赤薔薇の花束、年代物のワインにウイスキー、ブランド物のショッパーに外箱、エトセトラ、エトセトラ。
ポートマフィア本部ビルの一室、積み上がる其れらを前にしてナマエは困ったように顎に手を当て、眉尻を下げた。絵になる仕草だが、相対する者たちは見惚れるよりもナマエと同じように顔に困惑を浮かべていた。
積み上がった赤薔薇の香りが室内に満ち満ちて、其処にいる者たちの衣服に染み込むようだった。
「……ナマエ、此れは?」
沈黙を破ったのは中也だった。
昼を少し過ぎた頃、突如として明らかに値の張る代物ばかり──何れも此れも丁寧に包装されている誰かへ宛てたプレゼント──が此処に運び込まれたのである。首謀者は中也たちの向かい側で困ったように眉尻を下げているナマエ。
「勝手なことをしてごめんなさい。でも安心して頂戴。危険な代物ではないから」
「……で、此れは一体何なんだ?」
「プレゼントですわ」
上品に微笑みながらナマエが云った。
要約するとこうだ。
此れらはナマエへのプレゼントであるのだが、数が数だけに自分ひとりでは持て余す。それならいつもお世話になっているマフィアの方々に欲しいものを分け合ってもらおう。
「善い考えだと思わなくて?」
「だからって毎年毎年こんなに持ってくる奴があるか!」
「中也君の好きなお酒もあるから、また好きなだけ持っていって構わないわ。ああ、樋口さんも、もっと此方にいらして? 好きなものを持っていって頂戴。芥川君、貴方もよ」
中也の小言を躱し乍ら、ナマエは壁際の樋口と芥川へ歩み寄る。この二人の他に、黒蜥蜴の三人もプレゼント搬入時に偶々居合わせ、作業を手伝ってくれたのだ。作業が終わると三人は仕事があるからと足早に去ってしまった。彼らにも後程お礼をしなければ。
「お洋服なんて如何かしら。何時ものスーツも似合っていて格好いいけれど、女の子だもの、お洒落だってしたいわよね」
淡い青のワンピースを樋口の躰の前に持ってきて宛てがいながらナマエは云った。涼しげな色合いを樋口の目が遠慮がちに追った。
「……本当に貰っても善いんですか? 此処にあるものは全て、貴方に宛てたものですよね?」
「善いのよ。ひとりで抱えるには多過ぎるもの。わたくしよりも大切に着てくれる方に貰われたほうがこのワンピースも幸せよ」
二人の視界の端で、ひらひらと青が揺れる。
「……わかりました。ありがたく頂戴します」
そうして、樋口はナマエの手からそっとワンピースを受け取った。それからナマエに促されるままに、他に欲しいものはないかプレゼントの山と向き合った。服に靴にバッグにアクセサリー。好きなだけ持っていってと言われはしたが、タダで持ち帰るのを躊躇するようなものばかりだ。悩んだ末に樋口が選んだのは数着の服だった。礼を言って立ち去ろうとしたら抱えた服の上にナマエが何かを置いた。此れもよ? と念を押すように置かれたのはしなやかな革のバッグ。普段使いするには少し小さいけれど、休日に財布と携帯と化粧ポーチなんかを入れて歩くのには十分なサイズ。樋口が一目見て気に入って、けれど普段使いできないからと理由をつけて遠慮したものだった。
「こういうのはね、欲しい人が貰うべきなのよ」
「ですが……」
「本当なら靴もアクセサリーも貰ってほしいのよ? その謙虚さは日本人の美徳なのかもしれないけれど、少し遠慮し過ぎではなくて?」
甘やかな声音が樋口の鼓膜を揺らす。
人が欲しているものを見抜くことに秀でたナマエの目は誤魔化せない。そんなことを考えながら、降参するように肩の力を抜いた。ありがとうございます。今度こそお礼を言って、樋口は部屋を後にした。
「おい、ナマエ」
「あら、何かしら?お目当ては見つかった?」
ナマエと樋口の押し問答の最中、中也が物色していたのは酒のボトルが並ぶ一角。ナマエがワイン好きだと知っているパトロンたちは、こぞってワインを贈る。その中から中也が選んだのは、年代物のロマネ・コンティとリシュブール。さらに、ワインより数は少ないもののそれでも結構な量が並べられたウイスキーボトルをじいっと見つめて、マッカランを手に取った。熟成期間は五十年以上、値段も五百万を優に超える代物だ。
「中也君は全然遠慮しないわね」
「貰えるモンは貰ったほうが善いに決まってんだろ」
「ええ、そうね。善いと思うわ」
「ありがとよ、じゃあな」
「如何致しまして」
中也が部屋から出てドアが閉まると、ナマエの目は芥川に向いた。プレゼントの山は未だ小高い。
「芥川君は、何か欲しいものってある?」
ナマエの問いに芥川の瞳が動いた。
一瞬だったけれど、その視線が向けられた先にあるのは服でも酒でもない。
積み重なっているのは色とりどりの小箱。中身は菓子だ。
確かに芥川が此の中から選ぶなら服でも酒でもなく菓子だろうなあとナマエも腑に落ちたようで、自身も其方へ近づきながら芥川を手招きした。小箱の山に近づくにつれ、薔薇の香りに紛れていた菓子の甘い香りが主張を強める。幾つか開けて中を見遣るとチョコレェトが多かった。次点でマカロンやダックワーズ。余ったものは執務室に置いて回ろう。そんなことを思っていると、ナマエの肩に手が置かれる。
「ナマエ」
「なあに?」
「……チョコレェトを貰っても善いか」
「! ……ええ、勿論!」
芥川が手取ったのは臙脂に銀の箔押しがされた長方形の平たい箱。中身はチョコレェトアソート。中央のチョコレェトは赤いハートの形をしている。
「芥川君、貰ってくれないかと思ったわ」
「勿体ないと思ったからだ」
芥川が箱を閉じたのを見計らって、ナマエがその上にさらに箱を重ねる。
きっと此の子はマカロンもダックワーズも食べたことがないのだろう。お節介だとわかっているけれど、甘やかしてしまう質なのだ。口に合うかわからないけれど、わたくしが貴方に食べてみてほしいの。
「僕は貰ってばかりだ」
「あら、気にしないで?」
「去年も、一昨年も、その前だってそうやって僕にこういう菓子を与えただろう」
「あらぁ、それだとまるでわたくしが芥川君を餌付けしているみたいね」
「餌付けじゃなかったのか」
「餌付けされていると思っていたのね?」
「……多少は」
云われてしまえば、強くは否定できない。
「本当は、今日はナマエが貰う側だろう」
「……え?」
驚いて自分のほうを向いたナマエに、芥川が続けた。其れはナマエが今日一日未だ誰からも云われていなかった、誕生日を祝う言葉。
「誰にも教えていないのに……」
「毎年同じ日に沢山のプレゼントを運んでいれば検討くらいつく」
「あら、冬にも運んでいるじゃない」
「あれはバレンタインで貰ったものだと云っていた」
「夏と冬の風物詩くらいに思ってくれているかと思ったのに、気づかれちゃったわね」
くるりと回って、ナマエは芥川に背を向けた。ヒールが微かに音を立てた。
「……ありがとうね、芥川君。貴方の言葉が、とっても嬉しいわ」
こういうときは顔を見てお礼を云うのがマストだとわかっているけれど、ナマエには其れができなかった。嬉しさや気恥ずかしさで赤らんだ顔で芥川と向き合える気がしなかったからだ。
数多のプレゼントよりも貴方のたった一言が嬉しいだなんて、パトロンたちには絶対に云えないわ。
レッドハート・アソート