誕生日やクリスマスならともかく、今日の日付けはそれらに該当しない。
「辻ちゃん、これなあに」
プレゼントを受け取りながら辻ちゃんの言葉を待つ。淡いピンクの包装紙は駅前のショッピングモールに入っている店のものだった。手のひらサイズの長方形は箱物ではないようで、中身に合わせて少し歪な形になっている。
手元に向けていた視線を辻ちゃんのほうへ戻すと、しどろもどろになりながら言葉を紡ごうとしているところだった。オーケー、急かさないで待ってあげよう。
「似合うと思って……そ、それをつけた……名字さんが、見たくて……」
「ふーん?」
身につけるもの。でも持った感じこれはアクセサリーじゃあないな……なんだろう?
「開けてもいい?」
「あっ、うん……どうぞ」
返事を待ってからプレゼントを裏返して留められたテープをそっと剥がした。程なくして露わになったのは、ラベルに青い花が描かれたプラスチックのクリアボトル。ラベルに踊る英字の羅列を文字を指でなぞりながら、それの正体を読み上げた。
「……ボディミスト?」
「うん……迷惑だった?」
辻ちゃんは僕の反応が薄いのを見て焦ったように視線を泳がせた。その不意を突くようにスプレーボトルのキャップを開けて、焦る胸元にボディミストをシュッとひと吹き。辻ちゃんと僕の間に甘過ぎないジャスミンの香りがふわっと漂う。
あ、この匂い好きかも。
もう少し近くで堪能したくて一歩距離を詰めると驚いた辻ちゃんが二歩くらい後退ったので苦笑した。急に近づいてごめん。
「ありがとう、使わせてもらうね」
「……本当?」
「うん、僕この匂い好きだよ。ありがとうね」
「こちらこそ……」
ありがとう、と嬉しそうにはにかんだ辻ちゃんが可愛かったから逃げられないように両腕を掴んで胸元に顔を埋めた。鼻腔に入り込むジャスミンの香りはさっきよりも幾分か薄まったもののやっぱりいい匂い。
顔を上げると辻ちゃんは耳まで真っ赤になっていた。可愛いな。そんなんだから僕に構われるんだよ。
「辻ちゃん、そろそろ行かないと防衛任務遅れるよ」
「えっ、あ、うん……」
掴んでいた両腕を解放すると辻ちゃんは時計を確認してから赤い顔のまま二宮隊の作戦室へ向かった。
辻ちゃんがいなくなったから作戦室には僕ひとり。そろそろ隊長が会議から戻って来る頃かな。
右手のスプレーボトルのキャップを外して、今度は自分に向けて吹きかけた。ボディミストはそんなに香りが保たない。隊長を待つ間にも緩やかに薄まって、当真くんや理佐が来る頃には消えてしまっているだろう。
「……新しい彼女かなんかできたか?」
「は?」
戻って来て五分と経たないうちに言われた言葉に首を傾げるとソファの反対側に座る我らが隊長は視線はノートパソコンに向けたままに、頭を掻きながら言いづらそうにしていた。多分、彼女かなんか、のなんかに含まれているセのつくお友達のせい。
「遠征前くらいからフリーだけど?」
「そうか……」
口では納得していても態度は納得していないようで、今度は顎に手を当てている。あれ以来、僕にそういう相手がいないことくらい察しているだろうに。
「なんでそう思ったの?」
問えば困ったような顔をする。
ねえ、なんで。
答えを急かすようにじりじりと距離を詰めると女子高生に弱い隊長は観念したように口を開いた。
「……おまえ、相手が変わると匂いも変わるんだよ」
明後日の方向を向きながら吐き出された言葉で腑に落ちた。
隊長のこと、他人(ひと)の恋愛に目敏いと思ってたけど鼻が利いていたのか……それはそれでなんか恥ずかしい。詰めた距離をおもむろに元に戻した。
「彼女じゃないけど……ってやつじゃねーだろうな」
「今はそれもないから安心して」
忙しくて遊ぶ暇がないというわけではないけれど、冬島隊に入ってからはそういう遊びをすることも徐々に減って今ではわりと健全な女子高生だ。
隊長は隊長なりに隊員のことを心配しているからこうしてヒアリングしてくれているんだろうけど、今回は何もやましいことはない。
「これ、もらったの」
ポケットからボトルを取り出して見せつけるようにゆらゆら揺らすとそれを隊長が視線で追った。
「そういうの普段つけないだろ」
「うん。だからかな、つけてる僕が見たいんだって」
「はー……」
相槌にも溜め息にも聞こえる声を漏らしながら隊長がソファに背を凭れて、そのまま天井を仰ぎ見た。
「辻か?」
「すごい、隊長エスパー?」
ぽつりと呟かれた言葉が的を得ていたものだから感嘆した。
「さっき廊下で辻とすれ違ったとき同じ匂いがしたんだよ」
「なんだ、最初からわかってたんじゃん」
あの日、集合時間ぎりぎりになってやって来た辻と同じ香りがたった今すれ違った名前からすることに気づいて犬飼は自身の口元がにやけようとするのを堪えた。
どういう経緯でふたりから同じ香りがするのかはさておき、甘過ぎず、くどくもない爽やかなフローラル系の香りは名前のイメージに合っていると思った。目立つ見た目をしているわりにメイクや香水とは無縁な後輩がそういったものをつけているのは新鮮で、犬飼がふたりの間に何かあったのかと勘繰るには充分な材料だった。
「名字ちゃん、それなんの香り?」
振り向きながらさりげなく質問すると名前は足を止めて短くジャスミンと返した。それから、
「辻ちゃんがくれたんです」
と続けるものだから犬飼は自分の聞き間違いかと思って名前を二度見した。
女子が苦手なはずの後輩は、いつの間に香水をプレゼントできるほど成長していたのだろう。意外とやりおる。
「……名字ちゃんの誕生日ってまだ先だよね?」
「そうですね。なんでもない日にもらいました」
「まじか……」
辻ちゃん末恐ろしいな。
「これボディミストなんですよ。朝つけても昼にはほとんど消えちゃうから学校出るときにつけ直したんです」
「へえ、ボディミストなんだ」
ボディミストにせよ、香水を贈ることの意味を辻が知っているとは思えない。あの子はああ見えて意外と独占欲が強いのかもしれないなと犬飼はこの場にいない後輩を思い浮かべた。
休日に駅前のショッピングモールの本屋で参考書を買った帰り、不意の香りが化粧品売り場を通り過ぎようとした辻の足をおもむろに止めた。
周囲に女子がいないことを確認してから、香りを辿るように売り場に近づくと鼻腔に入り込む香りが少し強くなった。香りの発信源は香水などのテスターとともに置かれたルームディフューザーだった。パッケージの花柄が共通しているから恐らく同じ香りのシリーズだろう。
恐る恐るテスターのひとつを手に取ると、辻が香水だと思っていたそれはボディミストだった。なんの香りなのか気になって、ボトルを裏返してラベルの小さな文字を目で追った。ジャスミン、ペア……ミュゲ? 確かペアは梨だっただろうか。ミュゲがわからなかったからスマホで調べると、どうやら鈴蘭のことらしい。ボトルに鼻を近づけて嗅いでも辻にはよくわからなかった。
でもいい匂いだと思った。多分、女子からこの匂いがしたらドキッとする。そう思うくらいにはいい匂い。
そう思って、ふと、意中の女子が脳裏に浮かんでしまった辻はテスターを棚に戻した手でその奥の新品のボトルを掴んだ。
名字さんからこの匂いがしたらいいのに。
名前が誰のものかもわからない香りを纏い変えていた日々を思い返して、辻は胸がじりじりと焦げつくようだった。
自分と同じじゃなくていいから、自分の選んだ香りを纏ってほしい。
辻が会計を済ませるまでにそう時間はかからなかった。
纏り香